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SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

「傷だらけの天使」 代々木エンジェルビルの今  その2

2015-12-10 | いつか来た場所

代々木駅で降りたのは久しぶりかと言えば、そうでもない。
最近は大江戸線の乗換駅としてよく使う。
しかし、正面口から外に出たのは数年ぶりだ。








最初はエンジェルビルの場所が判らず、埼京線の踏切を通った。
イマドキだなあ、踏切で待つカップルのうち、女性が電車を撮っている。
ちょうど259系がやってきたのだ。







































TVドラマの「傷だらけの天使」が1974年~1975年で、その当時に既に古いビルだったのだから、
あれから40年もたった今はもう信じられないぐらい古いビルということになる。
浪人時代に時々、代ゼミの特別講習に来たりしていたが、あれから36年もたっている。











大戸屋のあたりは喫茶「赤い三角定規」ではなかったかと思っている。
よくそこでお茶した。








こんなお店あったかなあ。
まあ、浪人生の身の上で関係なかったか。
















代々木の駅前にはおしゃれな場所が有って、
結婚式をやっていた。








これは最近の夜だな。









代々木あたりの山手線の高架はこんな感じ。
横が代々木会館。
電車内から見えるということになる。
いや、代々木駅は壁になってて、電車からは見えなんだな。










ホームの壁の向こう側がこの代々木会館なんだな。











しかし、ちょうど代々木への行き帰りに読んでいた本が「倉橋由美子」の「パルタイ」だったので、何とも変な感じだった。


これからも通りかかったら撮り続けていこう。








SONY NEX-6、SONY E 55-210mm F4.5-6.3 OSS 、16-50mm F/3.5-5.6/PZ OSS




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建て替えになる、ホテルオークラ(東京)

2015-07-02 | いつか来た場所




ホテルオークラのHPにもあるように、9月から東京本館は建て替えに入る。
1962年にオープンしたので、妹と同期か(笑)。
どちらも時が経つのは早いもんだ。(妹はいつまでも小学生か中学生のままだ。)
新幹線が1964年、東京オリンピックも1964年だから、1962年に建てたわけか。
今回も2回目の東京オリンピックに合わせて建てるのだな。
オークラは和風な雰囲気が外国人から人気が高く、建て替え中止の話も盛り上がっている。
まあ、日本は地震も多いし、湿気も雨も多いし欧米とは比べ物にならないぐらい建物には厳しい環境なんだろう。










ホテルオークラはその昔、結構利用した。
勤めていた会社のグループ会社だったので、なるべく利用したんだろう。
料理はおいしかったな。
そうそう、スイーツも美味しかった記憶がある。
結婚式もオークラでやった人も多かった。
日本はお金持ちだったんだな。
今は外人ばかりだ。
だから、外人の建替え反対意見は判らないでもない。
でも、危ないだろうし、オリンピックまでに集客力を高めたいのだろう。
きっと素晴らしいものになるよ、国立競技場よりもね。










従業員の応対は素晴らしい。
私が立ってるだけで要件を聞きに来る。











他にもたくさんの人が別れを惜しんで写真を撮っていた。









































別館は今回のリニューアルからは外れるので、
このまま営業される。
まあ、よかった。




















左が別館で正面が本館。










しかし雨がすごかったな。
それで倒れそうになった。






























あの敷地にどんなホテルが建つのか楽しみだ。
その間、従業員は他のオークラに転勤するのかな?














SONY NEX-6、SONY E16-50mm F/3.5-5.6/PZ OSS




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T君と過ごす一日(中野ブロードウェイ編)

2014-06-09 | いつか来た場所
パ紋の原田専門家さんの展示会を辞して、雨の中だがどうせなので中野まで歩く。
高円寺から中野まで線路際を歩いたのは初めてだ。




団地好きにはたまらんな。
ダストシュートの跡もある。








こんな三角地でも場所が高円寺だから、高いだろうな。









名前がすごい。
公営なのに株式会社なんだ。









中野駅が近づいて来た。
こんな一等地にある製材所もすごい。
すごい価値だよなあ。
左下には中央線が走ってるのだ。

そして、ここにも明治大学があるとは知らなかった。
その奥は帝京平成大学。









中野ブロードウェイはますますカオス化していて、すごすばらしかった。









ずっといても退屈しないだろう。









昭和だ。









最近のフィギアはもう本物そっくりで怖いほど。


















わちゃー。
すごいよなあ。
人気有ったよなあ。
当時、映画とか見たよ。









やっぱりブロードウェイはモノクロで撮るよ。










SONY NEX-6、 16-50mm F/3.5-5.6/PZ OSS




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南部だよなあ。そして明日はストーンズのliveを見るんじゃなくて、やる。

2014-03-07 | いつか来た場所

雪がすご過ぎる日本。
東京は今日も降ってた。
だからなのか、心はアメリカ南部にトリップ。
最近はgoogle mapでの旅行もアメリカの片田舎ばかりだ。



でも、明日の土曜日は大塚welcomebackでライブする。
ストーンズを見に行けなかったので、ストーンズばかりやる。
ストーンズ大好きなのに、メンバーは誰も行けてない。
みんな家庭があるからなあ(笑)。
ストーンズはイイ。本当にイイ。
でも歌詞はとんでもないけどね。
発禁にならないのがRolling Stonesだ。






































































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いつか来た場所11

2008-07-10 | いつか来た場所
小学生の頃、奈良の学園前に住んでいた。
もう40年近く前の話だが、既に美しく整備された町として知られていた。
近鉄奈良線の駅に隣接して手塚山学園があり、それが駅名になっている。
駅前にはロータリーがあり、北方には大規模な公団住宅があった。
私はその公団住宅の住人だった。
真新しい公団は壁面も真っ白で清潔な感じがした。

学園前という地は当時の近鉄の総帥である佐伯勇氏の豪邸のお膝元で、近鉄が開発した大規模な住宅都市である。
電鉄経営の象徴的な町で、私にとっては興味深い場所だ。
東にあやめ池遊園地、西に百楽荘が控える。

電車は当時は特急は停まらず(鶴橋の次は西大寺というノンストップ型だった)
急行停車駅だったが後に快速急行が停車し、さらに有料特急が停車する駅になった。
当時はまだ800系が走っており、8000系が増備されている最中であった。
色は勿論クリーム色にブルーのライン。

さて、そうは言っても、まだ北方の丘陵地帯は何も無かった。
今の高級住宅街、中登美ケ丘地区は森や池があり、大きな貝が取れたり、
不思議な生物がたくさんいた。
佐伯社長の豪邸の西側の地区も生駒まで続く広大な森と山で、カブトムシや
クワガタの宝庫だった。
駅から木津まで行くバスはボンネットバスで、私が虫を取りに行くと言えば、運転手さんは、わざわざ登山口までバスを回してくれた。

さて、時は経ち、大学生の頃に学園前を訪れた。
写真は、佐伯社長宅前で撮った奈良交通(=近鉄)のバス。
これとて25年以上前の写真だ。
この何千坪もの広大な邸宅は、その後、美術館になっている。
ちょうど東急の五島家の上野毛の居宅がその後美術館になったのと同様だが、
佐伯邸のまるでゴルフ場のような広大さには到底敵わない。
私のような鉄道好きには佐伯氏は他の電鉄経営者とは違って見える。
東大を卒業後、近鉄の駅員、運転手を経て、庶務課社員、総務部長から
後に7代目社長までなった稀なケースだ。


現在の学園前は、緑が多く、しっとりした落ち着きも加えて、
ますます素敵な町になっているようだ。


オリンパス OM-1、レンズは不明。
(絹目のプリントをスキャンしているので、画像がデコボコしています。)


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いつか来た場所10

2008-05-02 | いつか来た場所
暑い夏だった。
会社を休んで、車でここに来た。
誰も居ない場所であればどこでもよかったのだ。
廃線ブームはすごくわかる。
一人になれるのに、過去に思いを馳せることができるからだ。
誰かと一緒に来てはいけない。
一人で行き、そして、またいつもの場所に戻ればいいのだ。


























KONICA MINOLTA α-7D、AF17-35mm/F2.8-4.0(D)
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いつか来た場所09

2008-04-27 | いつか来た場所
海水浴に行く途中、古い街道筋を通った。
郵便局の横に細いくにゃくにゃのレールを見つけた。
駐車場に車を止めて、そのレールを伝って上へ行ってみた。
終点は、洞穴だった。

探検ごっこをしたくなった。

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いつか来た場所08

2008-03-10 | いつか来た場所
いつか来た場所。

実は去年の秋に行った場所。

でも昭和40年のような雰囲気だったので。













撮影はSONY α100、17-35mm/F2.8-4.0D
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いつか来た場所07

2007-10-07 | いつか来た場所
いつ撮ったのかは定かではない。
関西で育ったので、京都にもよく行っていただろう。
親の用事についていったことも多かろう。
その用事の仔細なことはまったく覚えていない。
覚えているのはこういった風景だけだ。
京都市電や京阪の写真はたくさん残っている。
何のためにここを渡ったのか、誰と行ったのか、
記憶なんていい加減なものだ。

時代からするとカメラはキャノネットかと思う。
電車もいいが、車がカッコいい。

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いつか来た場所06

2007-09-13 | いつか来た場所
昨日と今日、会社を休んだ。
珍しく高熱を出した。
かなり丈夫で、体力には自信があるのだが、39.5度も発熱すると
もはや死んだも同然で、昨日は22時間は眠った。
昏睡状態と言ってよいかもしれない。
やっと起き上がってPCを立ち上げた。
仕事のメールが山盛りで、また疲れた。



むかし海水浴に行く途中、通りがかった東金市街で古い商店を見かけた。
車を停めて、木造の由緒正しい建物をカメラに収めた。
ふと店の横を見ると、細い軌道が裏に延びている。
たどってみると、商店の裏側は線路があちこちにレイアウトされており、
終点は山に掘られた穴だった。
お店の人に聞いてみると、裏山の洞穴で発酵させているものを店の裏手に運ぶために昔から使っている線路だそうだ。
店の正面にも線路は出てきていて、ここから車で運搬もしているらしい。
「この街には、何箇所もそういう線路があるよ。あそこと、あそこも。」
と、他の線路を所有する商店を教えてくれた。

最近は新しい高速道路ができて、東金市街を走ることがなくなってしまった。
今度行ってみようと思う。

コメント (8)
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