風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

ジョンレノンの夜

2015年12月08日 23時46分43秒 | 風竿の音楽夜話

今日は35年前にジョンが凶弾に倒れ亡くなった日

残念で悔しい記念日なんである。

まだ29歳だった私は起こったことが信じられず、呆然として彼のアルバムを聴きながら、夜通し酒で哀しさを紛らわした。

5年ぶりに素晴らしいアルバムを発表したばかりの出来事

ダブルファンタジーというLPは、今後の彼の音楽的な方向性を予感させる素晴らしい曲ばかりであった。

1980年12月8日のこと。

彼はその年の10月に、40歳になったばかりであった。

専業主夫を自ら任じてヨーコ夫人との一粒種ショーンの育児に専念していたのを卒業して、音楽活動に復帰したばかりの出来事であった。

ビートルズのメンバーの中でも一番の個性派で、天才的で芸術家肌のジョンは、晩年はとてもストレートで、時に尖ったりしていたが、彼の楽曲を聴くととてもシャイで優しく、素直な人柄であったことがよく理解できる。

そして私は、そんなジョンが大好きであった。

特に静のジョンの歌は優しさが満ち溢れていて、素直な唄い方もとてもいい。

動の歌は、それこそ魂の底から謳いあげる、心情の発露みたいな叫びが聴こえてくる。

それもまた素晴らしい。

今でも、ジョンが生きていてくれたらと思うことが多い。

どんなに素晴らしい楽曲を作って私たちを愉しませてくれたことだろうかと、しみじみ思うのある。

今年も彼の追悼ライブを行った。

西暦2000年のミレニアムイヤーから始めて今年で16回目の「ジョンレノンの夜」であった。

今年もたくさんのお客様と一緒に最後はHappy X'masを唄ったのだが、素晴らしい大合唱となった。

今年から、もうエレキバンドのライブは騒音の問題でやらないと云われ、場所を武雄から有明に移したのだった。

ステージが始まる前にキャンドルを灯し、ジョンの魂に降臨をお願いしてImagineからスタートした追悼ライブは、ジョンの曲を中心に24曲演奏した。

ライブが終ると、いつも来て下さるドクターから「想いの伝わるいいライブだった。」と誉めていただきとても嬉しかった。

言葉ではなく、音楽である熱いモノを共有できることほど素晴らしいことはないのだと思わされた。

そして今夜の命日、ピアノに向かいImagineを唄わせて頂いたのであった。

あちらこちらのライブ会場でジョンの追悼ライブが行われている。博多も熊本も・・・、

長崎では、友人の井手さんが今年も平和公園でImagineを唄ってくれたようだ。

みんな想いは一緒なのだ。

ジョンレノンの死が辛い。哀しい。寂しい。


ラーメンの話

2015年12月02日 23時37分11秒 | 風竿日記

小学生の頃の話

中学の教諭をしていた父は、呑み会が多くて、深夜帰宅すると近くのラーメン店に出前を注文させた。何しろ教員は強飲と書くのだとうそぶいていた位に、何かとかこつけて飲み会があった。

空酒というか、呑み会の時には殆ど食べずに呑んでいたらしく、小腹が空いていたのだろう。

ところが注文させたのはいいが、泥酔状態でそのまま寝てしまい出前が届いても一向に起きないのが常であった。

そもそも父は無類の麺好きで夏はソーメンばかり食べていたし、呑んだらラーメンなんであった。

食事中に口の中でクチャクチャとでも言わせようものなら、厳しく叱っておきながら、自分はラーメンをズルズルと食べていた。

目をつむって黙って食べていた。

父が逝って34年にもなるのだが、そんな光景が思い浮かぶ。

ラーメンが、まだ50円だった頃の話

そしてとうに父の没年齢を超えた私も。

酒を呑むと〆はラーメンを食べている。然も私も呑む時にはあまり食べない。

父の子供だから仕方が無いが、こんなに旨いものはないと思っている。思えば我が一族のソウルフーズなのかも知れない。

呑んだ帰りは後楽園さんのラーメン

たまに御船山の山裾にある来久軒にも立ち寄る。

博多に行ったら山ちゃんラーメン

長浜公園の前にある居酒屋ラーメン店のラーメンは芸術品

スープまで完食の浅ましさ。

どうしてこんなにもラーメンが好きなのか、父親に聞いてみたいものである。

其れ、DNAの恐ろしさであろうか。

はたまたオヤジの歩いた道を子もまた歩くのであろうか。

それは定かではないが、54で亡くなった父を偲ぶよすがでもあり、少しばかり嬉しい気にもなる。

今夜も祝賀会の帰りに後楽園に立ち寄った私であった。

 

 


おやじバンド

2015年11月23日 21時34分49秒 | 風竿の音楽夜話

親父バンドが台頭著しい昨今である。

若い頃は買いたくてもとても買えなかった舶来の楽器が、為替レートの関係もあって、手に入りやすくなったのも後押ししている。

オヤジの若い頃はエレキギターなど持っているだけで、不良といわれた時代であった。

海外ではビートルズ旋風が吹き荒れ、それに影響を受けたグループサウンズといわれるバンドが雨後のタケノコのように次々と生まれた。

ブルーコメッツ・スパイダース・タイガース・テンプターズ・オックス・ワイルドワンズ・ジャガース・ゴールデンカップス・サベージ・パープルシャドウズ・カーナビーツ・シャープホークス・ビレッジシンガース・・・・・思いつくだけでもこれだけある。

そんな時代に団塊の世代は育ったのだ。

その頃ビートルズのジョンレノンが使っていたギターがある。

ギブソン社のJ-160Eというピックアップを備えたギター、これが1966年頃に盗まれたにも関わらず、最近発見されてオークションにかけられ3億円で落札されたのだという。

確かに初期の頃はこのギターで録音したものが多い。

 しかし3億円とは如何に・・・・

因みに私のギターコレクションの中にもこのギターがあるのだが、

こちらは僅か20万円ほど・・・・。

オークションにかければせいぜい15万円くらいだろうか・・・。

それはそうと、今週の金曜日は久しぶりに博多でライブ出演

長浜公園の近くの「Sugar time」というお店で夜の8時から

また12月5日(土)には有明町のライブカフェ「ROAD」で毎年恒例のJohn Lennon's Night Vol16が開催されます。

どうぞお近くの方でビートルズフアンの皆様はぜひオヤジバンドの味のある音を聴きにおいで下さいませ。

特に博多は人脈が薄く苦戦しております。

あらあら、ライブの告知になってしまいました。

とブログを書いていたら、嬉野の同好の士からアドバイス

彼はビートルズの現役世代の私とは違い、まだ31歳という若さなのだが、ビートルズフリークを通り越して、まさに研究家の域に達しているお方。

ある老舗旅館の若旦那なんである。

ポールのライブには万難を排して駆けつけるほどなので、ポール命かと思いきや、ジョンのこともごっっう詳しいのだ。

ということでジョンのギブソン160-Eは1963年に盗まれたということでした。

ここに訂正して深くお詫び申し上げます。

 

 


旅立つ秋

2015年11月23日 00時07分17秒 | 風竿日記

秋は実に早足である。

9月、10月、11月と仕事に追われているうちに

季節は木立を抜けて晩秋を迎えた。

「武雄物産まつり」で二日間献血運動に精を出し、疲れきっての帰り道に見かけた武雄市文化会館の生垣は、

銀杏の帽子を被って、ちょっとお洒落を気取っていた。

今年の紅葉はヘンな夏を経た昨年からすれば、マシな方ではあったように思う。

それにしても銀杏の落ち葉を散りばめた生垣とは・・・贅沢な晩秋の装いである。

そして我が家の軒先も・・・晩秋の風物詩がぶら下がっている。

平谷温泉の物産販売所から買ってきた干し柿用の柿が33個

男手で剥かれて軒先へ

美味しい干し柿が完成する頃には

すでに秋は旅立っていることであろう。

昨年もこのような晩秋であったのが昨日のことのよう。

あっと云う間の一年。

時の過ぎ往くのが年毎に早くなり、それが寂しくもある。

柄にもなく、ボズ・スキャッグスの「We are all alone」でも聴きたい気分である。

 


One Fine Day

2015年11月12日 23時45分21秒 | 風竿日記

かって、「ワン・ファイン・デイ」というポピュラーソングがあった。

カーペンターズのバージョンが一番秀逸であったので、それをご紹介して話を進めてみたい。


私のOne は文字通り犬が吠える「ワン・素敵な日々」と和訳する。

相棒の愛犬レオンはその後、術後の経過もよく、家の中を脱兎のごとく走り回り、すっかり元気になってくれていた。

8月後半に脾臓に大きな腫れが見つかり、9月初旬に山口大学動物医療センターで摘出手術を受けていたのだが、何とか元気を取り戻し、10月は元通り平穏な日々を送っていたのである。

家族同然とも云うべき愛犬との普通の生活が、いかに有難いものかと痛切に感じていた幸せな10月であった。

ところが、この8日の日曜日の午後、頭を縦横斜めに頻繁に動かすので、おかしいとよく見たら目が回っているような素振りなんである。

これはいかんと月曜になって動物病院に駆け込むと、前提障害の恐れありとの診断

まずは眼振を止めねば脳がおかしくなってしまうということで、この日注射を7本も打たれた。

ステロイド系の薬を投薬されて、微睡むことにより少しは楽になったのか、目が回る状態の眼振は収まってはきたのであるが、歩くと首を左に傾けながら、足がもつれてすぐに転んでしまう。

本人は必死になって歩こうとしているのだが、歩けない。

思い余って「クン、クン、クン」と鼻にかけて泣くのが可哀そうなのだ。

悔しいに違いないのだが、本人は自分の身に何が起こっているのか判らないのが本当だろう。

脳梗塞の恐れもあるので、主治医に駆け込もうとしたが、日曜当番医の代休で月曜日はお休みなんであった。

困り果てて違う病院の門を叩いたのだが、待つこと、待たされること・・・・。

それでも診てもらえたから良かったものの、飼い主からすれば本当に心細かった。

今年14歳となる老犬ゆえに、この先は介護の日々が待っていることであろう。

これまでの「ワンちゃんのFine Day」がいかに素晴らしい日々であったのかと、しみじみ思わされているが、これまで十分に癒されてきた私。

これからは私が彼に恩返しをする番がやってきたのだ。

終末医療に通じる道かもわからないが、愛犬の立場に立ってモノを考えていかねばなるまい。

彼が我が家に初めてやってきた日のことを昨日のように覚えている。

私の両手の中にスッポリ納まってしまうような子犬であった。

歳月のスピードは実にあっという間、そして無常に速いものだ。

歳月は犬を待たずである。