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中西進『日本人の忘れもの』(全3巻、ウェッジ文庫)

2018-02-06 | 書評「な」の国内著者
中西進『日本人の忘れもの』(全3巻、ウェッジ文庫)

二十一世紀は心の時代―。かつての日本人は、心の豊かさを持っていた。だが、物質文明の発達によって、多くの日本人が心のゆたかさをどこかに忘れてきたのではないだろうか。人間を尊重する心ゆたかな社会をつくってゆくために、私たちが心がけるべきことは何か。古代から現代をつらぬく日本人の精神史を探求し続けてきた中西進が、すべての日本人の贈る言葉の花束二十一章。(「BOOK」データベースより)

◎大切な先生を得た

 中西進との最初の出会いは、新幹線のなかでした。本人と出会ったわけではありません。目の前にあったポケットから何気なく手に取った雑誌「ウェッジ」に、著者の連載随筆が掲載されていたのです。味のある文で、忘れていたものを思い出させてくれました。随筆のわきに、『日本人の忘れもの』(ウェッジ)の宣伝がありました。

 買い求めて、読んでみました。平易な文章で、鋭く「日本人の忘れもの」を諭じてくれていました。この言葉には、こんな意味があったのだよ、と教えてくれました。

 現在は文庫で読めますが、単行本の帯を紹介したいと思います。文庫版にはこのコピーがありませんでした。
――たとえば『まけるが勝ち』といいます。勝つためには、いったん負ける。そして相手に生かされる道を探るのが、日本人の生き方でした。生かされて生きること、忘れていませんか?

 文庫本には、かわりにこんな帯がつけられています。
――二十一世紀は心の時代。「お下がり」は神さまからのいただきもの、神棚は聖なる場所、心のよりどころだった。神棚をなくし、よりどころを失った日本人が心ゆたかに生きるために、思い出すべき言葉の花束二十一章。

 第1巻の21の花束は、ざっとこんな具合です。
――まける・おやこ・はなやぐ・ことば・つらなる・けはい・かみさま・ごっこ・まなぶ・きそう・よみかき・むすび・いのち・ささげる・たべる・こよみ・おそれ・すまい・きもの・たたみ・にわ。

 そしてそれぞれに、一行の添え文がつけられています。単行本の帯コピーで紹介した「まける」には、「相手に生かされる道をさぐる」などとなっています。ページをくくるたびに、目からはらはらとウロコが落ちました。

 私は本書を、1週間かけて読みました。一文一文を味わいながら、読み進めました。そして、忘れものだらけの自分を発見しました。読み終えてから、心のなかで著者に「ありがとう」といっていました。こんな体験は、はじめてのことです。

 著者は、古代文学比較研究の第一人者です。なるほどと思いました。いままでに読んだ文章とは、明らかにちがっていたのです。大切な先達をえたと狂喜しました。

 すでに、本書は第3巻も文庫化(ウェッジ文庫)されています。1日1章をゆっくりと、読みつないでゆきたいと思っています。そんな大切な本が、また1冊増えました。

◎いつでも取り出せる場所に

 中西進の著作には、その後も深い感銘を受けています。私は『日本人の忘れもの』を宝物のように、いつでも取り出せる場所においてあります。ページをくくっていると、心が安らぎますし豊かにもなります。文学博士などと聞くと、難しい話ばかりなのだろうと思いがちです。ところが一般読者に向けた著作は、すこぶるわかりやすく書かれています。
 
 つぎに引用するのはインターネットでひろった、「THE GUEST」という対談記事(2004年6月28日)です。聞き手は女優の早見優さん。以前から中西進の愛読者だったようです。

(引用はじめ)
早見 「先生は、全国の小学校や中学校に出向いて、万葉集を素材にした授業を行っているそうですが、生徒さんたちの反応が非常に良いそうですね」
中西 「皆さん、想像以上に興味を持ってくれて本当に嬉しくなってしまいます。多分それは、私が教えようとしていないからだと思うんですよ。教えるというのは、オトナの知識を伝達しているだけの一方通行ですから、彼らからは何も返ってこないのは当然。つまりね、物事の基本には、必ず心があって、気持ちがある、そして感情がある。それをお互いに共有しようとすれば子供たちはどんどん発言できるんですね。ですから私は、万葉集を教えようなんてこれっぽっちも思っていない。万葉集を媒体にして、みんなで感動しようとしているだけなんです」
(中略)
早見 「お話を伺っていると、私も子供を教育していかなければならない親としての責任を感じます」
中西 「その通りですよ。特にお母様というのは大変です。昔は<たらちねの母>と言いましてね、これはお乳がいっぱいある、愛情が豊かということ。<ね>というのは<動かない、デーンとしている>という意味なんです。つまり、悩んでいたりフラフラしていたら母親は失格。それとね、お乳の<ち>は<血>と同じ言葉でしょう。つまり、命を養う根源のものを昔は<ち>と呼んだんですよ。そして、<ち>そのものを<力>と呼んだ。
(引用おわり)

いかがでしょうか。私がなにを書くよりも、対談のなかに中西進のエキスが含まれています。中西進は日本語の奥深さを、あますことなく伝えてくれます。少しばかり引用が多くなりましたが、中西進は私の稚拙な日本語では紹介できません。

とにかく読んでみていただきたい。体調が悪い時期に、大阪への出張でグリーン車を利用していました。そのときに座席前のポケットに入っていたのが、「ウェッジ」という雑誌だったのです。それが中西進を知ったきっかけでした。体調の悪さに感謝。
(山本藤光:2010.05.16初稿、2018.02.06改稿)



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