SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

近鉄中興の祖「佐伯勇の生涯」(神崎憲武)独裁すれども独断せず

2019-02-12 | 鉄道・バス

恐らく15年振りぐらいのインフルエンザに罹患して、数日分の時間をロスしたことを悔やんでいる。

外に出れないのは実に私としては悔しい。ただの風邪とはそこが違う。

ただ、部屋にこもって良かったこともあった。

近鉄中興の祖「佐伯勇の生涯」という伝記を読んだこと。

こういう硬い本はなかなか読み始めないものだが、今回は一気に読んだ。

そう時間があるから(笑)。

 

近鉄奈良線の学園前で幼稚園から小学校時代を過ごした。

鶴舞団地という団地だった。

歩いて15分も行くと、近鉄の佐伯社長の家があった。

大渕池という大きな池を含む広大な敷地の家だったが、付近にはよく遊びに行ったのだ。

近くにはおんたけ山という山があり、カブトムシやクワガタが居たからだ。

もうちょっと中登美ケ丘に行くと大きな池があって、カラス貝がいると小学生の仲間は言っていた。

まだまだ開発中の学園前であったが、今は高級住宅街として知られるように変貌している。

佐伯社長の家の周りには出没した小学生だったが会ったことはなかったと思う。

しかし、揺り籠から墓場まで近鉄一色だった生活の中で、子どもながら佐伯社長のことはずっと気になっていた。

どんな人だろうかと。

今年の1月20日にこの本が出るということで予約していた。

インフルになって一気に読んだ。

謎であった人物像が浮かび上がった。

ちょっと田中角栄にも似た雰囲気を持つ関西弁ばりばりの人だ。

愛媛県今治近郊の丹原町の出身で、東大を出て普通に近鉄に就職している。

総務部、秘書室などを経て、近鉄を大きくした大社長になった。

名伯楽・種田虎雄の薫陶を受け、基本感は種田社長の影響を受けながらも、

あらゆる困難や改革を推し進め、後半には関西の文化の継承にも尽力した。

大阪商工会議社の会頭や、経団連副会長にもなっている。

この本を読んでいて再確認したのだが、電鉄会社の経営者は、前の経営者の意志を引き継いでいることに

特徴がある。

経営の時間軸が長いのもあるが、電鉄を築き上げてきた先人にはみな尊敬しているのを感じる。

そして文化活動には名誉には関係なく心から熱心だ。

この本にこういう節がある。

「私は、そのたびに、嗚呼これが大阪か、これが大阪人か、と驚いたり感心したものだった。

一言でいうと、権力に対する遠慮が薄いのである。役職のうえでの上下関係はあっても、

人間関係は平ったいところがある。たとえば、多くの人が回想のなかで、「佐伯さん」とか「大将」とか、

あげくには「おっさん」とかいって、楽しげに語ってくれるのである。

それは、ひとつ近鉄の社風にかぎったことではなく、大阪という商業都市のなせる伝統、と思えた。

それは知らず識らずのうちに政治都市東京の風土に染まりかけている私にとって、新線な発見であった。」

 

作者は近鉄の後の社長、山口昌紀氏、大和屋の女将阪口純久氏など27名からのヒアリングを元に書いている。

戦中戦後の様子、伊勢湾台風による名古屋線の10日間での改軌、生駒トンネルの事、奈良電鉄の買収劇、等々、

鉄道ファンには有名な出来事の確認にもなる本だが、どちからと言えば、経営論、人物論として楽しかった。

近鉄は今でも進取の精神が宿っている。

広軌から標準軌を直通するフリーゲージトレインの研究を行い、京都から吉野への直通特急を走らせること、

第三軌条の大阪メトロ中央線と乗り入れる近鉄けいはんな線に、架線集電の在来線新型特急を直通させて、

2025年国際博覧会(万博)の会場となる大阪湾の人工島・夢洲と奈良を直通させること。

など、誰もが諦めていた事をやろうとすること。

ここ20年ほど、資金不足で大人しくしていた近鉄も久々に動き出しそうだ。

 


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