アンネ・フランク『アンネの日記』(文春文庫、深町真理子訳)

アンネは両親のことをこんなふうに思っていたんだ……
自分用と公開用の二種の日記に父親が削っていた部分を再現した「完全版」に新たに発見された五頁を追加。今明かされる親への思い。(内容紹介)
◎架空のともだち「キティ」
――あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えになってくださいね。
アンネ・フランク『アンネの日記・増補新訂版』(文春文庫、深町真理子訳)の冒頭の文章です。アンネは13歳の誕生日に、プレゼントとして日記帳をもらいました。アンネは日記に「キティ」という名前をつけ、架空のおともだちとして手紙形式で語りかけます。『アンネの日記』がすばらしいのは、この設定にあります。
アンネは1929年、ドイツのフランクフルトで生まれました。しかしナチスのユダヤ人への迫害が激しく、オランダのアムステルダムへ家族で亡命します。そこも第2次世界大戦でドイツに占領され、ユダヤ狩りがはじまります。家族は父が用意した「隠れ家」へと、身を隠さざるを得なくなります。
池上彰に『世界を変えた10冊の本』(文春文庫)という著作があります。そのなかで最初の1冊として、『アンネの日記』が取り上げられています。時代背景が理解できますので、引用させていただきます。
――第一次世界大戦に敗北して、多額の賠償金を課せられたドイツの人々は、生活に苦しんでいました。こういうときは、「敵」を作り出し、「あなたの生活が苦しいのは、敵の陰謀なのだ」と主張することで、政治家は支持を広げることができます。それを実行したのが、アドルフ・ヒットラーでした。ヒットラーは、自国の中に「敵」を作り出します。それがユダヤ人でした。(池上彰『世界を変えた10冊の本』文春文庫P26)
なにやら現代にも通用しそうな話です。いたずらに反日感情をあおっている、どこかの国と同じです。
◎作家・小川洋子の出発点
『アンネの日記』を初めて読んだのは、中学生のときでした。国語の先生から、「読むように」と推奨されたのです。女の子の日記なんて、読みたくない。男子生徒のほとんどは、そっぽを向いていました。私も同じ気持ちだったのですが、ガールフレンドが貸してくれました。
『アンネの日記』は、アウシュビッツ収容所で書かれたものだ、との先入観がありました。それゆえ平穏な学園生活の滑り出しをを読みながら、いつ逮捕されるのかとハラハラしていました。収容されるまでの日々を、思い出しながら書いているとばかり思いこんでいたのです。
そのうちにアンネの家族が、逮捕を逃れて「隠れ家」に移る場面がでてきました。それで得心しました。これは現在進行中の日記なのだ、と。
私が『アンネの日記』を読んだのは、今回で3度目となります。小川洋子と『アンネの日記』の出あいについて、書かれた文章があります。私も同様の感想をもったので、引用させていただきます。
――小川さんが最初に「アンネの日記」と出会ったのは中学1年の時でした。その時は難しくて意味がよく分からなかったそうですが、高校生になって読んだ時に、親への反抗心や、異性への憧れ、将来への希望や不安などが、手に取るようにわかったといいます。小川さんは、アンネの精神年齢の高さに驚くとともに、言葉とはこれほどまでに人の内面を表現できるものなのかと思い、作家になることを決意しました。また大人になって読んだ時には、親としての立場からアンネを見るようになり、その時も新たな発見があったと語っています。(「NHK100分de名著」)
小川洋子は、アンネ崇拝者の筆頭です。小川洋子は、たくさんのアンネ関連の文章を書いています。そのなかでも『アンネ・フランクの記憶』(角川文庫)は、アンネを心の友としている著者の熱い旅路をつづった傑作です。ぜひ『アンネの日記』を読んだあとで、手にしていただきたいと思います。
◎識者たちが読んだアンネ
赤染晶子『乙女の密告』(新潮文庫)は、芥川賞受賞作です。京都の外国語大学に通う女学生は、ドイツ人教授の指示で『アンネの日記』を暗唱させられます。
教授が命じた暗唱箇所は、主人公みか子の記憶のなかにあるアンネとは、まったく異なる存在に思える場面でした。ユダヤ人として自覚するようになっていく心理のあやに、みか子はもう一人のアンネを見つけるのです。
『アンネの日記』にかんする、何人かの感想を引かせていただきます。
――書くっていう行為は、人間の脆くて不安定な精神をこんなにも支えることができるんだ。読み終えて、何よりそのことに心うたれました。(山室恭子・評、丸谷才一・池澤夏樹『愉快な本と立派な本』毎日出版社P148)
――表面的には、陽気な「おしゃべり屋」として快活にふるまいながら、心の底には黒々とした孤立感を抱いていた少女。少年少女の内的世界の表現として、『アンネの日記』には時代や環境をこえる普遍的な素顔がある。(澤地久枝、朝日新聞社学芸部編『読みなおす一冊』朝日選書P409)
――母親との対立に苦悩し、(支援者の名前を借りて行っていた)通信教育での勉強に喜びを見出し、将来の夢を描き、支援者たちへの感謝を忘れず、別れてきた友達へ思いを馳せ、性の問題に悩み、ベーターとの淡い恋に胸をこがす……。息を殺し、存在を消して過ごさなければならない、単調であったはずの日常が、アンネにとってはたいへん濃密なものでした。それが、この日記からありありと伝わってきます。(小川洋子『物語の役割』ちくまブリマー新書P113-114)
――完全版は、父親の配慮で伏せられていた部分を復元してあるので、思春期の少女らしい、性や身体についてのより正直な、赤裸々な記述が目立つ。生理についても六か所でふれている。(米原万里『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫P472)
――幼い頃から、驚くほど明確に作家になることをめざしていたアンネの、ものごとの本質を鋭く見抜く、透徹した目は、極限状態のなかでなお、豊かな精神世界をノートのうえにつづることを可能にした。(池田理代子『名作を書いた女たち』中公文庫P198)
――われわれがこの本から読み取るべきことはきっと、「どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っていることを発見しました」というアンネの言葉に尽きるとおもう。あらゆる場所に美しさはあり、ユーモアがある。われわれはそれを発見し、つかまえるべきなのだとアンネは書いている。(伊藤聡『生きる技術は名作に学べ』ソフトバンク新書P96)
アンネの書いた童話や物語は『アンネの童話』(文春文庫、中川李枝子訳)として、まとめて刊行されています。聖書の次に世界で読まれている『アンネの日記』とともに、ぜひ手にとってみてください。『アンネの日記』は小川洋子の感想にあるとおり、生涯で3回は読まなければならない作品です、とお伝えしたいと思います。きっとその都度、新たな発見があると思います。
(山本藤光2013.08.07初稿、2018.02.09改稿)

アンネは両親のことをこんなふうに思っていたんだ……
自分用と公開用の二種の日記に父親が削っていた部分を再現した「完全版」に新たに発見された五頁を追加。今明かされる親への思い。(内容紹介)
◎架空のともだち「キティ」
――あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えになってくださいね。
アンネ・フランク『アンネの日記・増補新訂版』(文春文庫、深町真理子訳)の冒頭の文章です。アンネは13歳の誕生日に、プレゼントとして日記帳をもらいました。アンネは日記に「キティ」という名前をつけ、架空のおともだちとして手紙形式で語りかけます。『アンネの日記』がすばらしいのは、この設定にあります。
アンネは1929年、ドイツのフランクフルトで生まれました。しかしナチスのユダヤ人への迫害が激しく、オランダのアムステルダムへ家族で亡命します。そこも第2次世界大戦でドイツに占領され、ユダヤ狩りがはじまります。家族は父が用意した「隠れ家」へと、身を隠さざるを得なくなります。
池上彰に『世界を変えた10冊の本』(文春文庫)という著作があります。そのなかで最初の1冊として、『アンネの日記』が取り上げられています。時代背景が理解できますので、引用させていただきます。
――第一次世界大戦に敗北して、多額の賠償金を課せられたドイツの人々は、生活に苦しんでいました。こういうときは、「敵」を作り出し、「あなたの生活が苦しいのは、敵の陰謀なのだ」と主張することで、政治家は支持を広げることができます。それを実行したのが、アドルフ・ヒットラーでした。ヒットラーは、自国の中に「敵」を作り出します。それがユダヤ人でした。(池上彰『世界を変えた10冊の本』文春文庫P26)
なにやら現代にも通用しそうな話です。いたずらに反日感情をあおっている、どこかの国と同じです。
◎作家・小川洋子の出発点
『アンネの日記』を初めて読んだのは、中学生のときでした。国語の先生から、「読むように」と推奨されたのです。女の子の日記なんて、読みたくない。男子生徒のほとんどは、そっぽを向いていました。私も同じ気持ちだったのですが、ガールフレンドが貸してくれました。
『アンネの日記』は、アウシュビッツ収容所で書かれたものだ、との先入観がありました。それゆえ平穏な学園生活の滑り出しをを読みながら、いつ逮捕されるのかとハラハラしていました。収容されるまでの日々を、思い出しながら書いているとばかり思いこんでいたのです。
そのうちにアンネの家族が、逮捕を逃れて「隠れ家」に移る場面がでてきました。それで得心しました。これは現在進行中の日記なのだ、と。
私が『アンネの日記』を読んだのは、今回で3度目となります。小川洋子と『アンネの日記』の出あいについて、書かれた文章があります。私も同様の感想をもったので、引用させていただきます。
――小川さんが最初に「アンネの日記」と出会ったのは中学1年の時でした。その時は難しくて意味がよく分からなかったそうですが、高校生になって読んだ時に、親への反抗心や、異性への憧れ、将来への希望や不安などが、手に取るようにわかったといいます。小川さんは、アンネの精神年齢の高さに驚くとともに、言葉とはこれほどまでに人の内面を表現できるものなのかと思い、作家になることを決意しました。また大人になって読んだ時には、親としての立場からアンネを見るようになり、その時も新たな発見があったと語っています。(「NHK100分de名著」)
小川洋子は、アンネ崇拝者の筆頭です。小川洋子は、たくさんのアンネ関連の文章を書いています。そのなかでも『アンネ・フランクの記憶』(角川文庫)は、アンネを心の友としている著者の熱い旅路をつづった傑作です。ぜひ『アンネの日記』を読んだあとで、手にしていただきたいと思います。
◎識者たちが読んだアンネ
赤染晶子『乙女の密告』(新潮文庫)は、芥川賞受賞作です。京都の外国語大学に通う女学生は、ドイツ人教授の指示で『アンネの日記』を暗唱させられます。
教授が命じた暗唱箇所は、主人公みか子の記憶のなかにあるアンネとは、まったく異なる存在に思える場面でした。ユダヤ人として自覚するようになっていく心理のあやに、みか子はもう一人のアンネを見つけるのです。
『アンネの日記』にかんする、何人かの感想を引かせていただきます。
――書くっていう行為は、人間の脆くて不安定な精神をこんなにも支えることができるんだ。読み終えて、何よりそのことに心うたれました。(山室恭子・評、丸谷才一・池澤夏樹『愉快な本と立派な本』毎日出版社P148)
――表面的には、陽気な「おしゃべり屋」として快活にふるまいながら、心の底には黒々とした孤立感を抱いていた少女。少年少女の内的世界の表現として、『アンネの日記』には時代や環境をこえる普遍的な素顔がある。(澤地久枝、朝日新聞社学芸部編『読みなおす一冊』朝日選書P409)
――母親との対立に苦悩し、(支援者の名前を借りて行っていた)通信教育での勉強に喜びを見出し、将来の夢を描き、支援者たちへの感謝を忘れず、別れてきた友達へ思いを馳せ、性の問題に悩み、ベーターとの淡い恋に胸をこがす……。息を殺し、存在を消して過ごさなければならない、単調であったはずの日常が、アンネにとってはたいへん濃密なものでした。それが、この日記からありありと伝わってきます。(小川洋子『物語の役割』ちくまブリマー新書P113-114)
――完全版は、父親の配慮で伏せられていた部分を復元してあるので、思春期の少女らしい、性や身体についてのより正直な、赤裸々な記述が目立つ。生理についても六か所でふれている。(米原万里『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫P472)
――幼い頃から、驚くほど明確に作家になることをめざしていたアンネの、ものごとの本質を鋭く見抜く、透徹した目は、極限状態のなかでなお、豊かな精神世界をノートのうえにつづることを可能にした。(池田理代子『名作を書いた女たち』中公文庫P198)
――われわれがこの本から読み取るべきことはきっと、「どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っていることを発見しました」というアンネの言葉に尽きるとおもう。あらゆる場所に美しさはあり、ユーモアがある。われわれはそれを発見し、つかまえるべきなのだとアンネは書いている。(伊藤聡『生きる技術は名作に学べ』ソフトバンク新書P96)
アンネの書いた童話や物語は『アンネの童話』(文春文庫、中川李枝子訳)として、まとめて刊行されています。聖書の次に世界で読まれている『アンネの日記』とともに、ぜひ手にとってみてください。『アンネの日記』は小川洋子の感想にあるとおり、生涯で3回は読まなければならない作品です、とお伝えしたいと思います。きっとその都度、新たな発見があると思います。
(山本藤光2013.08.07初稿、2018.02.09改稿)