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壺井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)

2018-02-24 | 書評「ち・つ」の国内著者
壺井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)

瀬戸の小島の分教場に赴任して来たおなご先生と12人の教え子たちの胸に迫る師弟愛を、郷土色豊かな抒情の中に謳いあげた名作「二十四の瞳」。戦争という不可抗力に圧し潰されながらも懸命に生きる女教師と生徒たちを描いたこの作品は、昭和29年、名匠・木下恵介により映画化され空前のヒットをとばし、「ヒトミ・ブーム」という言葉さえ生んだ。(「BOOK」データベースより)

◎輝いている二十四の瞳

壺井栄『二十四の瞳』(新潮文庫)では、まず時代と舞台があきらかにされます。ところが地名は最後まで特定されていません。本書が発表されたのは1952(昭和27)年で、その2年後に映画化されました。そのときに壺井栄の出身地が香川県小豆島であることから、映像舞台として小豆島が選ばれたのです。映画は木下恵介監督で、大石先生役を高峰秀子が演じました。映画は1987年(朝間義隆監督)に、田中裕子主演でリメイクされています。

――昭和三年四月四日、農山漁村の名がぜんぶあてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、わかい女の先生が赴任してきた。(本文P5の4行目より)

洋服で自転車にまたがってやってきた大石先生を見て、村人たちは目を丸くします。大石先生が受けもった1年生のクラスには、12人の生徒がいました。余談ですが、大石先生役の高峰秀子は自転車に乗れませんでした。何度も練習した成果が、あの映画の名場面になっているのです。

――きょうはじめて教壇に立った大石先生の心に、きょうはじめて集団生活につながった十二人の一年生のひとみは、それぞれ個性にかがやいていてことさら印象ぶかくうつったのである、このひとみを、どうしてにごしてよいものか。(本文P28より)

貧しさに負けない清らかな瞳をみて、大石先生は深く心にきざみます。洋装で自転車にまたがった大石先生は、村のお母さんたちから反発されます。生徒たちも小さな大石先生を「大石・小石」といってからかいます。周囲から浮いた感じで、大石先生の奮闘はづづきます。

ある日、大石先生は生徒がつくった落とし穴で、アキレス腱をきって学校を休みます。12人の生徒は先生に会いたくて、泣きながら8キロの道のりをやってきます。松葉づえの先生と生徒たちは、浜辺で写真を撮ります。この写真が生涯、彼らの宝物になります。このできごとで、村人たちはこどもたちに愛されている大石先生を認めます。

その後、大石先生は本校へ転勤となります。世の中が急速に不景気になっていきます。貧しさのために夜逃げしたり、身売りされたりするこどもがでます。戦争がはげしくなってゆきます。かっての教え子が出征していきます。大石先生の夫と末の娘も帰らぬ人になります。このあたりのことについて、小川洋子の感想を引かせていただきます。

――自分が〈お国のために……〉と教え込んだ子どもたちが、戦場に送り出され、命を落としていった。教師としてこの後悔がどれほど苦しいものであったか、経験者でなければ想像もできないことでしょう。(小川洋子『みんなの図書室2』PHP文庫より)

◎十四の瞳の同窓会

敗戦の翌年、10数年ぶりに大石先生が分教場に戻ってきます。先生を歓迎する同窓会がひらかれます。参加者は男子5人のうちの2人。3人は戦死しています。女子は1人が病死で1人が行方不明で5人が参加しました。戦地で失明したかっての男子生徒が、写真を指さしながらみんなの名前を読み上げます。

苛酷な世の中の運命に、ほんろうされつづけた仲間たち。大石先生が12人の生徒たちといっしょにいたのは、ほんの数か月のことです。にもかかわらず、大石先生の気持ちは、しっかりとこどもたちに届いていました。新米の先生とピカピカの1年生。いまの時代ならうすっぺらな関係なのでしょうが、日本がもっとも貧しかった時代の話です。支え合い、いたわりあって生きてゆかなければなりません。

壺井栄はそんな時代を、新米先生と初々しい12人の生徒だけで、みごとに活写してみせました。舞台もここでなければならない、というくらいぴったりの選択でした。

壺井栄については、「朝日新聞」の切抜きから紹介させていただきます。

――壺井栄の父は醤油樽職人だ。子が10人いたうえ孤児2人を引き取り12人を育てた。栄は家計を助けようと10歳で子守をし、15歳で郵便局に勤めた。繁治と結婚して東京に住み、隣の林芙美子や近くの平林たい子と助け合って暮らした。小説家になったのは、周囲の女性作家の影響が大きい。宮本百合子の力添えで最初の小説を書いたのは38歳。「二十四の瞳」は1952年、58歳のときの作品だ。(「朝日新聞」2013年8月10日、「映画の旅人」より)

壺井栄が結婚した壺井繁治は、同じ島出身のアナーキスト詩人です。思想犯として何度も検挙され、栄は苦難の生活を余儀なくされました。このころ栄は、佐多稲子とも親しくしています。

『二十四の瞳』は読み方によって、反戦文学とも児童文学とも受けとれます。冒頭の時代は昭和3年4月4日です。「世の中の出来事といえば、普通選挙法というのが生まれ」と書かれています。普通選挙法といっても、まだ女性には選挙権があたえられていませんでした。したがって女性の抵抗を描いたプロレタリア文学である、とくくっている本もあります。

映画の舞台になった岬の分教場は、地元の保存会が守っているようです。前記朝日新聞の特集には、そのカラー写真が掲載されています。木造平屋建ての入り口には、青銅色の鐘が下がっていました。
(山本藤光:2013.12.05初稿、2018.02.24改稿)


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