家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

「正解主義」と家づくり

2009年09月08日 | 家について思ったことなど
藤原和博という人がいる。
リクルート出身で、後に民間人から公立中学校の校長となったような変わった経歴を持つ人物である。
住宅に関連して「建てどき」という本を書いていたりする(以前、「インパクトのある家のパーツ」というエントリで触れたことがある)。

日経ビジネスオンラインにこの藤原氏のインタビュー記事が載っていた。
家づくりの話ではなく、人材論である。ここで「正解主義」なる興味深いキーワードが登場する。

日本をダメにした「正解主義」の呪縛を解け
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090907/204164/
********************************************************************************

藤原 最近、すぐに答えを求める人が増えているけど、その背景には正解主義があると思う。よく学校では「わかった人だけ手を挙げなさい」と言うでしょう。わかった人のうち、さらに自信があるやつだけが発言を許されるわけでしょう。その瞬間に、ほかの子は思考が止まっちゃうんですよ。

(中略)
人生には正解はない

このように、日本の教育界は常に正解を求める正解主義でやってきました。この中で10年、20年と育てられた子供がどうなるか、というと、常に物事には正解がある、と思ってしまうよね。今の若い人はほとんどがそのように思っている。30代、40代の人だって、人生の中に正解があるに違いないと思っているよ。

 だから、変な自分探しをするんですよ。自分にとって、絶対、正解の会社がある、自分にぴったりな仕事がある、とかね。でも、そんなものはあるわけがない。

 自分も変化するし、相手も変化する。人生はその中でのベクトルあわせじゃないですか。仕事にしても、普段のベクトルあわせが本質なのに、正解があると思っちゃうわけよ。これは結婚の問題もそうだと思うよ。いつか正解が現れると思っているうちに、潮時を逃してしまう、というみたいにね。保留しちゃうんだよ。
********************************************************************************

この記事には家づくりのことは一言も出てきていないが、私のほうで家づくりと結びつけて考えてみた。
というのも、家づくりの世界でもこの「正解主義」がはびこっていることが思い起こされたからだ。

私は、はっきり言って家づくりにおいて唯一無二の絶対の正解などないと思っている。
施主それぞれの前に様々な「解」が考えられて、ベストに近い解、ベターな解、ワーストに近い解等々のたくさんの解が散らばっているとイメージしている(関連エントリ→LINK)。
ベスト、ワーストなんていってもそれぞれの解を採点する評価軸は多岐にわたっている。仮に点数をつけるにしても採点者によって変わってくるような解の群れ。論文や小説の採点・評価をイメージするといいかも。

ところが、一部の家づくりのプロによる指南においてはそうなっていない。そこでは正解と不正解しか示さない。
自分の勧める方法が唯一の「正解」であるように語り、ベターな選択肢の存在を無視し、その「正解」以外は劣悪な「不正解」みたいな論調。
そして、正解を選べないと一生後悔するような言い方をする。

藤原氏が言うように「人生に正解はない」。
これは実感できる。今自分が就いている仕事は唯一無二の正解かと自分に問うても自信はない一方、不正解とも言えない。
いい方か悪い方かと問われて、いい方と思えれば理想としての正解に近く、悪い方に思えれば遠い。そんなふうに正解への距離をイメージするものではなかろうか。たった一つの正解などというものはない。家も同じことだと思う。

人間だから選択を間違えることはある。しかし、間違い方にもいろいろある。
「最良のものを選んだつもりが、もっといいものがあった」
という間違いと
「最良のものを選んだつもりが、最悪のものだった」
という間違いでは、深刻度合いはまったく違う。
また、補強したり修正したり運用を工夫したりすることによって選択の失敗による影響を軽微なものにできることもある。
その時点で間違った選択をしても後になって結果オーライだったなんてこともある。

一つの「正解」だけを示し、それを選択した人だけが幸せになり、そうでなかった人は悔やみ続けることになる、そんな家づくりの「正解主義」を唱える人に振り回されることこそ不幸だと思う。

自分にとってのベストな解を探すことをまず努力する。そして後からでも修正や手を加えることでベストに近づけていくことは可能、そう考えたほうが幸せに過ごせる。

最初の選択というプライマリーばかりを重視する風潮(関連エントリ→LINK)も「正解主義」の一面を表しているように思う。
依頼先を選んだ時点とか、竣工時のスペックだけを見て正解・不正解を判定する。そして「正解を選んだ」と安心してしまったあとは思考停止してしまう。いい大学や大企業に入っただけで「正解」と考えてしまうことに似ている。それは決して人生の正解と同義ではないのに。

正解を選ぶのではなく、正解を作る――人生も家も家庭も、基本的には「作る」心構えで取り組むべきものだとあらためて思う。