『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

ようやく書類送検・・・元院長であれ高齢であれ手加減なしの厳罰を・・・。

2019-11-10 05:51:09 | 喜怒哀楽をポジティブに
今年4月、池袋にて暴走し、親子二人の命を奪い、10人もの人たちに
傷害を負わせた飯塚幸三の事件に対し、警視庁がようやく来週あたりに
書類送検する方針・・・という報道があった。


この事件については他の同様の事故と比べて余りにも遅い対応に
私も世論同様、何度もこのブログで早期解決と容赦ない厳罰を・・・と
訴えてきたが警視庁は半年以上も経過するのに今頃になって近々に
[過失運転致死傷]の疑いで書類送検の方針だという。(方針とは何事だっ)

歩行も困難な状態であり、医師から運転を停められていたにも拘わらず、
車に乗り、殺人と傷害を与えたことは紛れもない事実であり、疑いの余地も
ないのに『過失運転致死傷の疑い』とは?・・・
『過失運転致死傷』ではなく『危険運転致死傷』」ではないのか。
杖を突かなければ歩けないような状態で運転すればどうなるのか・・・
事故が起きることは充分予測されたはずであり、その奢りは『未必の故意』の
殺人にあたるものだと考えられる。

飯塚幸三は『常にお詫びの気持ちを持っている』、『被害者に申し訳なく
思っている』と言いながらも自分の犯罪は棚に上げ、車の構造が
問題であるかのように『車の改善が必要』と主張し、『安全な車を開発する
ようにメーカーの方に心がけていただき、高齢者が安心して運転できるような、
外出できるような世の中になってほしい』などと言っているようだ。

一部わからないでもないが、『あなたが言うことではないだろう・・・』と
言いたい。

奥さんとお子さんを亡くした松永さんの計り知れない苦しみや、怪我を
させられた大勢の方々の心身の苦しみや痛みを考えると言い訳や
言い逃れを言ってる場合じゃないだろう。
奢りから与えた傷害が被害者に大きな障害として残るかもしれないのだ。

自ら潔く『お縄を頂戴』すべきだと思うのである。
よく言われていることだが「忖度」は勿論のこと、「受賞」も「高齢」も
関係なく「厳罰」に処してほしいものである。
情状酌量や、執行猶予などがあってはならない。
『即刻牢屋行き』が妥当だろうと思う。

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自民党の疑惑議員や不祥事議員=詭弁を弄し言い逃れ・・・の構図は続く。

2019-11-08 08:49:57 | 喜怒哀楽をポジティブに
安倍首相を筆頭に自民党や自民系政治家の言い逃れや詭弁や
議論のすり替えは、今や、食事、排便、入浴、睡眠等のように人の
日常生活のようなもの。

相次いで辞任した閣僚の二人、そしてその任命責任を問われている
大嘘つきで卑怯なコウモリ安倍晋三、そのお友達萩生田文科相、
少し前には上野宏史元厚生労働政務官や石崎徹議員の不祥事。
その他にも3回生、2回生の相次ぐ不祥事問題などの例は枚挙に暇がない。

大嘘つきで卑怯なコウモリ安倍晋三は口では任命責任の重さを語るが、
辞めた二人の閣僚に真相を明らかにする為の説明をするよう指示する
こともなく、本人たちの問題だとすり替え、自らも責任らしい責任は
とることもなく、『国民の信頼を回復して、しっかりと行政を前に進めて
いくことにおいて責任を果たしていきたい』と毎回おなじ事をぬけぬけと
言い、今回も言い逃れをしようとしている。

過日、朝日新聞の「声」の欄に静岡県の高校講師法月孝男さんの
『気になる政治家の言葉の軽さ』という投稿記事があった。

法月さんが仰るように『説明責任は私にあります』という言葉は
安倍晋三が言うまでもなく誰でも知っていることであり、その責任を
どうとるかが重要・・・という声は多くの国民を代表するものであり、
「真摯」という言葉が軽く使われていることについても「真摯」という
言葉を聞くたびに即、『適当に受け流します』と変換する・・・
謝罪会見での「真摯」の使用禁止を提案するという意見もまさに
そのとおりであると思う。

安倍首相をはじめ自民党の議員らしからぬ議員の謝罪はいつも
空疎なもので詭弁、言い逃れに終始しているがこの悪の構図を
いち早く断ち切って信頼できる状況にできるのは何時の事なのか。
国民の為に立ち上がった筈の議員たちよ、私利私欲や保身を捨てて
本来の姿を取り戻すために、自信を持って悪人らに立ち向かえ・・・と
私は言いたい。
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一人一人が食品ロス問題を考えれば・・・

2019-11-07 11:24:40 | 喜怒哀楽をポジティブに
まだ食べられるものが日々大量に捨てられているという「食品ロス」、
日本では年間643万トンものロスが発生しているという。

わかりやすく言うと国民一人当たり毎日茶碗一杯のご飯を無駄に
捨てている数字と言うことになるようだ。

アフリカをはじめ世界各地には飢餓に苦しむ子供たちが数多くおり、
飢餓人口が増え続けていることを忘れてはいけないと思う。

コンビニ大手のセブンイレブンやローソンでも廃棄ロスに取り組んでいる
ことが伝えられているが今朝の新聞に食品ロスの削減は働き方改革でもある・・・
という記事があった。

記事によれば日本人は見た目に厳しく、農家が収穫しても規格外で
出荷されないものもたくさんあるとのこと。
また消費者優先の為か販売店では棚には常に新しい物、新鮮なものを
並べ、賞味期限内でも撤去するという。

『捨てられるものを最初から作らなければ働く人はもっと楽だし、資源も無駄にならなかった』と食品ロス問題専門家の井出留美さんは発想の転換を促している。

また料理研究家の土井善晴さんは『食べられないほどのものを買っては
いませんか』と問いかけ、食べ物にストレスや不安の解消を求めたり
加工食品に頼る暮らしをしたりする人が増えたことについても
『人間が料理をしなくなった影響は大きい』と感じているそうだ。

土井さんはまた『子供も一人暮らしの人も、ご飯と味噌汁が作れれば
自分に自信がつく。無駄を出す暮らし方は選ばなくなるでしょう』とも
話している。

過日の新聞でも昨年土井さんがツイッターに朝食の写真を投稿し、
物議を醸したことが報じられていた。
それは三重県の和菓子「赤福」と味噌汁についてだが・・・・。
『正しい日本の朝食ではない』『健康に悪そう』という読者の反応に
土井さんは『何言うてんねん。石頭やな-』『家の中の多様性を認めてください』と
切り返し、「背中を押された」「救われた思い」などと沢山の支持を得たという。

土井さんがどうして家の中の多様性を大切にするのか・・・の
インタビューをしたジャーナリストで作家でもある中原一歩さんは
土井さんの『家にあるもんを食べる、当たり前のこと、普通のことだと
思いますよ。赤福だって早く食べないとダメになるし、勿体ないでしょ』
『なんでみんな一緒の朝ごはん食べなあかんのですか(中略)
自分と違う考えを持っている人が気になるのは、ほんまに
弱い人です』という言う言葉の中に日本人の多くの人が縛られている
無意味なルールのようなものがあぶり出し、何をどのように食べるか
各家庭違っていいし、自由でいいというメッセージは多くの人を
開放すると伝えている。

料理研究家土井さんの言葉には食品ロスの削減に繋がるごく自然な
日常が大切であることを感じる。

全国にあるファミリーレストラン「デニーズ」では今年の春(4月)から
食べ残した料理を持ち帰ることができるようになった。
以前は衛生上懸念されることから持ち帰りは原則的にダメだったが
食品ロス削減のために一定の条件付きでルールを変えたのだという。

それは持ち帰りの申し出があった場合「持ち帰りは客の責任において」
というような説明文を確認してもらう。
「持ち帰り用の容器、ポリ袋、保冷剤などは店側で用意する」
「容器への詰め替えは客が自ら行う」ということで持ち帰る食材は
客の判断によるもの…ということらしい。

デニーズでは食べ残しを減らすようにライスの小盛りにも対応し、
同社が運営する喫茶店などでも食品ロス削減のために持ち帰りが
できるようにしている。

居酒屋などを運営する「ワタミ」でも持ち帰りに対応し、長野県では
かなり前から『食べ残しを減らそう県民運動』という活動があり、
中華料理店などでも持ち帰り用の容器を用意しているという。
更に食べ残すことを想定し、『持ち帰り用の容器を持ち歩こう』という
消費者側からの運動もあるとのこと。

年間の食品ロス643万トンのうち外食産業から出るものは133万トン
以上もあり、食べ残しによるものがその60%を占めるという。

食中毒予防には最大限の注意を払っての持ち帰りや、「食べきり」
「小盛メニュー」の選択なども含め、我々一人一人が食品ロスを考え
ながら食事を楽しくすることを考えたいと思う。
まさに一人一人の小さな心がけで食品ロスは大きく削減できるのだから。
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熟語や慣用句、故事、ことわざの誤用が気になるが・・・

2019-11-06 08:14:29 | 喜怒哀楽をポジティブに
若者たちの熟語や慣用句、故事、ことわざの誤用や間違った言い方、
本来の意味とは違う意味での使い方を私は残念に思うことがあるが、
現代ではその由来よりも『言葉は進化するもの・・・だから新解釈を
認めるべき』という説も広まっているようだ。
果たしてそれでいいのだろうか?

私たちは子供の頃から親や先生から漢字や言葉の読み方や意味などを
きちんと正しく教えられてきたと思う。

ところが最近はその成り立ちによる本来の意味や使い方が疎かに
されているような気がするし、熟語や慣用句、故事、ことわざなども
誤用によって一部ではそれも認められてしまうというような残念なことも
起きているようだ。

こんなことを分かったように言う私自身も恥ずかしながら40代の頃まで、
『姑息(こそく)』の本来の意味を知らず、『間、髪を容れず』の意味は
わかっていたが『かん、はつをいれず』という正しい読み方ではなく、
『かんぱつをいれず』と読んでいた。

『姑息』については私以外にも狡いとか、卑怯とかという意味で理解
している人が多いのかもしれないが、本来の意味である『一時しのぎ』という
意味で使われるケースがだんだん少なくなり、誤用が誤用ではないように
理解されているのだろうか。

『間髪を容れず』についても間と髪の間を区切った表示ではなく
間と髪を続けて書き、かんぱつと読んでも不思議ではないので
私もかんぱつと読んでいたが、指摘された時には自分でわかっていた
つもりの意味を初めて本当に理解できたようで、恥ずかしさと共に
知る喜びを大きく感じた。

最近では少なくなったのかもしれないが、有名人でも下記の使い方を
間違う人がかなりいた様な気がする。
『名誉挽回』と『汚名返上』を混同し、有名人でも『汚名挽回』と言ってる
様子を今も時々見ることがあるが、二度と着せられたくない汚名は
返上するものであり、決して挽回するものではないことは文字からも
理解できる筈・・・。「汚名」「名誉」という音声が混同を招くのだろうか。
やはり文字を書くことの大切さがわかるような一例ではないだろうか・・・。

また最近は若者に限らず大人でも『ヤバイ』という言葉をいい意味でも
悪い意味でも使うことが多いようだ。

『全然』もそうだと思う。
私たちは『全然』の後には打消しや否定的な言葉がつく・・・「まるっきり」、
「まるで」、「全く」、「少しも」・・・というような場合に使う言葉として習ってきたと
思うのだが最近は『全然いい』『全然大丈夫』などのように肯定的な表現
として使われることも多いようだ。

私は肯定的な表現に使うことには抵抗があるが歴史上では日本語に
関する言論誌の中でも肯定的な表現で使われているということもあり、
夏目漱石や石川啄木、芥川龍之介の作品にも「全然プラス肯定」の
表現が使われているという。

言葉は時代と共に進化したり使われ方が違ってもそれを受け入れると
言うのも一理あるとは思うが間違った使い方はやはりやめるべきでは
ないだろうか。
例えば・・・
『しおどき』はもともと物事をするのにちょうど良い時と言う意味が
「終わりの時」「引退や引き際」という意味で使われることが多く、
ちょうどいいタイミングという意味では使われることが少ないかも・・・。

『さわり』も話などの最初の部分ととらえる人が多いようだが本来は
話などの要点であり、これも誤用されることが多いのではないか。

『檄を飛ばす』は「檄」を激励の「激」と間違えているものと考えられるが
「檄」には激励やひとを励ますと言う意味はなく、元々は木札に書いた
文書のことで人々を呼び集めたり、同意を促すことで口頭で伝える
ものではなかったようだ。
しかし現在ではスポーツの世界でも監督やコーチなど指導者が
叱咤激励する場面で「檄をとばす」と間違った表現が当たり前のように
使われているようだ。

『鳥肌が立つ』も本来の意味の寒さや恐怖によるものとは違う使い方で
例えば、演奏や演技、奇跡的な逆転勝利の場面など物事に大きく感動
した場面でも使われているようだがこれも間違い。
『悲喜こもごも』も正しくは一人の人間の心情、心境や感情を表わすときに
使う言葉で、複数の人の喜びや悲しみを表現する言葉として使うのは
これも間違い・・・。

これらは以前に比べて本を読むことが少なくなってきたからだろうか?
それとも話し言葉が主となり読んだり書いたりということが少なくなって
きたからだろうか?
若い人たちでもきちんと正しく使い分けている人たちも少なくないとは
思うのだが…
現在はパソコン、スマホなどでも素早く意味や由来などを調べることが
できるのでも言葉についても、もっともっと上手く活用すればいいと思う。

したり顔する高齢者の自己満足と思われるかもしれないが、何事も
正しいことを知ることは決して無駄ではないし、自らを反省したり
鼓舞するためにもいいことだと私は思っている。
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妻の質問に「我が意を得たり・・」とやや得意げにペンチ、プライヤー、 ニッパ等を説明。

2019-11-04 07:54:18 | 喜怒哀楽をポジティブに



昨日、私が椅子の修理に使った大きめのプライヤーとドライバー類を
リビングに置いたまま自室に戻る時、背後から妻の『お父さん、ペンチを
忘れてますよ・・・』と言う声。

ふり返り、受け取ろうとすると、『これは大きくてもペンチでしょ?』という質問。
工具類を扱うことのない妻に教えても仕方のないことかも?・・・と思いながらも
少し血が騒ぎ、自室から数種類の同じような工具を取り出し妻のもとへ・・・。

少し血が騒ぎ…というのは・・・私は子供の頃から色々な物の修理や
改造のようなことが好きで、家庭内の道具や備品、自転車や電気製品、
車やその装飾品、機能改良などありとあらゆる物の修理や簡単な工事を
資格(電気工事等)の要らない範囲内でしており、機会あるごとに道具、
工具を買い揃えてきてその為の道具、工具の種類や数は一般人がもつ物とは
思えないほど多く持っているので工具のことを聞かれるだけで血が騒ぐ
思いなのである。

スパナ類、ドライバー類、レンチ、ラチェットレンチ類、ハンマー類、鋸類、
電動ドリル類とその各種刃、その他諸々、本当に数えきれない・・・・
自分でもよくもこんなに集めたものだと感心するくらいである。

それらの工具類は同種類のものも数多くあり、20個以上もの工具箱に
整理整頓して入れ、空中ベッドと言われている高く揚げた私のベッドの下に
収納してあるためしょっちゅう自室への出入りとなるのだが・・・

その中から妻が一瞬でも関心を持ったと思われるペンチ・・・ということで
添附写真の電工ペンチ、圧着ペンチ、配線用電工ペンチ、ニッパ、ラジオペンチ、
コンビネーションプライヤー、ウォーターポンププライヤ-、バイスプライヤー、
丸ペンチ、などを出して妻に見せながら用途を説明・・・

妻はわかったようなわからないような・・・
完全にはわからなくてもそれぞれの形による働きを少し楽しそうに聞いていたので
私も少し嬉しくなり、一つ一つを説明しながら丁寧にしまい込んだのである。

小さな修理や加工をするときにでも私はノギスを使ったり、水平器を使ったり
することが多いので妻も普段から何のための道具か不思議に思うことが
多いらしいが、聞いてくることが珍しいので今回は私も血が騒ぐ一瞬を大切に
したいと自分自身も思い、ついつい力が入ったのかもしれない。
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11日ぶりの筋トレだったがやはり心身ともに終始充実感が・・・

2019-11-03 09:31:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
一昨日、久しぶり(11日ぶり)にジムでの筋トレを行った。
私の通っているスポーツ総合センターは「公益財団法人埼玉県スポーツ協会」が
運営するアリーナ、多目的室、体育実習室、トレーニング場、テニスコート、講堂、
研修室、映像設備、宿泊施設などを備えたスポーツ、レクレーション、、研修、会議、
宿泊などに利用できる大規模な施設であり、日々いろんな種目の競技会なども
行われている。
大浴場もあるようだが・・・見たこともない。
そして隣接する県立の武道館やアイスアリーナなどを合わせると広大な
面積の一大施設になる。

私たちのように個人的にトレーニング場を利用する場合の料金も
1日(9時から21時まで)200円で数多くの機器が揃っており、大きな
トレーニングルーム2室で老若男女それぞれが自分が好きな、或いは
自分に合ったトレーニングや運動ができるようになっている。
トレーニング場にはシャワー室も完備されており、私はまだ一度も使用
したことはないが利用する人も多いようだ。

私は月曜日と金曜日(たまには水曜日も)に行っており、同じ日に
利用する仲間たちとの会話も楽しい。
シフト勤務の若い人達ともお互いに体を鍛えたり、トレーニングを
楽しむ為の情報交換やその楽しみなどもあり、2時間ぐらいは
あっという間に過ぎるという感じである。

センターの開所時間は9時なのでちょうどそのころに入館することに
しているが、9時ちょうどに館内に唱歌『牧場の朝』のBGMが流れてくる。

日常生活では縁遠いと思える牧場だが曲が流れると何故かスムーズに
歌詞が浮かんで出てくる。
BGMが終わってもシューズを履き替えながら思わず2番の歌詞の
『もう起き出した小舎小舎の あたりに高い人の声 霧に包まれ 
あちこちに 動く羊の幾群の 鈴が鳴る鳴る りんりんと』が、口をついて出る。

そして更衣室へ向かいながら3番の『今さし昇る日の影に 夢からさめた森や山 あかい光に染められた 遠い野末に 牧童の 笛が鳴る鳴る ぴいぴいと』が
声にならない声で・・・・
70年ほども前に歌った小学唱歌を今もはっきりと覚えていることに自分
自身が感動・・・

毎回聴くBGMだが一昨日は特別心に響き、さあ、今日も楽しみながら
怪我のないよう鍛えよう・・・と思うと気持ちも充実するようだった。

あの頃、先生は歌詞の意味を説明するときに牧場の朝の光景、情景を
丁寧に、生徒一人一人に教えてくれたからだろうと思うと先生の笑顔と
古い黒板が目に浮かぶようだ。
























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またもや安倍政権の疑惑のデパートの一部が明るみに・・・

2019-11-01 08:26:28 | 喜怒哀楽をポジティブに
一週間で二人の閣僚の辞任・・・これからも続くか辞任ドミノ。
菅原経産相に続く河井法相の辞任は当然のことだが妻の河井安里議員は
この期に及んでも悪びれる様子もなく、過去多くの議員も使ってきたような
常識では通用しない釈明で言い逃れをしようとしている。

何故安倍政権のお友達内閣の閣僚たちは次々と悪事がばれても
図々しく生き残ろうとするのだろう。
自民党の中にも清廉な人物はいるだろうと思うが、何故安倍晋三に
反旗を翻さないのか?

自民党にもいろんな縛りがあるとは思うが、国民から選ばれた議員が
正しいと思うことを言えないとは情けない。
安倍晋三の顔色をうかがいながらひそひそと話すなどと言うことが
あってはもはや議員としての資格はないと思う。
堂々と正面切ってあの悪人の濁った眼をにらみ返し、自分の信じる事を
主張すればいいのだ。

自分はどういう思いで、何のために議員になったのかを振り返り
本来の議員の仕事をよ~く考えてほしいのである。
保身や出世のため、或いは金を含む私利私欲のため・・・と自認している
輩には望むべくもないが・・・
真に国や国民の為を思うのなら野党と一緒に決起してほしいと
思うのである。

大嘘つきで卑怯者のコウモリ安倍晋三が自分の意のままに動かせる
人物を閣僚に・・・と言うのは今や珍しいことではないがその閣僚たちが
悪事をはたらき、本来の仕事や責任を全うしないまま辞任し、問題を
有耶無耶にしてしまったケースのなんと多いことか・・・
この記事をご覧の皆さんもこの許しがたい下記の事件の一つ一つを
思い出されることだろう。

☆行政改革担当相佐田源一郎(政治団体の事務所費問題)
☆松岡利勝農相(事務所費・高熱水費・献金問題)
☆久間章生防衛相(原爆投下をしょうがない‥と発言)
☆赤城徳彦農相(事務所費問題)
☆遠藤武彦農相(補助金不正受給問題)
☆小渕優子経産相(政治団体の不明朗な政治資金支出問題)
☆松島みどり法相(選挙区でのうちわ配布問題)
☆西川公也農相(補助金が決まった企業からの献金問題)
☆甘利明経済再生担当相(建設会社からの金銭授受問題)
☆今村雅弘復興相(東日本大震災を「まだ東北でよかった」発言)
☆稲田明美防衛相(スーダンでのPKO部隊の日報隠ぺい問題)
☆江崎鉄磨沖縄・北方担当相(体調不良?)
☆桜田義孝五輪担当相(復興以上に政治家が大事と発言)
☆菅原一秀経産相(地元有権者への金品配布問題)
☆河井克行法相(妻の河井安里議員の公職選挙法違反疑惑問題)

このように問題を起こしたり、悪事がばれたりして辞任した議員や
離党した議員が実に多い。
悪評の高い2回生、3回生の事件などをあげれば枚挙にいとまがない。

閣僚が追い込まれ、辞任するたびに大嘘つきで卑怯者のコウモリ
安倍晋三は『任命責任は私にある・・・』と口先で言うだけで責任ある
行動は全くとらないのも恒例化してしまっている。

国民をバカにした、まさに増長と奢りの最たるもので、これは許しがたい
どころか総理大臣の職を辞すると共に議員も即刻やめてもらわなければ
ならないような大事件であると思う。

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