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ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

幼き頃の想い出 PrtⅡ

2015年02月16日 | 日記
 幼少の頃、祖母の語る”お話し”を聴きたくて”寝間”を同じにしていた事は日記にした。
 思い出される二話目は「チャックリガキフ」と言うフレーズで語られた、祖母の”お話し”である。
 祖母なりに拍子をつけて語る”お話し”が可笑しく・好んで聴いていた様に記憶している。
           ・
 時代は”昔”
 主人公は、物売り(行商)の少年である。
 そして、主人公の家庭環境(*)については、祖母の語る物語(お話し)に設定されていたか記憶にない。
    *:少年が行商しなければならない家庭環境
 要するに、私が記憶しているお話しの舞台は”物売りをする街中”となる。
 「お茶(葉)はいらんかなぁ!」
 「栗はいらんかなぁ!」
 「柿はいらんかなぁ!」
 「麩はいらんかなぁ!」と、大声を出して行商に励んでいた。
 ある日「一つ一つ(商品名を)云うのは面倒だなぁ!
 よっしゃ!これでいこうと思い附いたのが「チャックリガキフ」である。
 「チャックリガキフ!」 
 「チャックリガキフ!」と大声で行商した。
 そうしていると「ボン(坊)何を売っているんや!」と声を掛けられた。
 「判らんかなぁ!」
 そして、一計を講じた。
 「チャックリガキフ! チャは茶で別々・クリは栗で別々・カキは柿で別々・フは麩で別々!」
 結局は、複雑になって、手間がかかる事に気付いた、と言う内容であったと記憶している。
 いま、思うと行商する品目も、どうなんだろう?と考えさせられる。
 「労して功なし」の御話であったのだろうか?
             ・
 当時の娯楽としては「紙芝居」が一般的であった。
 思い出される紙芝居の題材は「黄金バット」であろうか?・・・
 しかし、紙芝居屋さんが来た合図の拍子木の音を聴いても、小遣いが無ければ、観に行く”後ろめたさ”もあったことを思い出される。
 時折、母におねだりして、小遣いをもらって、水飴(ギョウセンと云っていた様に思う)を買った。
 オマケに、赤や青の色粉をつけてもらって、三本の箸(棒)で起用に捏ねていた。
 水飴を販売する”紙芝居屋”のおじさんや、買った水飴を捏ねる私達は、決して衛生的であったとは、云えなかった。
 やがて、小学生の頃になると、NHK・新諸国物語(注)と言う、ラジオ番組があり、熱中した。
 月曜から金曜日の、18時30分~45分に放送されていた。
 父の商売上、来客との会話であったり、作業の騒音(ガス溶接であったり、グラインダーの音など)が家中にはあった。
 特に来客中にラジオの音量を大きくする事は、母に注意されていた。
 ラジオは箪笥の上にあった。
 音量を大きく出来ない事から、私の”耳”を近づけるしかなかった。
 箪笥の引き出しを階段代わりにして、ラジオのスピーカーに耳を近づけて聴いていた。
 それは、高学年になり、箪笥を倒すまで続いた。
 そして、中学生になった頃には、TV放送での「番頭はんと丁稚どん」や「びっくり捕り物帳」に移行していった。
 当然、家にはTV受像機等は無く、電気店の店頭であったり、知り合い(父の門下生だった人)の家でしか、観る事は出来なかった。
 高校生の時代には「力道山」のプロレス中継に熱中する事になる。
               ・
 時代は進み、東京オリンピックで始まったTVのカラー放送(全国中継網)の一員になるとは、幼き当時としては予想だに、しなかった事であった。
 そして、祖母の語る”お話し”が唯一の娯楽であった、幼き当時を、思い出されるのである。
               ・
 注:「新諸国物語」には、白馬の騎士・笛吹き童子・紅孔雀・オテナの塔、などが思い出される。
 
  


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春よ来い!

2015年02月16日 | 日記
 昨日(15日)は、久し振りに屋外の景色と、春を思わせる”カゼ”を肌に感じた。
 幾度と無く、通過し・見慣れた風景ではあっても”表情”が違って見えた。
 そして、3kmに余って土手に咲く「菜の花」に、春の訪れを知った。
 年末から、塞ぎこむ気持ちに負けていた。
 良い刺激になった昨日の、ショートなツーリングであった。
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