寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

思い出話 善光寺の暗闇回廊(20130713)

2013年07月13日 22時33分51秒 | 日記・エッセイ・コラム

  1969年頃、善光寺へ行ったことがある。善光寺は暑い夏だというのに沢山の高齢者が来て善光寺参りをしていた。本堂には地下のようになっているところがあり、そこを一周すると寿命が延びるという。特に丁度裏側の所に何か秘蔵の場所がありそれに手が触れると幸運に出会うというので高齢者の女性がわいわい言いながら手探りで回っていた。何しろほとんど真っ暗な中を進むので他人の手や身体に触れてしまうこともあり、その度に大きな声を出していた。これは今でもあるのかどうか分からないが滅多に嬌声を出すことの無くなった老婦人には一つの娯楽でありそれが幸運だったのかも知れない。
 当時、私は化石の研究をしていた。地質学については全くの素人の私は善光寺付近にあると言われている化石層のあるところを教えていただくために信州大学のA先生をお訪ねした。
 A先生のお話によると、信州もその昔海の底にあったのでさまざまな貝殻の化石を諸処で産出するという。その中には日本の地層の特質である火山灰の影響で貝殻の本質は溶けてしまい、そこに貝殻が存在していたという印象だけが残っているものもあるという。これを印象化石というのだそうである。
 教えていただいたのは長野駅からバスに乗ってしばらく行くと善光寺温泉がある。その付近の裾花川の北岸の河岸段丘のようになっているところの崖に柵層と言うのがあり、そこに貝殻化石があるという話であった。実際に行ってみるとなるほどものすごい量の貝殻化石があった。
  早速写真を撮り、採集した。ここの貝殻化石は赤貝のようなものでが多かった。裾花川に沿って406号線を上流へ移動すると、南岸から北岸へ渡る橋がある。その橋を北岸へ渡ったところの左側に大きな岩があった。それをよく見ると、表面に貝の絵柄が見えた。これが印象化石であることを知った。この貝は10センチメートルほどもある大きなものであった。
 化石貝殻を採集して宿に帰ってテレビを見ていると、私が化石を採集していた所の近くで村人が熊に襲われたと伝えていた。私はハンマーで岩をたたいていたので大きな音がしたのがよかったのかも知れない。
 後年、ゼミ生とともに裾花川の上流にある鬼無里と言うところにある民宿に泊まったことがある。民宿の近くにある橋の上から遙か下に流れている川に長い釣り糸を垂らして魚を釣ろうとした。準備をしていると村人が一人やってきてここで釣をするなら入漁券を買って欲しいという。そんな制度があるのを知らなかったので券を買い釣を始めた。糸が水面に届くと直ぐに反応があり、引き上げると数匹の魚がついていた。しかし数十メートルを引き上げる途中で風によって魚は全部落ちてしまった。結局1匹も釣れなかった。
 翌日民宿からさらに奥Photo地に水芭蕉の咲いているところがあるというので出かけることにした。民宿の主は熊が出ることがあるから気をつけなと注意してくれた。まさかと思いながら目的地について沢山の水芭蕉を見たり写真を撮ったりしていると、一人の学生がみんなを呼んだのでそこへ行ってみた。すると大きな木の幹の2メートルくらいの高さの所にひっかき傷のような跡がついていた。これは熊の爪痕だと言うことになり全員が恐ろしくなって民宿に戻ることにした。野生動物の領域に入っているのだから野生動物には気をつけなければならないと言われたのを思い出した。
 グーグルマップの写真を見ると、裾花渓谷の当時の面影は全くなくなっているようだ。1枚拝借して示す。

Photo


最新の画像もっと見る