『いつも、いつでも元気炸裂!』

どんな環境やどんな状況でも、どんな人とでも明るく元気な笑顔で交流するよう心がければ自他ともに更に元気な心が増幅します。

狭庭にも季節の移ろいやその声が・・・

2023-05-21 16:52:15 | 喜怒哀楽をポジティブに
昔の仲間たちと一緒に箱根へバイクツーリングに行き、以前から憧れて
いた寄せ木細工を手に取り、自分でも作りたいと思っているところで
残念ながら目が覚めた。時計を見ると5時45分だった。

リビングのカーテンを開けて外を見ると太陽は出ていなかったが
外は既に明るく空にも次第に青空が広がりそうな気配を感じた。

過去に何度も書いてきたが私は毎日のようにたくさんの夢を見る。
夢を見る理由や睡眠のメカニズムなどについても学んで(?)きたが、
早朝にみたこの夢は何が由来だったのだろうと考えてみた。

それはおそらく・・・
ブログ友「よう爺さん」さんの昨日の記事が頭に残っていたのと
昨日、私が使っている棚の中を寄せ木細工風に整理して一人悦に
入っていたからかもしれない。

「よう爺さん」さんの記事には1000㏄のバイクに乗る美人の
新人職員さんが入ってきたことでバイク好きの「よう爺さん」さんと
新人職員さんの話が盛り上がり嬉しかった様子が書かれており、
同じくバイクや車好きの私とも以前から馬が合っていたので、
「よう爺さん」さんとのコメントなどを思い出し、
私が手放したあの大型バイク(ビラーゴ1100)は今も変わりなく
薫風の中を快適に走っているだろうか・・などという楽しいことが
記憶に残っていて夢に繋がったのではないだろうか。

朝食を済ませるころには陽射しも少し濃い影を落とし始め気温も
上がってきたようだった。

青空と陽射しに誘われて庭に出てみると狭庭ながらそこには草花の
細かい息遣いと葉の生い茂ったハナミズキや木蓮の少し落ち着いた
ような呼吸が聞こえるようだった。

椿など光沢のある葉は特にイキイキと光を反射させていた。
椿の葉の先端の尖った部分が特にキラキラと・・・
それに負けじとばかりにあちこちから顔を出した椿の若い実もその緑の
部分を精一杯太陽に向けて輝いていた。
既に大きくなった実には風などによって葉や枝とこすれた傷痕なのだろうか
カサカサとした乾燥したような茶色の部分も見えた。

そのベテランのような大きい実たちは柔らかい風に身(実)を揺らしながら
周りで顔を出した小さく若い実たちに『今日はこんないい天気だけど
これからは・・』と風雨に堪え、新しく生きることを教えているようでも
あった。

私はこうして時々、大自然やそこにある樹々や木々、草花などを擬人化
してその様子を笑顔や話声、笑い声、歌声などに喩えて表現しているが、
それらと向き合っているとそんな気がするのである。

実際にはありえないことでもそう思い、そう感じて観察(?)すると
いろんなものが見えてくるような・・また聞こえてくるような気がするのだ。

これはスピリチュアル的なものなどではなく、スピリチュアルとは
無縁の私・・ただ単に私のたわいのない楽しい妄想のようなもの・・・
花たちの声を聞く・・という気持ちが自分自身嬉しいのである。

何に対しても明るい気持や楽しい気持ちで見ればそこから受ける印象も
必然的に良くなるのではないだろうか・・・

むろん、特別意識したこともなく、ごく自然にそう感じるのでつい
無意識の会話となるのである。
この幼稚かもしれない私の妄想に相槌を打ってくださるような
ブログ友もいらっしゃることから私も勇気(?)をもって木や花と
無言の対話ができるのだ。

こうして我が家の狭庭からも話声、笑い声、歌声が聞こえてくる。

野に咲く花のように      ダ・カーポ

野に咲く花のように 風に吹かれて
野に咲く花のように 人をさわやかにして
そんな風に 僕達も生きてゆけたら すばらしい
時には 暗い人生も
トンネルぬければ夏の海
そんな時こそ
野の花のけなげな心を知るのです

野に咲く花のように 雨にうたれて
野に咲く花のように 人をなごやかにして
そんな風に 僕達も生きてゆけたら すばらしい
時には つらい人生も
雨のちくもりでまた晴れる
そんな時こそ
野の花のけなげな心を知るのです
ルルルル…ルルルル…
コメント (6)
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