家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「ヘンなコダワリ」のこと

2007年07月08日 | このblogについて
「ヘンなコダワリを持った家づくりの記録」――弊ブログのタイトル下に記した言葉について、いまさらながら。

そもそも「こだわる」っていい意味で使う言葉ではない。
細かいこと、どうでもいいことに執着するというような意味合いを持っている。
それがいつの間にか、「細かいことまで妥協しない」というようなニュアンスを強めて、使われ方が変化した。
「シェフこだわりの素材」なんていうように、むしろ優位性をアピールしたりしている。

私はこの「こだわり」の使われ方にちょっと問題意識を持っている。だいたい「拘り」を「こだわり」と意識的にやわらかく表記するあたり、言葉を使う側の勝手さが透けて見える。
レストランのメニューを見ながら同席者に「いい意味で使う言葉じゃないのになあ」と発言していたりした。
豪快な人に対するあこがれのようなものもあり、どちらかというと細かいことに執着するのはかっこ悪いという価値観も意識していた。
それが家を建て替え、それをブログに記録しようという段になって自分の「こだわり」を意識する羽目になった。家を構成するいろいろな要素がそれぞれ気になってしょうがない。
一方「家」にこだわらない人は少なからずいる。さらにそれで明るく暮らすことのできる人はたぶん優れた人間だとも思える。私は家の細々としたことをどうしようかああだこうだ考えているわけで、傍から見れば本来の意味で「こだわって」いるといえると思えた。
そして妥協の産物「ヘンなコダワリ」という表現が出てきたのだった。「拘り」にできないのはご愛嬌ということで…。

いい意味ではない、本来の「こだわり」かもしれないことを自戒しつつ、読者に警告的に示そうという正直者(笑)ならではの発想である。「コダワリ」をカタカナで表記しさらに「ヘン」とすることで、誇らしさをこめての「こだわり」ではないことを示しているつもりでもあるし、執着している部分が普通の人と違っていることを表現しているつもりでもあったりする。「なんやかんや言っても一個人の『こだわり』にすぎないのだから、気にしないでカルく読んで欲しい」という願望もこめた。
この過程を客観的に眺めれば、本当にどうでもいいことにこだわっている自分の姿がわかって苦笑するばかり。まさに「ヘンなコダワリ」だ。やっぱり表記にウソはない(笑)。

「こだわり」が気になる人は、庄内拓明さんの昔のブログエントリ「『こだわり』をめぐる冒険」をご参考に。
「こだわり」という表現にこだわること自体、自家撞着しているというのは納得せざるをえない。

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