家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

建築家が「センセイ」になってしまう理由

2005年07月26日 | 家について思ったことなど
 基本的に施主は建築家を「先生」と呼ばない方がいいと考えている(関連エントリ)。先生と呼ぶことで、施主と建築家の間で上下関係を作ってしまうことになりかねないからだ。
好みの作風の建築家を選んだつもりでも、細かな部分において施主のオーダーを逸脱した設計を出してくる恐れがある。その建築家が我が強い性格だった場合、自分を下にしておけば交渉で不利になるだろう。

ただし、先生と呼んでしまういくらかの事情もわからなくはない。その事情をすこしばかりまとめてみた。

 1.施主が素人過ぎるから
  大方の施主は建築のことなどまるでわからない。かたや建築家は建築のプロ。その知識ギャップの大きさがつい「先生」と呼ぶことにつながる。(ただ、それだけで先生というのはいかがなものか。よく考えてみて欲しい。自動車を購入する人が、車をデザインした人や車のメカニックに強い整備士を「先生」と呼ぶだろうか)
 2.世の中の慣例だと思っている
  「家(か)」という権威性を帯びた言葉からか、テレビの影響か、あんまり深く考えずに「先生」と呼んでしまう。また、建築家によっては自分が芸術家の本流と思っている場合、画家のように先生と呼ばれて当然と考えていること「も」ある。
 3.実際に先生だったりする
  建築家が大学教授だったり、講師だったり、弟子を持っていたりして、建築家を「先生」と呼んで当然な人間が建築家の周りに存在することがある。そういう人が「先生」と呼んでいるのを見て、クライアントである施主が別にまねしなくていいのにまねしてしまう。またはそうした環境に長く身を置いて「先生」付きで呼ぶことが通称のようになってしまっている場合もあろう。
 4.施主が満足感を得るため
  施主が建築家を心酔し、また「家(か)」の権威性に身をゆだねることで満足感を得ることはある。普通よりすごい人に設計してもらったということを意識していたいという気持ちが「先生」と呼ばせることもあるかもしれない。それは施主の自由である。
 5.施主の作戦
  その建築家が「先生」と呼ばれることで気分よく働くことをつかんでいる施主が、意識してそう呼ぶ場合もありうる。それは政治家を「先生」と呼んで操る地域の実力者と似ている。うまくいくならその作戦もアリだと思う(私にはできないが)。


個別論から言えば、施主が建築家を「先生」と呼んでも、それは無邪気な理由であることは多く、他人から非難されるようなことではない。また、上記の4のように完全に身をゆだねる覚悟ができている場合はそれはそれでアリなのかもしれないし、5のようなしたたかさがある人間なら「先生」と呼びながらも自分の土俵で交渉ができるかもしれないので問題は小さいだろう。
ただ、建築家・設計事務所との家づくりを世の中に広めるということを考えたら、やっぱり「先生」と呼んだり、呼ばせたりするのはあんまりいいことじゃないように思えるのだ。

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2 コメント

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「せんせい」と呼ばれて気分が良いか (kuni)
2005-07-28 21:59:10
「せんせい」と呼ばれた本人がどういう反応をするか、

ですよね。



自分も設計者なので、

施工者から「設計の先生」なんて呼ばれることはありますが、

そういうときは大抵、悪い話を切り出される時なので、

そういわれると、大抵は背筋がのびます。(笑)



僕自身は施工者にお願いして、

自分のやりたいことをやらせていただいている、

という気持ちで仕事をしていますので、

「先生」なんて言われると、かえって居心地が悪いです。



実際のところは、

施主に対して、施工者が「先生」と設計者を高めることによって、

素人の施主が、設計者の言いなりになるように、

仕組んでいるような気もします。



どうなんでしょうか。
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ふむ (garaika)
2005-07-28 22:20:24
kuniさん、コメントどうもです。



>施主に対して、施工者が「先生」と設計者を高めることによって、

素人の施主が、設計者の言いなりになるように、

仕組んでいるような気もします。



ふむ、そういうこともあるかもしれませんね。

プロがお互いやりやすいように。



また、施工者を信頼しきれない施主が建築家を「先生」とよぶことで施工者を威圧するなんてこともありそう。



ハウスメーカーや工務店と施主による1対1の構図でなく、3つ巴であることがいろいろな関係を生じさせるのでしょうね。



実際のところ、先生って呼ばれようとも思ってないのに、勝手に呼ばれてしまって、それが慣例になって、いちいち否定するのもなんだし、どうでもよくなってしまっている建築家の方もいるようですね。
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