ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆人の思い・・

2014年05月09日 | 日記
 昨夜(8日)は月例会があり、出席した。
 二時間の間、飲んで、話して、食べて、嫌な事も忘れる時間の経過であった。
 その中で、喫煙についての会話があった。
 私は、20年ほど前に”煙草を吸う”ことをやめている。
 現役時代の毎年、年度が改まる前後は、忙しくなる。
 年度末処理で、会計処理の必要があった。
 加えて、配置転換(転勤)に時期でもある。
 20年程前・年度末処理も略、終えた時、転勤の辞令があった。
 その年は、多忙であったことから、体調を崩し風邪をひいてしまっていた。
 当時・私は、一日あたり、20本程の煙草を吸っていた。
 喉が痛くて、喫煙できる状態ではなかった。
 転勤も、初めての単身赴任でもあり、この際、煙草を(吸うこと)辞めようと誓った。
 それ以降、人が喫煙していようが”吸いたい・欲しい!”と思った事がない。
 そして、他人が吸っている煙草の煙さえも嫌うようになった。
 私は、煙草を吸うことを辞めるということは、この様な行為と思っていた。
 昨夜の会話のなかで”(禁煙でなく)お休み中”と言う仲間がいた。
 その者も、20数年前までは、一日あたり二箱(40本)程度の喫煙をしていたという。
 しかし、健康上の問題?(理由は忘れて定かではない)から辞めたらしい。
 「もしも、明日、死ぬ!」と云われたら「”缶ピ(缶入りのピース)”を買って、好きなだけ吸って、缶ピを左手に持って死にたい」と云った。
 「吸いたい」という思いと、「吸えない」という思いが葛藤しながらの日々があって、吸えないという箍(タガ)が外れると、一気に”吸いたい”思いを成就させる。
 これって最高の贅沢!?
 最後の最後まで、楽しみを摂って置く。
 その楽しみも「煙草を吸うことを再開する」と言う、自分の気持ちに背く事ができさえすれば、今からでも出来るものである。
 ある時までは吸わないぞ!とする意志の強さなのか?
 吸いたい気持ちに耐えることで、喜びが大きいという期待感から”(煙草を吸うことの)お休み中”なのか?
 私は分からない。
 残り少ない人生の中で、成し遂げたい思いは”手間隙かかる”ものと思っていた。
 私にも、彼の様な”望み・思い”は有るのだろうか・・・・
 今際の際となって「煙草が吸いたい」「美味しいもが食いたい」等々と云ったものが、私には見当たらない。
 彼は、最後の最後に、例え、立っていようが、寝ていようが実行できる’楽しみ”を明確に持ち合わせている事に羨ましいと、考えさせられた。
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