寓居人の独言

身の回りのことや日々の出来事の感想そして楽しかった思い出話

思い出話 学生教育研究会誕生(20130709)

2013年07月09日 21時54分27秒 | 日記・エッセイ・コラム

 これは半世紀以上も前の話である。大学の夏休みが近づいたある日、私は数人の仲間と何かよいアルバイトがないかと相談をしていた。折角大学の校舎があいているのでこれを借りて、近所の子供たちの勉強を見てあげるのはどうかということになった。初めは数人のグループで宣伝方法や宣伝地域をどれほどにするかとか、子供の人数をどれくらいにするかなど具体的な話し合いが続いた。計画をまとめて大学事務部と交渉した結果、実行可能なことになった。夏休み前に1クラス10人以下にするという条件で宣伝活動をしたところ、予想以上の人数が集まり、教員役の学生数が不足するほどになった。そこでこれを夏期学校と称して記録することになった。というのは終了近くになると父母たちから来年のことを聞かれるようになったからである。初めは1年だけのことであったが、希望者が多いようなら、学生側もクラブにしようと言うことになり、その名も「学生教育研究会」という大それた名称になってしまった。

 それ以後は、クラブ名で夏休みになると大学の校舎を借りて2週間ほど近所の小・中・高校の児童(3年生以上)・生徒を集めて宿題を見てあげたり、学校の勉強の補習みたいな事をやっていた。集まった児童・生徒の数は多いときには700人以上になったこともある。午前中だけの勉強ではあったが、教員役の私たちも結構熱心に対応していたので評判は大変よかった。この様子は当時のA新聞という全国紙にレポートされたこともある。これを夏期学校と称していたが、私たちにとっても割のよいアルバイトになったことも事実である(ちなみに当時のアルバイトは、8時間労働で300円の日当であった。モリ・カケそばが25円、山手線は10円で1周できた時代のことである)。3年ほど過ぎた頃、都内の幾つかの大学でも同じようなクラブを作って、連合組織を作ろうと言った来た。いろんな話し合いをしているうちに、アルバイトという位置付けがよくないと言い出した。さらに純粋な教育の補助的な行事にした方がよいなどと意見が出るなど、理想論に走り出してしまった。そんなこんな時期に私は卒業してしまったので後のことは思い出話の外になってしまった。

 私はその後教職に就いたが、教育のおもしろさと同時に難しさにも出会うことになった。理想論を実践しようと努力するが、現実の問題に出会うことになる。初めに経済的に我慢を強いられ、そして時間の不足にさらに人手不足に悩むことになった。それを何とか乗り越えなければ理想論には近付けないことが次第に分かってきた。

 政府の教育行政が、朝令暮改のごとく毎年あるいは数年で変わってしまうようなやり方は仕方の無いことなのだろうか。現場の教員は対応に四苦八苦しているのではないだろうか。

 教員にもっと児童・生徒と接する機会を多くする政策、といっても決して政府の指導で実施するようにと言うことではなく現場の教員の意思である程度自由な教育をするというのはどうであろうか。

 


思い出話 溺れそうになったこと(20130708)

2013年07月09日 00時15分12秒 | 日記・エッセイ・コラム

 私が小学校高学年から中学校の頃、夏になると花川、一本杉川や農業用の貯水池で泳いだものである。花川は村の中心地を流れる川で、村の東部で鳴瀬川という少し大きな川と合流する。水源は奥羽山脈の船形山(1500メートル)に源流がある。そのために水温が低く長時間水中にいると唇が紫色になってしまうことがある。

 花川で泳ぐためには、家からほぼ1時間ほども歩いて行かなければならない。途中で家の畑でジャガイモやスイカをとって持って行く。お腹が空いたら河原で大きめの石をカマドのように並べてその上に水を入れたドラム缶を置いて河原で拾い集めた流木を燃やしてジャガイモを茹でたものである。それをみんなで食べたときの美味しさと言ったら何ともいえないほどであった。

 何故そんな遠くの花川へ泳ぎに行くかというと、川の向こう側は10メートルを超える崖になっており、崖の上から太い木が川面に伸びている。川は深さが5メートルくらいあり、木の上から飛び込んでもケガをしないことが分かっていた。その木の上から6メートル下の川へ飛び込むときのわくわくした感じは今でも覚えている。

 ある日、泳ぎ疲れて最後の飛び込みをするために木に登り、飛び込んだ。しかしどうしたことか水面へ出るのに時間がかかってしまい水をしこたま飲んでしまった。溺れ状態になってしまったのである。少し川下に堰があり、そこへ泳ぎ着いたときに、いつの間にか上流へ向かって泳いでいた。そのために堰の下の方へ吸い込まれるように流れていたところで、足が底に届かなかったのである。そうなるとあわててしまい、立つことを忘れてしまったのである。それを見ていた上級生の方が堰の上から手を伸ばして私を引っ張り上げてくれた。私はそれで生還したのである。

 今考えると溺れる原因は、疲れているのに無理をすることであり、慌ててしまうことである。今年は特に暑さが厳しいと予想されている。水辺で遊ぶこと機会も多くなるだろう。くれぐれも親や友達など連れの方それと周囲の方々も注意をして欲しいと思う。