山本藤光の文庫で読む500+α

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辻征夫『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』(新潮社)

2018-03-10 | 書評「ち・つ」の国内著者
辻征夫『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』(新潮社)

戦後まもない東京向島の花街とその周辺で育った少年少女たちの友情、冒険、早熟な性の目覚め…。現代抒情詩の第一人者の初めての小説集。(「BOOK」データベースより)

◎初めての散文集

辻征夫は私の好きな詩人です。その辻征夫が逝ってしまったのは、2000年1月のことでした。脊髄小脳変性症が死因でした。享年60歳。辻征夫は14歳から詩を書きはじめています。デビュー作は『学校の思い出』(思潮社、初出1962年、21歳)です。ところが突然書けなくなります。辻征夫が再起したのは、1987年(48歳)でしたので、とてつもなく長い冬眠生活だったわけです。

覚醒してからは、『かぜのひきかた』(書肆山田、初出1987年)や『ボートを漕ぐおばさんの肖像』 (書肆山田、初出1992年)などの優れた作品を堰を切ったように発表しました。そして初めての散文『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』(新潮社、初出1999年)に至ります。

辻征夫の詩は、軽い、厚みがないと時々批判されていました。しかし私は、軽石を幾層にも積み上げた作品に、重層さを感じていました。その技法が、『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』に結実したのだと思います。

今回15年ぶりに再読しました。そしてどうしても紹介したくなりました。文庫ではありませんので、山本藤光の「文庫で読む500+α」の番外編として取り上げることにしました。ただし本書は絶版であり、入手するのは難しいと思います。透明な文章と意外性のある構成。辻作品には不思議な魅力があります。

『ぼくたちの(俎板のような)拳銃』には、3つの作品が収載されています。いずれも著者自身の回顧録風に描かれています。

「遠ざかる島」は、400字詰め原稿用紙で60枚弱くらいの作品です。作品の舞台は八丈島に近い小さな島。単身赴任だった父親の住む島へ、主人公「ぼく」と家族が移住します。「ぼく」は7歳。「ぼく」には5歳年下の妹と、さらに2歳下の弟がいます。兄がいましたが、1歳数ヶ月で死んでいます。母親は病弱で、家族の面倒は真理子さんという26歳の女性がみてくれています。真理子さんは右足が不自由です。

「ぼく」がその島に住んだのは3年間。家族が島を去るとき、真理子さんは島に残りました。その後、真理子さんの消息はわかりませんでしたが、島で真理子さんを見たとの話は耳にします。その島へ20代後半の「ぼく」が、会社の旅行で訪問します。帰路、遠ざかる島を見ようと上甲板に向かいます。
 
――はじめは上半身しか見えていなかったのだが、数段登ると全身が見えた。季節外れのコートを着て長めのスカートをはいている。その裾から足が一本だけ出ている。両手で手摺につかまっている。/ぼくはそこから動かなかった。真理子さんだと思ったのである。真理子さんが遠ざかる島を見ている。その姿を大人になったぼくが見ている。(本文より)

◎構造主義理論を援用したかのような手法

表題作「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」には、多くの固有名詞が登場します。辻征夫は、戦後の花街に住む少年少女を通して、現代失われつつあるものを呼び戻します。

カズナリの成績は不動の三十番。終戦後、満州から引き揚げてきました。多くの親が子供を現地に捨ててきたのに、カズナリは連れられてきたことを幸せだと思っています。

タカスケの母は、隅田川界隈を代表する芸者でした。タカスケには父がいません。生れたときから、単にいないだけなのです。トモアキは南の島から、転校してきた無口な少年です。クミコは養女としてもらわれてきました。三味線や踊りなどを仕込まれながら、掃除や使い走りをしています。コージは小学校へあがる前に、わずかだが幼稚園を経験しています。

物語はショッキングな結びで、幕が下ります。著者の訃報に接して、トモアキは辻征夫自身だったのだと思いました。
 
――トモアキは三十歳近くからまた詩をかきはじめ、さまざまな職業に就きながら生涯十二冊の詩集を出した。その頃から身体のバランスを司る脳神経に異常をきたしはじめ、晩年は杖に縋ってよろめきながら歩いた。(本文より)

「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」は、第12回三島由紀夫賞の候補作になっています。このときは鈴木清剛『ロックンロールミシン』と堀江敏幸『おぱらばん』が受賞作になっています。選考委員の筒井康隆は他の選考委員を批判しつつ、次のように語っています。

――小説では辻征夫「ぼくたちの(俎板のような)拳銃」を推した。子供たちの群像を、短い章立てでそれぞれの交流を描くことによって最後に全体像をぼんやり浮かびあがらせるという、まるで構造主義理論を援用したかのような手法で書かれたこの作品は、ありきたりのストーリイ展開や所謂文学的描写に食傷している者、登場人物リストなどを作って作品世界へ知的に参加したい読者にとっては実に快楽的な作品であった。これも「断片の寄せ集めである」「こういう構成をするのは文章力がないからである」という誤解を受けて賛同を得られなかった。(筒井康隆『小説のゆくえ』中公文庫P172)

再読して、心が洗われました。ずっと以前に書いた文章に加筆修正しながら、筒井康隆の眼力に驚いています。
(本稿は藤光 伸の筆名でPHP研究所「ブック・チェイス」2000.02.06号に掲載したものを加筆修正しています)
(山本藤光:2000.02.06初稿、2018.03.10改稿)


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