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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く9 その14  浅間大社

2019年12月14日 | ゆるキャン△

 スーパー「POTATO」から更に南下してJR西富士宮駅に着きました。原作コミック第7巻30ページで、初のソロキャンに出発する各務原なでしこがここでスマホで自撮りしていました。 

 

 原作コミック第7巻30ページ6コマ目の「よしっ、出発だ!!」のアングルです。ここから各務原なでしこは徒歩で浅間大社へ行き、やきそばを食べに「佐東」へ行き、ついでスーパー「TOMATO」で食材の買い出しをするわけです。

 

 私は徒歩ではなく車でしたので、まず神社西側の参拝者駐車場に車を入れてから、徒歩での巡礼散策に移りました。
 この浅間大社の参拝者駐車場は一の鳥居下の駐車場のほか、神社参道の西側に第一駐車場、二の鳥居の東側に第二駐車場があります。このうち、一の鳥居下の駐車場と上図の二の鳥居の東側第二駐車場は、すぐ横を県道が通っていてアクセスも容易なため、いつも混雑または満車になっています。
 神社参道西側の第一駐車場は西側の街区の細い道を迂回しないと行けないため、観光客はあまり入らず、割合に空いています。それで私も第一駐車場に入れ、出口料金所のすぐ近くのスペースに停めました。時刻は既に15時を過ぎて退出のラッシュが近づいているため、駐車場出庫の渋滞に巻き込まれる可能性が高かったからです。
 第一駐車場から二の鳥居へはすぐです。原作コミック第7巻32ページにて各務原なでしこが参拝記念の自撮りを行なった場所です。

 二の鳥居を見上げました。さすがに全国に散らばる浅間神社の総本宮だけあって、境内地も鳥居も大きいです。私自身はここへの参拝は三度目ですので、だいたいの状況は覚えていました。聖地の場所も効率よく回れると分かっていましたが、天気のほうがドンドン下り坂になっていて、雨が降らないかと心配でした。

 

 雨が降らないうちに巡礼を済ませよう、とにかく急ごう、と参道を進みました。原作コミック第7巻39ページ4コマ目のアングルです。

 

 参道の終点に三の鳥居が建ちます。ここからが狭義の境内地となります。境内地とは、江戸期までは「結界」という言葉で表されていて、つまりは神のおわします神聖な領域という意味です。

 浅間大社は、正式には富士山本宮浅間大社といい、富士山を神体山と崇める拝所としての歴史が最も古い場所です。「文徳天皇実録」の平安時代の仁寿三年(853)に「浅間神」の称にて名神大社に列せられ、神階は従三位とあるのが文献上の初出で、それ以前から存在したことがうかがえます。駿河国の一の宮でもあり、古代の駿河国府の守護神でもありましたから、その神威と由緒は相当なものです。

 

 原作コミック第7巻39ページ5コマ目のアングルです。ここで各務原なでしこが流鏑馬の銅像を撮影していました。

 

 原作コミック第7巻40ページ1コマ目のアングルです。浅間大社の境内建築群の正門にあたる楼門が迎えてくれます。江戸期の慶長年間の造営で、静岡県の指定文化財になっています。

 

 楼門に近寄りました。参道はこの楼門前にて東西へ伸びる「桜の馬場」と交差します。その「桜の馬場」は、文字通りの馬の通り道で、神事の際の流鏑馬式などに用いられています。
 神社の門前に馬場がある神社は、多くが江戸期までに武家の崇拝を多くうけた歴史を持ちます。この神社も、源頼朝、北条義時、武田信玄勝頼親子、徳川家康の崇敬を得て保護下に置かれています。

 

 楼門の左手前の手水屋に行きました。各務原なでしこも手を清めるべく立ち寄っています。

 

 原作コミック第7巻40ページ2コマ目のアングルです。

 

 楼門の脇の脇戸口から中に進みました。楼門の空間はもともとは皇族、貴族、武家の専用で、それ以下の身分階級は両脇の脇戸口から出入りしたのです。

 私自身の先祖は武士で、遠祖は鎌倉幕府の畿内御家人として京都の六波羅探題に勤めた「京内東護ノ夫」の一人でしたが、室町幕府では上京奉公人に連なっていました。したがって身分のうえでは将軍家の直臣格で、社寺への参詣に際しても正門から堂々と出入りしていたはずです。ここでも楼門から入るでしょう。

 でも現在の私は一介の一市民で、単なるアニメ聖地巡礼者の一人でしたから、神社の歴史と風格に敬意を表して正門からは入らず、脇戸口から入ったわけです。

 

 楼門内には拝殿、幣殿、透塀などが建ち並んで神域の正面前庭を区画しています。いずれの建物も江戸期の慶長年間の造営で、静岡県の指定文化財になっています。

 

 原作コミック第7巻40ページ3コマ目のアングルです。

 

 原作コミック第7巻40ページ5コマ目のアングルです。この場所で礼拝を終えた各務原なでしこが、他の参拝客の連れていた犬に飛びつかれ、反撃して「このやろー」と抱きついて「わしゃわしゃ」をやっています。

 

 各務原なでしこは参拝を終えて早々に引き揚げますが、私はもう少し境内を見て回りました。上図は南極の石と火山弾です。
 火山弾は富士山から発せられて落下したものですから、ここに奉納されるのも納得がいきますが、南極の石のほうはなんでここにあるのかと思いました。
 それで案内文を読むと、南極観測船「ふじ」の乗組員がここ富士宮市の出身で、南極で採集した石をここに奉納した、という経緯が分かりました。

 

 本殿です。江戸期の慶長十九年(1604)に徳川家康が造営奉納したもので、浅間造りと称する二重の楼閣造につくられます。神体山の富士山をシンボライズして高さをとった構造で、この種の神社建築は国内ではここだけの珍しいものです。国の重要文化財に指定されており、必見の歴史遺産の一つです。

 ゆるキャン△巡礼者も、一度見ておいたほうが良い、日本の美しき建築遺産の好例です。
 富士山本宮浅間大社の公式サイトはこちら。  (続く)

 


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