村田沙耶香『授乳』(講談社文庫)

その場限りの目新しさなら、もういらない。「文学」をより深めて行く瑞瑞しい才能がここにある。「こっちに来なさいよ」そう私に命令され、先生はのろのろと私の足下にひざまずいた。私は上から制服の白いブラウスのボタンを一個ずつ外していった。私のブラジャーは少し色あせた水色で、レースがすこしとれかけている。私はそういうぞうきんみたいなひからびたブラジャーになぜか誇りを感じている。まだ中学生とはいえ、自分の中にある程度腐った女があることの証明のように思えたのだ。群像新人文学賞・優秀作。(「BOOK」データベースより)
◎秘密の王国の破綻
村田沙耶香(1979年生まれ)が、2016年下期芥川賞を受賞しました。ほぼ同年配の山崎ナオコーラ(1980年生まれ)も候補にあがっていましたが、今回は受賞に至りませんでした。2人は注目している、若手の女性作家です。
村田沙耶香は2003年、『授乳』(講談社文庫)で群像新人文学賞優秀賞を受賞し、文壇デビューを果たしました。山崎ナオコーラは2004年、『人のセックスを笑うな』(河出文庫)で文藝賞を受賞してのスタートです。2人の共通点は、人生のちょっとしたヒダを深掘りする点にあります。
村田沙耶香は『授乳』で、主人公の女生徒あるいは女学生を主人公として、もう1人の脇役との世界を描いています。ところがこの世界は甘い愛の王国ではなく、まるで氷室のなかの様相を呈します。
『授乳』には表題作以外に、2篇が収載されています。表題作「授乳」は、女子中学生と家庭教師の男子大学院生をめぐる物語です。家庭教師の先生には、自傷癖があります。女子中学生は、口数が少なく暗い先生を、支配したいと思います。そのための手段が、自分の乳房を含ませることでした。2人だけの秘密の儀式は、母親に目撃されてあっけなく破綻します。
収載作「コイビト」は、ぬいぐるみを恋人としている、2人の女性の話です。女子大生はホシオと名づけたハムスターのぬいぐるみを抱いて、毎日8時に床につきます。美佐子という名の小学生の女児は、ムータという名のオオカミのぬいぐるみを愛しています。
それぞれのぬいぐるみを抱いた2人は、女子トイレで出会います。女子大生は美佐子の要望にしたがい、ラブホテルに一室をとります。そこで女子学生は、美佐子とぬいぐるみの異常な愛の世界を垣間見ることになります。女子学生は少しずつ、美佐子に嫌悪感を抱き始めます。そして2人の出会いは、少女の飛び降り自殺未遂という、あっけない行為で破綻してしまいます。
本作は新井素子『くますけと一緒に』(中公文庫)の影響を受けていると本人が語っています。村田沙耶香は山田詠美の文体が好きだとも語っています。
「御伽の部屋」は、貧血で倒れたことがきっかけで知り合った女子大生と男子大学生の不思議な世界を描いた作品です。ただし主人公「あたし」の幼いころの経験が、現実世界の進行と交錯します。「あたし」は幼いころ、ともだちの兄・正男の女装パーフォーマンスにつきあわされていました。そして現在は貧血で倒れて介護してもらった男子大学生との、お世話ごっこの渦中にいます。
男子大学生はセックスを求めません。ひたすら「あたし」の世話をすることを好みます。本作も秘密の王国は、最後に破綻します。それは「あたし」が大学生が通う学校へ行って、見かけた普通の男の姿に絶望したからでした。
◎現在に至る萌芽を感じる
『授乳』に収載されている3作は、いずれも小さな世界のちょっとグロテスクな物語です。文章は稚拙ですが、私は村田沙耶香の可能性を感じました。その後の作品『殺人出産』(講談社、初出2014年)や『消滅世界』(河出書房新社、初出2015年)は、デビュー作をさらに発展させた世界を描いています。芥川賞受賞作『コンビニ人間』はまだ読んでいません。しかし今回の芥川賞受賞は、2つの前作が後押ししていることは間違いありません、これらの作品が文庫化された時点で、村田沙耶香の推薦作は変更するつもりです。
村田沙耶香は自分の作品について、次のように語っています。少し長くなりますが、引用させていただきます。
――普段ぼーっとしているなかでも、ささくれのようなものがあるのかもしれません。自分はちくっと感じただけですんでいるんですが、書き始めると、主人公にとってはささくれではすまなくて、傷口になってそこからドロドロしたものがあふれてくる感じです。自分のなかには欠片しかないものが、主人公にとってはものすごく大きなものになる。女性の性に関しても、私は初潮を楽しみにしていたくらいなので違和感はないんですが、それでもちくっと嫌な気持ちを感じることがある。それが、書く作業をしているうちに、主人公の身体中で寄生虫のようにぶわーっと膨らんでいく気がします。それをとことん書くのが好きなんだと思います。(WEB本の雑誌『作家の読書道』より)
スタンダードな世界を、裏返して見ることに長けた作家。それが村田沙耶香です。おそらくデビュー作は、あまり好感をもって受けとめられないと思います。しかし現在に至る萌芽を感じさせてくれる貴重な第一歩です。芥川賞作品を読んだ方は、ぜひ処女作をのぞいてみていただきたいと思います。
(山本藤光:2016.07.22初稿、2018.03.09改稿)

その場限りの目新しさなら、もういらない。「文学」をより深めて行く瑞瑞しい才能がここにある。「こっちに来なさいよ」そう私に命令され、先生はのろのろと私の足下にひざまずいた。私は上から制服の白いブラウスのボタンを一個ずつ外していった。私のブラジャーは少し色あせた水色で、レースがすこしとれかけている。私はそういうぞうきんみたいなひからびたブラジャーになぜか誇りを感じている。まだ中学生とはいえ、自分の中にある程度腐った女があることの証明のように思えたのだ。群像新人文学賞・優秀作。(「BOOK」データベースより)
◎秘密の王国の破綻
村田沙耶香(1979年生まれ)が、2016年下期芥川賞を受賞しました。ほぼ同年配の山崎ナオコーラ(1980年生まれ)も候補にあがっていましたが、今回は受賞に至りませんでした。2人は注目している、若手の女性作家です。
村田沙耶香は2003年、『授乳』(講談社文庫)で群像新人文学賞優秀賞を受賞し、文壇デビューを果たしました。山崎ナオコーラは2004年、『人のセックスを笑うな』(河出文庫)で文藝賞を受賞してのスタートです。2人の共通点は、人生のちょっとしたヒダを深掘りする点にあります。
村田沙耶香は『授乳』で、主人公の女生徒あるいは女学生を主人公として、もう1人の脇役との世界を描いています。ところがこの世界は甘い愛の王国ではなく、まるで氷室のなかの様相を呈します。
『授乳』には表題作以外に、2篇が収載されています。表題作「授乳」は、女子中学生と家庭教師の男子大学院生をめぐる物語です。家庭教師の先生には、自傷癖があります。女子中学生は、口数が少なく暗い先生を、支配したいと思います。そのための手段が、自分の乳房を含ませることでした。2人だけの秘密の儀式は、母親に目撃されてあっけなく破綻します。
収載作「コイビト」は、ぬいぐるみを恋人としている、2人の女性の話です。女子大生はホシオと名づけたハムスターのぬいぐるみを抱いて、毎日8時に床につきます。美佐子という名の小学生の女児は、ムータという名のオオカミのぬいぐるみを愛しています。
それぞれのぬいぐるみを抱いた2人は、女子トイレで出会います。女子大生は美佐子の要望にしたがい、ラブホテルに一室をとります。そこで女子学生は、美佐子とぬいぐるみの異常な愛の世界を垣間見ることになります。女子学生は少しずつ、美佐子に嫌悪感を抱き始めます。そして2人の出会いは、少女の飛び降り自殺未遂という、あっけない行為で破綻してしまいます。
本作は新井素子『くますけと一緒に』(中公文庫)の影響を受けていると本人が語っています。村田沙耶香は山田詠美の文体が好きだとも語っています。
「御伽の部屋」は、貧血で倒れたことがきっかけで知り合った女子大生と男子大学生の不思議な世界を描いた作品です。ただし主人公「あたし」の幼いころの経験が、現実世界の進行と交錯します。「あたし」は幼いころ、ともだちの兄・正男の女装パーフォーマンスにつきあわされていました。そして現在は貧血で倒れて介護してもらった男子大学生との、お世話ごっこの渦中にいます。
男子大学生はセックスを求めません。ひたすら「あたし」の世話をすることを好みます。本作も秘密の王国は、最後に破綻します。それは「あたし」が大学生が通う学校へ行って、見かけた普通の男の姿に絶望したからでした。
◎現在に至る萌芽を感じる
『授乳』に収載されている3作は、いずれも小さな世界のちょっとグロテスクな物語です。文章は稚拙ですが、私は村田沙耶香の可能性を感じました。その後の作品『殺人出産』(講談社、初出2014年)や『消滅世界』(河出書房新社、初出2015年)は、デビュー作をさらに発展させた世界を描いています。芥川賞受賞作『コンビニ人間』はまだ読んでいません。しかし今回の芥川賞受賞は、2つの前作が後押ししていることは間違いありません、これらの作品が文庫化された時点で、村田沙耶香の推薦作は変更するつもりです。
村田沙耶香は自分の作品について、次のように語っています。少し長くなりますが、引用させていただきます。
――普段ぼーっとしているなかでも、ささくれのようなものがあるのかもしれません。自分はちくっと感じただけですんでいるんですが、書き始めると、主人公にとってはささくれではすまなくて、傷口になってそこからドロドロしたものがあふれてくる感じです。自分のなかには欠片しかないものが、主人公にとってはものすごく大きなものになる。女性の性に関しても、私は初潮を楽しみにしていたくらいなので違和感はないんですが、それでもちくっと嫌な気持ちを感じることがある。それが、書く作業をしているうちに、主人公の身体中で寄生虫のようにぶわーっと膨らんでいく気がします。それをとことん書くのが好きなんだと思います。(WEB本の雑誌『作家の読書道』より)
スタンダードな世界を、裏返して見ることに長けた作家。それが村田沙耶香です。おそらくデビュー作は、あまり好感をもって受けとめられないと思います。しかし現在に至る萌芽を感じさせてくれる貴重な第一歩です。芥川賞作品を読んだ方は、ぜひ処女作をのぞいてみていただきたいと思います。
(山本藤光:2016.07.22初稿、2018.03.09改稿)
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