行政書士中村和夫の独り言

外国人雇用・採用コンサルティング、渉外戸籍、入管手続等を専門とする25年目の国際派行政書士が好き勝手につぶやいています!

懐かしいけれど、あの頃には戻りたいとは思わない!

2017-08-14 14:03:33 | あの頃の東京って?
私が育った、杉並区の荻窪あたりでは、

東京オリンピック前の昭和30年代、

ゴミ箱は、各家庭の前に箱形の箱が

設置されており、公的なゴミの回収は、

月に1度程度しか来なかった記憶があります。

通常は、庭先に埋めたり、或いは、

庭先やたき火で燃やせるような

自然素材のゴミが多く、

今のようなプラスティック等の化成品ばかりの

膨大なゴミの量は出ていなかったと思います。

また、瓶や金属、不要な家具・道具、被服などは、

廃品回収業者が有料で引き取ってくれました。

少なくとも、昭和30年代前半の頃は、

確か、お豆腐屋さんには鍋を持って、

買いに行きましたし、醤油やお酢も、

瓶を持って買いに行った記憶があり、

今現在のような大量なゴミが出る生活ような

都市型消費生活では決してありませんでした。

ある意味では、まだ循環型の社会であった

のかもしれません。

また、スーパーが駅近くに、

初めて開店したのが、昭和35年頃でした。

美味しい本格的な洋菓子店が近くに出来たのも、

同じ頃だったと記憶しています。

お菓子屋さんも確かにありましたが、

煎餅や飴、和菓子が中心で、

美味しいチョコレートや洋菓子は、

やはり舶来品と呼ばれた外国製品ばかりで、

銀座やデパートなどでしか買えませんでした。

それは、大人の世界も同じで、

タバコ、酒類、自動車などは外国製が

圧倒的に優れていた時代でした。

という訳で、当時は駄菓子屋さんが

全盛期の時代であったのかもしれません。

今、考えると危険な着色剤、保存料なども

多々使われており、安全なお菓子とは

到底言えなかったのですが・・・。

とは言え、当時の私達子供達にとっては、

数十円を持って、十分楽しめるお店で、

よく利用した記憶があります。

そんな駄菓子を見ると、確かに懐かしいと

感じますが、今現在の便利で平和な日本に

比べたら、アジアの貧しい一敗戦国家であった

あのには戻りたいとは決して思いません。

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310万人もの戦死者が意味する太平洋戦争とは

2014-08-18 08:16:26 | あの頃の東京って?

 今では数少ない戦地に招集されていた経験のある

 生き証人でもある老父の衰えが、昨今特に著しいので、

 老父が滞在している某有料老人ホームに

 毎週のように様子を見に行っている。

 一昨日、8月16日(土)にもホームを訪ね、

 その老父が、「昨日は、戦争当時の事を思い出してしまって、

 ほとんど寝られなかった。」と呟いていた。

 戦後70年近く経った今でも、戦争での体験が、

 介護無くして生きて行けない老人の夢にまで、

 今でも悪夢として蘇って出てくる程、

 余程恐ろし体験だったのであろうか?

 確かに、日本人310万人が戦死したということは、

 例えは悪いが、東日本大震災という未曾有の自然災害で

 亡くなられた方々の数のなんと170倍以上にもなる。

 それも、自然災害ではなく、人災であるのだ!

 想像を絶する恐ろしい数の人々が亡くなってしまったのが、

 あの太平洋戦争だったようだ。

 「戦争だけは、もう決して起こしてはいけない!」

 そう語ってくれた老父の目に、うっすらと涙が滲んでいた。

 私は、そう呟いた老父の姿を決して忘れることは出来ない。

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49年前のオリンピック開会式!

2013-10-11 09:18:43 | あの頃の東京って?

 昨日10月10日は、49年前の1964年に行われた

 東京オリンピックの開会式の日でした!

 その後暫くの間は、10月10日が祝日「体育の日」でした!

 ところで、当時杉並区の小学4年生であった私は、

 聖火リレーランナーが走り去っていった荻窪の青梅街道へ

 学校ぐるみで行って、旗振りをした記憶があります!

 また、オリンピック期間中は、勉強はほとんどせずに、

 とにかく毎日毎日、親子TV(職員室で見ている親TVの内容だけが、

 各教室にある子TVで見られるシステム)でオリンピック競技を見て、

 感想文を書くだけの、子供達にとっては実に楽しい毎日でした!

 こんな不思議な時期は、後にも先にもなかったと思います。

 http://www.youtube.com/watch?v=Q7q-seQx_u8

 実は、こんな話が共有できるのは、概ね50歳代半ば以上の方々に、

 限られ、この話題になると、話に加われない方々ばかりなっていました。

 今、50歳の方でも、東京オリンピック当時1歳であるので、

 東京オリンピックの記憶など、あるはずもありません!

 今回2020年にオリンピックが再び東京で行われることで、

 これで若い世代の方々と、1964年の東京オリンピックではない

 2020年の東京オリンピックという共通の話題が、

 やっと共有出来るようになります。7年後が実に楽しみです!

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40年ぶり?に再会した同級生達!

2012-11-28 08:36:52 | あの頃の東京って?

 私が卒業した、都立某三流高校の

 創立100周年記念祝賀会が都内の某ホテルで行われた。

23nov201201 23nov201202

 100年も経つと、さすがに色々な卒業生がいる。

 TVタレント、作家、国会議員、警察官、企業執行役員、

 実業家、医師、サラリーマン、自営業、主婦等々、

 士業も公認会計士や同業の行政書士もやはりいた。

23nov201205_2 23nov201204

23nov201206 23nov201207

 来る人は女子が圧倒的に多かった。やはり、ワンコインランチ族の

 男子にとっては、会費の1万円はきついのか?

 卒業後、40年経って直ぐに分かる顔、まったく思い出せない顔等々。

 (実は、これが困りますが、相手だって同じだよね・・・)

 しかし、「XX君死んだんだってさ・・・」「OOさんも死んだらしいよ」

 などと聞くと、これで最後になる同級もいるのかも・・・

 などどと、しんみりしてしまう。

 仲良しだった、医師のYが「インフルエンザの注射打ってやる!」

 というので、折角だから予防接種注射をして貰った。

 「なんか、やばいことしているみたいだなぁ・・・」と私が言うと

 「昔、トイレでタバコ吸っのに比べりゃ、ぜんぜん悪く無い!」のだそうだ・・・。

   23nov201203_2

 まあ、同級生の皆さんこれからも元気で10年後、20年後に、

 元気な姿で再会したいものだ。

 ちなみに、行政書士会でのリッチな料理に慣れているせいなのだろうか、

 残念ながら、ここのホテル料理は最低でした。

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G線上のアリアのレコードとヴァイオリン

2011-08-25 09:15:40 | あの頃の東京って?

 ”G線上のアリア”、この曲がヴァイオリンのG線のみで演奏可能なことでこう呼ばれるようになった事はあまりにも有名な話しだ。

 http://www.youtube.com/watch?v=Ha-IJi1UVGo

 ところで、もう昔のことではあるが、

 私はこの曲をラジカセに録音して、

 母の納骨時にBGMとして流したのだった。

 それは、このG線上のアリアがTVで流れていた時、

 亡き母が突然、

 「若杉小学校の先にある家に最初に住み始めた頃の話だけどね。引っ越し当時、(父が)僅かな身の回りの衣類を詰めた柳行李とヴァイオリンケース、そしてこのG線上のアリアのレコードを担いで、荻窪駅からの道を歩いてやって来た姿を今でも覚えているわよ。若かったわね!」と、

 母が懐かしそうに話していたことを思い出したからだった。

 老父は音楽家などではなく、単なる研究者・エンジニアであったのだが、物理や数学をやる者は弦楽器をたしなむことが流行していた時代でもあったらしいのだ。それに、教員の妹はピアノを、家を継いだ弟はアコーデオンを嗜むので、多少の対抗意識はあったのかもしれない。

 ちなみに、このレコードとヴァイオリンは、その後生まれた長男である悪戯小僧の私に、無残にも砕かれてしまったので、残念ながらこのレコードを音源として聞いたことは一度もなく、また、老父がヴァイオリンを奏でる姿さえも一度も目にしたことはなかったのである。

 このG線上のアリア、母の話を聞いて、

 「えっ・・・、オヤジが!!! 格好いいじゃん!」と、

 思わず唸った高校生だった頃の事が

 つい昨日の事のように思い出される

 私にとって思い出の名曲でもあるのだ。

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