行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする25年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

あなたの分水嶺は?

2007-06-30 03:27:24 | 資格・転職・就職

 川は高いところから低いところへ流れる。しかし、その流れ方によって、例えば太平洋に流れたり、或いは日本海に流れたりする。その分岐点を分水嶺と云うらしい

 スペインのアンダルシアのとある町で、本マグロ畜養事業(部分養殖)権を持っていた、私が勤務していたその会社は、1997年の春、前年の不漁と悪天候によって大赤字となった事業で、多額の負債をパートナー会社に払わねばならなかった。実際、状況は追い詰められていたのだった。

 正直に言えば、「会社は潰れる」と、数人しかいない同僚達は、皆そう思ったのである。だから、同僚の一人がライバル会社からスカウトされた時、「良かったな!俺は最後まで残るよ。毒を食らえば皿までだな!頑張れよ!」と、私は彼の幸運を喜び、心より祝って彼を送り出したのであった。

 こんな状況であるから、開き直って、「単独事業をやりましょう!」と、最後の悪あがきのようなアドバルーンを上げてしまったものだから、資金の段取り以外のプロジェクトの準備、段取、運営等すべてを私が引き受ける羽目になってしまったのである。

 ところが、不思議なものである、打つ手打つ手がすべてが当たり、挙げ句の果てにはライバル社3社はすべて不漁、我々の会社だけが豊漁と、一躍その年の生マグロの最大の供給会社になってしまったのである。

 本当に、分からないものである。つい数ヶ月前までは、倒産覚悟と、開き直っていた私が、一躍注目の的の会社のプロジェクト総責任者なのである。一方、喜び勇んで、ライバル社に移った元同僚は、想像もしなかった不漁で、今度はその会社の存亡の危機(実際、翌年その会社は事実上潰れ、彼は出戻りとなったのであった)で苦渋を再び味わうはめになってしまうとは・・・。

 しかし、私は、98年のプロジェクトの準備をして、その会社を辞めた。当然ながら、社長をはじめ、周囲の誰もが驚いたのだが・・・。でも、それは、最初から決めていた事だった。翌年の99年、私はなぜか行政書士になってしまった!これは、想定外の出来事ではあったのだが・・・。

 そして、皆さんの分水嶺は、いつだったのでしょうか?

コメント (6)
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