寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

73回目の終戦記念日

2018年08月16日 15時18分41秒 | おとなの童話

  異常な天候のなか今年も終戦記念日を迎えました。私は、73年前の当時国民学校3年生でした。親元を離れて、

新潟県直江津市のお寺に学童集団疎開で行きお世話になりました。私が疎開していた期間は、昭和20年8月1日から

同年10月31日までの丸3ヶ月間でした。当時のことをいろいろ覚えています。少し思いだしてみましょう。

 7月30日、葛飾区にあった国民学校に夕方6時頃に集合し京成電車に乗って上野駅にいきました。少し待って、

8時頃に列車に乗り、席に着きました。しかしなかなか列車は発車しませんでした。そのうち列車から降りろといわ

れて、駅地下道へ連れていかれました。そこで一夜を明かすことになりました。B29の編隊が太平洋を北上している

という情報が入ったということでした。これは後で聞いた話です。地下道は蒸し暑く暗かったので私達には辛い念

いでした。

 翌日31日の朝早く列車が走りだしました。しばらく走って高崎駅で止まって休憩になりました。高崎駅はなに

かガランドウで寂しい感じでした。進行方向左手にごつごつした山が見えました。その山は妙義山というのだと先

生が教えてくれました。まもなく発車して横川駅につきました。そこで特殊な線路を走るということで準備のため

に少し止まりました。まもなく発車してしばらくすると、列車が逆戻りをしたりまた進んだりを数回繰り返した後

列車が止まりました。そこは碓井峠というところで冷たい水をたくさん飲ませてくれました。やがて列車が走りだ

し、下り坂をどんどん下りました次に止まったところは小諸駅というところでした。小諸駅に着くと、婦人会の人

達が食べるものをくれて励ましてくれました。さつまいもの蒸したものと炒り豆でしたが涙がでたほど嬉しかった

ですね。婦人会の方々に見送られて列車が走りだしました。左側に川が流れていました。後で判ったのですが、あ

れが千曲川だったのですね。しばらくすると大きな駅に着きました。長野駅だったのですね。当時は駅名なども秘

密になっていたようでなんという駅か定かではありませんでした。やがて列車はリンゴノ実が沢山成っている畑の

中を走りました。しばらく走ると周囲が山に囲まれていました。太陽は山の陰に見え隠れしていつの間にか夕方に

なっていました。直江津駅に着いたときはすっかり暗くなっていました。

 列車から降りて小休止後にお寺に向かって歩きだしました。街灯の無い暗い砂利道を歩いてしばらくすると、お

寺の名前を書いてある石門におつきました。私はふと空を、見上げました。暗い空には数え切れないほどの沢山の

星がきらきら瞬いていました。自然に口から、「綺麗だなあ」と出てしまいました。

 みんなも空を見上げて「ほんとだあ」と口々に言いました。先生も「ほんとだなあ。綺麗だなあと言いました。

こうして学童集団疎開が始まりました。もう73年前のことになってしまったのですね。歴史が繰り返されないこ

とを願っています。


 


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