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藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)

2018-02-12 | 書評「ふ」の国内著者
藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)

清流とゆたかな木立にかこまれた城下組屋敷。普請組跡とり牧文四郎は剣の修業に余念ない。淡い恋、友情、そして非運と忍苦。苛烈な運命に翻弄されつつ成長してゆく少年藩士の姿を、精気溢れる文章で描きだす待望久しい長篇傑作! (「BOOK」データベースより)

◎時代小説の第4位

藤沢周平『蝉しぐれ』(文春文庫)は、時代小説の枠を越えた偉大な作品だと思っています。藤沢周平『たそがれ清兵衛』(新潮文庫)や『漆の実のみのる国』(上下巻、文春文庫)も捨てがたいのですが、代表作として『蝉しぐれ』を推薦させていただきます。

山本一力・縄田一男・児玉清『ぼくらが惚れた時代小説』(朝日文庫)によると、藤沢周平は作家別のランキングで3位に選ばれています。ちなみに1位司馬遼太郎、2位吉川英治、4位池波正太郎、5位山本周五郎となっています。
作品別ベスト10は、1位司馬遼太郎『坂の上の雲』(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)、2位司馬遼太郎『竜馬がゆく』、3位吉川英治『宮本武蔵』、4位藤沢周平『蝉しぐれ』、5位池波正太郎『鬼平犯科帳』となっています。

『蝉しぐれ』は多くの読者から、圧倒的な支持を受けた作品なのです。その人気の秘密について、北上次郎は次のように書いています。

――自然とともに生きるそういう生活を見失った現代小説では描けないことを、時代小説の衣装を付けることで描いていくのである。(北上次郎『面白本ベスト100』本の雑誌社P183)

北上次郎がいうように、現代文学で「初恋」や「友情」を描いても、自然のなかにそれらを添えるのは難しいと思います。これらの作品で唯一評価しているのは、森詠『那珂川青春記』(集英社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)くらいです。本書には自然が満載されています。

◎下層階級を主人公に

藤沢周平(1927-1997)は同時代の時代小説作家とは、異なる路線を歩みました。吉川英治(1892-1962)は年上ですが、司馬遼太郎(1923-1996)や池波正太郎(1923-1990)とは、ほぼ同時代に文壇で活躍しています。藤沢作品の特徴について、触れた文章があります。

――藤沢作品は大きく「武家もの」「市井もの」「伝奇小説」「歴史小説」に分けることができるが、歴史小説を除いて、権力者が藤沢作品の主役になることは少ない。作品を彩る大半の人物が、下級武士や市井に生きる民衆なのである。(洋泉社MOOK『死ぬまでに読んでおきたい・国民的作家10人の名作100選』洋泉社P207)

藤沢周平が下層の主人公にフォーカスをあてたのには、彼の生きざまに起因しています。藤沢周平は、娘を産んで間もなく先妻を亡くしてしまいます。娘(遠藤展子)には、『父・藤沢周平との暮し』(新潮文庫)という著作があります。そのなかに、藤沢周平らしい逸話が紹介されています。

――父は父で、亡くなった母のことを今の母にきちんと話してくれていたので、母も仏壇にきれいな花を飾り、命日にはいつもお経をあげて、大切に供養してくれています。(遠藤展子『父・藤沢周平との暮し』新潮文庫P22)

藤沢周平は誠実な人です。その人柄については、いろいろな人が書いています。1例だけ示します。

――いま読んでもやはり楽しい笑いが仄々と読者を包む。藤沢さんのお作品は人の鬱懐をほぐすような明るさと暖かみがあるが、それは氏が人しれずかくし持っていられるユーモアやお茶目なこころから出るのであろう。(田辺聖子『楽老抄・ゆめのしずく』集英社文庫P290)

◎時代小説の枠を越えた『蝉しぐれ』

『蝉しぐれ』の魅力を語った、秋山駿の文章を紹介させていただきます。秋山駿は丸谷才一から、本書を紹介されています。丸谷才一は藤沢周平を、並ぶもののない小説の名手、文章の達人と評価しています。

―― 一人の主人公の、生きるための行動がある。その行動と共に、彼の住む町が浮かび上がり、その周りに自然が、風景が拓かれ、その上を時間が、季節が流れ、行動の一歩一歩が掛け替えのない人生の刻みとなり、全体がやがてある運命の戦慄を奏でる。(秋山駿『作家と作品』小沢書店P167)

藤沢周平小説の「美」については、いろいろな人が言及しています。藤沢周平没後十五年の特集「藤沢周平の美しさ」(『オール読物』2012年11月号)という対談(杉本章子+葉室麟)のなかで、2人は次のように語っています。

――藤沢先生の小説の「美」を分類してみたんです。まずは物語の構成の美、人物造形の美、それから描写の美などが思い浮かびますが、さらに「失われた歳月を表わす美しさ」があるんじゃないかと思う。(杉本章子・談。『オール読物』2012年11月号)

――風景描写と聞いて、ぱっと思い浮かぶのは『蝉しぐれ』ですね。あの自然の美しさはどこから来るんだろうといつも考えています。藤沢さんが経験された農村の風景はあるのだろうけど、そこには喪失感が込められていると思うんです。小さい川で何かを洗いながら生活をしているという風景が、今の日本にはもう存在しないわけでしょう。(葉室麒麟・談。『オール読物』2012年11月号)

次の文章は「美しい文章」として、何度も引用されています。紹介させていただきます。

――いちめんの青い田圃は早朝の日射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくりと遠ざかって行く。(本文P12より)

◎3人の少年の成長物語

舞台は藤沢周平が好んで用いる、架空の海坂(うなさか)藩です。海坂藩は東北の城下町にあります。主人公の牧文四郎は、そこに勤務する助佐衛門の養子で14歳。ともだちの小和田逸平、島﨑与之助とともに文武に励んでいます。隣家には娘らしくなってきたおふく12歳が住んでいます。

物語はおふくが指を蛇にかまれて、悲鳴を上げる場面から動きはじめます。駆けつけた文四郎は……。

――文四郎はためらわずにその指を口にふくむと、傷口を強く吸った。口の中にかすかに血の匂いがひろがった。呆然と手を文四郎にゆだねていたふくが、このとき小さな泣き声をたてた。蛇の毒を思って、恐怖がこみ上げてきたのだろう。(本文P13)

平穏な日々が流れます。文四郎19歳のとき、父・助左衛門が海坂藩の権力闘争に巻き込まれます。父は切腹を命じられ、文四郎はその亡骸を荷車で引き取りに行きます。家禄は減らされ、周囲からは罪人の子として、冷たくあしらわれます。

豪放な性格の小和田逸平は、城勤務で多忙をきわめています。学才に長けた島崎与之助は江戸へ留学しています。おふくも江戸へ奉公に出ています。孤独にさいなまれた文四郎は、ひたすら剣術に励みます。そんなとき、おふくが江戸で藩主に手籠めにされたとのうわさも耳にします。

ここから先のストーリーには触れません。ぜひ現代小説では描けない「初恋」や「友情」の物語をご堪能ください。この一冊は読んでいないなら、あまりにももったいないと思います。
(山本藤光:2012.10.10初稿、2018.02.12改稿)


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