goo blog サービス終了のお知らせ 

SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

いつか来た場所05

2007-06-23 | いつか来た場所
魔境の地へ行くと、膨大な距離を歩くことになった。
石灰で真っ白になった町をとめどなく歩く。
国土地理院の地図だけを持って、地図上の地形を確かめたり、表記された集落を目指してひたすら歩く。
車の運転など、まだ先の先であった中学生から高校生の頃だ。
20キロぐらいはいつも平気で歩いていた勘定だ。

ある小さな採石工場を通りかかった時、何かの予感がして、日曜で誰も居ない敷地に入っていった。
小高い丘を登ると、泥にまみれた採石場に、クネクネに曲がった細い線路を見つけた。飽きずにずっと眺めていた。
誰も居ないと思っていた場所だったが、作業員が現れて作業を始めた。
それでも誰も私を邪魔だとか危険だから退去しろなんてことは言わなかった。
「何でこんなもの撮ってるのか」とか、「どこから来た」とか、「駅からここまでどうやって来た?」とか興味深く話しかけてくるのであった。
そんな時代だった。

撮影は OLYMPUS OM-1, Tamron ZOOM 80-200mm
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつか来た場所04

2007-06-16 | いつか来た場所
中高生の頃は国土地理院の地図を見るのが大好きだった。
大きな書店に行くと引き出しに収められた全国の地図が売られていた。
机いっぱいに広げてこの道はどんな感じなんだろう、この稜線を超えるとどんな風景なんだろう、と思いを馳せていた。

ある北関東の紙を見ていると私鉄の終点の駅からたくさんの線が書かれていた。
私鉄を示す線より細い線で描かれている。
貨物線だろうとは予測がついたが、居ても立ってもいられず、すぐ次の日曜日にその私鉄の終点へ行った。

そこは何が飛び出すか予想もできない「魔境の入り口」だった。

魔境への冒険は20回以上に及んだ。


撮影 1976年頃 OLYMPUS OM-1, レンズは不明
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつか来た場所03 付属01

2007-06-02 | いつか来た場所
前回の岐阜の名鉄市内線の写真と同じ日に撮った古豪元名岐鉄道800型。

新京阪(阪急)100型、参宮急行(近鉄)2200型、阪和電鉄(JR阪和線)100型と並ぶ名車と思っている。
その重厚な風情は物としての立ち上がり感が現代の工業製品と大いに異なる。
戦前の名車達は日本が世界に誇ることができる逸品の数々だ。

実際に新京阪(阪急)100型、参宮急行(近鉄)2200型は120キロ運転もしばしばで、阪和モヨ100型に至っては130キロ走行まで行っていたらしい。
各社とも完全に法律違反なのだが、それが技術的にできたこと自体が驚きだ。

写真を見ると、白ペンキでゴチャゴチャ修正するような扱いが名鉄らしくて面白い。

撮影:オリンパスペンE
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつか来た場所03

2007-06-01 | いつか来た場所
大阪駅から国鉄に乗り、鈍行で名古屋方面に向った。
名鉄電車を見ようと思ったのだ。
国鉄熱田駅のホームから併走する多種多様な名鉄電車の行き交う風景を眺めていた。
中学生の頃だ。小遣いは700円とかそんなものだ。
最初から降りるつもりはなかったので大阪駅からの最低区間の切符しか持っていなかった。
800系や、イモ虫や、ナマズや、5000系、5200系、改造された雑多な種類の電車が次から次に通っていく。2両だったり6両だったりもする。
色も赤だけやクリーム色に赤のラインだったり、緑だったり、薄紫もあった。
名鉄はもう何でもありのおもちゃ箱をひっくり返したような感じだった。

お腹がすいたので熱田駅のホームできしめんを食べた。
後ろから駅員に声を掛けられた。
「坊や、どこから来たの?切符見せて。」
僕はしぶしぶ大阪駅からの最低区間の切符を見せた。
「熱田で降りるんだね。」
「ハ、ハイ。」
「じゃあ、差額を払ってね。」
と言われ、その場で払わされた。
小遣い700円の私にとって痛い出費だった。
多分大阪から熱田でも1000円もしなかったかもしれないが、帰りの運賃も考えれば3か月分の小遣いだ。

こうなったら、堂々と名鉄を楽しもうと、今度は名鉄に乗りまくった。
ちゃんと運賃を払い、新岐阜で降りた。どうせ東海道で帰るのだから無駄ではない。
写真は岐阜駅前の風景だ。
市内線の電車をみても時代がわからないかもしれない。
つい最近まで走っていたからだ。
バスを見ると昭和47-49年頃なんだろうと思える。

果たして帰りの運賃は所持していたのだろうか?
そこの記憶は曖昧だ。

撮影:オリンパスペンE

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつか来た場所02

2007-05-28 | いつか来た場所
名古屋に住む親友の家に長い間滞在していた。
並木やおしゃれな店が連なり大学が点在している素敵なストリートの付近に彼は住んでいた。名古屋にこんなに素敵な場所があるのかと関心した。
そんな清々しい場所に飽きた頃、郊外に車を走らせた。
グリーン道路を走り、更に山間部に入ると、古いけれど大きな製材所があった。
車を停めてそんな古い製材工場を眺めているすぐ足元におもちゃのようなレールが走っていた。
工場の中をヒョロヒョロと線路がめぐらされていた。
下校の女子学生が何事もなく歩いていた。
約25年前の夕方のできごと。

撮影:オリンパスOM-1、レンズ不明。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いつか来た場所01

2007-05-26 | いつか来た場所
小学生の僕は世界の地理に興味があった。
図書館に通い、大きな世界地図の本を何回も見た。
たくさんの国やたくさんの地名に思いを馳せ、大学ノートに
国名や首都をできるだけたくさん書き込んだ。

図書館のある駅から私鉄電車に乗り北へむかい、4つ目の駅で降りた。
ここはまた別の私鉄が接続している駅だ。
駅を降りて裏側にまわってみると、知らないもう一つ別の支線があった。
小さな電車がビューゲルを下げて休んでいた。
いつ動くともわからない小さな電車。
発車時刻表を見ると何時間も先まで発車しない。
僕はその小さな電車の先に続く線路を歩き始めた。

家の裏側を通る線路はその先で空き地のような何も無い場所に出た。
しばらく空き地や畑の中を線路は続いていたが、数百メートルも歩くと、
突然、何も無い場所で行き止まりになっていた。
線路の先は古い枕木で通せんぼされていた。
土を盛っただけの子供でも作れるようなホームが左側に確かにあった。
ホームの少し先はあまり車の走っていない大きい道が横切り、
その道を渡ってすこし先には国鉄の古い木造の駅舎があった。
誰も居ない鄙びた駅だった。
ホームのベンチでずっと待っていると遠くからディーゼル機関車が牽く
茶色やくすんだブルーの長い編成の列車がやって来た。
僕はそれに乗って帰ってみることにした。
木やオイルの匂いのする誰も乗っていない列車はゆっくり、ゆっくりと
畑の中を走り始めた。


撮影 キャノネット(初代)、ネオパン

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする