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浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)

2018-02-26 | 書評「あ」の国内著者
浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)

娘を亡くした日も、妻を亡くした日も、男は駅に立ち続けた…。映画化され大ヒットした表題作「鉄道員」はじめ「ラブ・レター」「角筈にて」「うらぼんえ」「オリヲン座からの招待状」など、珠玉の短篇8作品を収録。日本中、150万人を感涙の渦に巻き込んだ空前のベストセラー作品集にあらたな「あとがき」を加えた。第117回直木賞を受賞。(「BOOK」データベースより)

◎『鉄道員(ぽっぽや)』のモデルを探る

 テレビをみていたら、ニュース速報がながれました。俳優・高倉健の訃報でした。このニュースに接して、どうしても高倉健が演じた浅田次郎『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社文庫)の書評を発信したくなりました。

浅田次郎についてはすでに『壬生技士伝』(上下巻、文春文庫)を紹介ずみです。したがって「日本の現代文学125+α」の、「α枠」で発信することにしました。1著者1作品の原則は、曲げられませんので。

『鉄道員』には、8つの短編が収載されています。話題は表題作「鉄道員」に集中しがちですが、「角筈にて」と「うらぼんえ」も秀逸です。この作品集は、ぜひ最後まで読んでもらいたいと思います。ただし電車のなかなど、人前では絶対に読まないでください。ハンカチは必需品です。

 暇なある日、『鉄道員』のビデオをみてしまいました。失敗でした。その後必要があって、再読することになりました。降りしきる雪のなかを、疾走してくる黒い物体(気動車だから黒くなかったかも)が浮かんでしまいます。黒と白の世界に、ぼんやりと赤と黄色の帽子の線もみえます。活字から、色がにじみ出てくるのです。そして精悍な高倉健の顔まで……。

 舞台は廃線がきまっている、北海道のローカル線・幌舞駅。主人公の佐藤乙松は、もうすぐ定年を迎える幌舞駅の駅長です。乙松は妻子が死んだときにも、職場を離れませんでした。仕事一途な鉄道員(ぽっぽや)なのです。

 そんな老駅長の前に、ひとりの少女が現われます。少女は2歳で死んだ娘が生きていた場合と、同じくらいの年頃でした。廃線と定年。純白な雪と黒い塊。死と生。仕事と家族。父と子。現実と夢。これらの対(つい)の世界が、みごとに溶け合います。『鉄道員』は原稿用紙に描いた、完璧なアートだったのです。

 私のペンネーム・標茶(しるべちゃ)というのは、北海道の釧網線の真ん中にある町からいただいています。本当は「しべちゃ」と読みます。父親はそこの助役でした。私は高校卒業まで、線路脇の鉄道官舎で育ちました。それゆえ浅田次郎の描く世界には、特別な思いで感情移入してしまいます。

 私なりに、『鉄道員』の舞台を検証してみたいと思います。舞台を特定するために、いくつかの抜粋を試みてみます。浅田次郎は、空想のなかの舞台だといっています。

――美寄駅へのホームを出ると、幌舞行きの単線は、町並みを抜けるまでのしばらくの間、本線と並走する。/18時35分のキハ12は、日に三本しか走らぬ幌舞行きの最終だ。/終着駅の幌舞は、明治以来北海道でも有数の炭鉱の町として栄えた。/21・6キロの沿線に6つの駅を持ち、本線に乗り入れるデゴイチが、石炭を満載してひっきりなしの往還したものだった。/トンネルの円い出口の中にすっぽりと、幌舞の駅が現れる。/(幌舞駅の)駅舎が死体で一杯になった炭鉱事故、機動隊がやってきた労働争議。(本文より)
 
 作品の中では「幌舞駅は大正時代に造られ」ており、「駅舎が死体で一杯になった炭鉱事故」や「機動隊がやってきた労働争議」の舞台となっています。

 この記述から、北海道の実際の舞台を考えるのはやさしいことです。北海道で起こった大きな炭鉱事故で死者が百人を越え、しかも大正時代以降に照準を合わせると、「大正元(1912)年4月29日、夕張炭鉱ガス爆発・死者267人」以降4回を数えます。

 一方、労働争議では、大正10年2月夕張炭鉱で賃下げをめぐってストライキ。これは間もなく解決しましたが、同年7月にストライキの事後処理をめぐって、夕張騒乱事件が発生しています。鉱夫と警官隊が衝突。大乱闘となっているのです。

 したがって「幌舞駅」のモデルは、現「夕張駅」であろうと推察できます。ただし夕張駅から廃線になった路線は見つかりません。

『鉄道員』のタイトルの脇には、『ぽっぽや』とルビがふってあります。これが実に効いています。鉄道員のタイトルではサラリーマンぽいのですが、ぽっぽ屋にはプロの匂いがします。
 
 浅田次郎はこの作品で、第174回の直木賞を受賞しました。浅田次郎は『週刊文春97・7・31』のインタビュー記事で、こう語っています。

――『蒼穹の昴』を脱稿して中一日で、「鉄道員」と「悪魔」という二つの短編に取りかかった。以後、ほぼ毎月一本というペースで各誌に書いているうちに自分は短編小説にも向いているのではないかと思いはじめて、出来上がったのが『鉄道員』なんです。ですから自分としてはこれまでの作品の二番煎じではなくて、新しい試みが評価されて嬉しかったんです。(本文より)

 これは実感だと思います。『鉄道員』は著者自身が語っているように、浅田次郎の新たな出発点となりました。浅田次郎は、いくつもの引きこみ線をもっています。本線は何? と問われたら「人情もの」と答えるしかないのですが。

――「ガラス張りのリゾート特急が、一両だけのキハ12型気動車をゆっくりと眺め過ごすように追い抜いて行く。(本文より)

 これまでの作品が『キハ12型気動車』なら、これからの作品は『ガラス張りのリゾート特急』なのかもしれません。浅田次郎はこれからも、新しい世界に誘ってくれそうです。

◎ちょっと寄り道

 浅田次郎のエッセイのなかに、映画「鉄道員」の舞台裏について書かれているものがあります。著者が映画について語っている、ユニークな箇所を紹介したいと思います。

――制作費は8億5千万円。作品のイメージに合った駅が、今となっては実在しないんで、駅舎を作っちゃった。さらに、ディーゼル機関車を1両まるごと昔の色に塗り替えたり、廃車の運転台だけをどこかから探し出してきて、それを撮影に使ったんだそうです。/私の小説のファンばかりではなく、鉄道ファンや旧国鉄関係の方々にとっても、たまらない作品になりました。(浅田次郎『絶対幸福主義』徳間書店・初出2000年、徳間文庫・アマゾン書評4件)

『鉄道員(ぽっぽや)』につづく浅田作品で、もういちど高倉健をみたかったと残念に思います。浅田作品は、高倉健の面影ばかりを描いているように錯覚してしまします。本稿は「現代日本の文学125+α」の「+α」として紹介させていただきました。
(山本藤光:2009.06.07初稿、2018.02.26改稿)

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