11月11日の15時の回で、新国立中劇場で上演されたドニゼッティの「ビバ!ラ・マンマ」を観る。珍しい作品を精力的に公演している東京オペラ・プロデュースの公演。11日と12日の2回公演でダブル・キャスト。珍しい演目といっても、オペラ公演の記録を見ると世界的にはいろいろなところで上演されているので、結構人気演目だ。ドニゼッティの作品で「劇場の好都合と不都合」というのが原題だが、近年は「ビバ!ラ・マンマ」という題名でも公演されているようだ。
歴史物のオペラを上演しようとする舞台裏の混乱を描いた話で、ステージ・ママというか、自分でも出たがり屋のイタリアン・マンマが出てきて混乱させて、収拾もする。題名を「ビバ!ラ・マンマ」と変えると、こちらのマンマ中心の話となるのかな、という感じ。
オペラ・ブッファと書いてある通りに「喜劇」なので、面白くなけらばダメなのだが、今回の公演は観ていて笑えない。面白くないのだ。喜劇は作り方によって、何種類かに分類される。喜劇的な状況を作り出す「状況喜劇」、滑稽なしぐさで笑わせる「スラップスティック喜劇」、会話の面白さやダジャレなどを駆使する「漫談喜劇」などがあるが、オペラ・ブッファで目指すべきは、あくまでも「状況喜劇」だろう。舞台上でずっこけたり、イタリア語の洒落などは、なかなか日本の観客には伝わらない。
「状況喜劇」というのは、例えば「複数の恋人が鉢合わせして困る独身男」とか、「朝帰りの言い訳を考えながら帰宅した旦那が、伊達男に送られて朝帰りする妻の言い訳を聞く羽目になる」とか、「息子が結婚するので、ゲイの親が必死になってストレートのふりをする」とか、喜劇的な状況を作り出して笑わせる劇だ。
そうした観点で「ビバ!ラ・マンマ」を考えると、男性が演じるマンマにあまり重点を置きすぎるとスラップスティック劇になってしまうので、「わがままな出演者たちに困らされる台本作家、作曲家、製作者たち」を中心に描く必要があるが、そうした演出になっていないので、単にいろいろな出演者が出てきて歌うだけの芝居になってしまった。
もともとそれほどしっかりとした台本ではないと思われるが、今回の公演で改変したのか、状況がよくわからず、話の内容がちっともわからなかった。こうした楽屋物ではつきものだが、舞台上の作品で歌われる歌と、楽屋の現実で歌われる歌が出てくるのだが、その区別もきちんと演出しないと分かりにくい。
舞台上での曲は、物語の流れとは一応切り離されているので、本来の曲ではなく別の曲を入れても話は成り立つのだが、今回の公演の二幕ではモーツァルト、ロッシーニ、ベッリーニなどの有名な曲を入れて、歌っている方は楽しいのかも知れないが、作品としてはめちゃくちゃになった印象だ。これではドニゼッティの作とは言えない。念のためにオリジナルの台本をチェックすると、二幕は公演しようとしている歴史物オペラのゲネプロの場面のようだ。そうしたことがわかる演出になっていないので、困ってしまう。
オケは35人程度の二管編成で飯坂純の指揮だが、響きが悪くチープな印象。歌手陣も一生懸命にベルカント的な装飾音符を歌うが、慣れていないためか、まだ改善の余地が大きい。唯一まともに聞けたのは翠千賀(最初は羽山弘子と書きましたが、間違いとのコメントを受けて修正しました)の「清き女神」では、有名オペラ・アリア・コンサートを聴きに来たようなものだ。マンマ役の羽山晃生は頑張ってはいたが、面白みは感じられない。座興に歌った「さっきの声は」も、決してうまく歌えているわけではなく、何のためにこんな曲を入れたのか、意味不明。
こうしたオペラでは台本の内容をきちんとわからせることが大事なので、その点を最重視すべきだろう。メタスタジオの台本がなぜ高く評価されたのか、グルックの改革がなぜ必要だったのか、もう一度初心に戻って考えるべきだろう。
歴史物のオペラを上演しようとする舞台裏の混乱を描いた話で、ステージ・ママというか、自分でも出たがり屋のイタリアン・マンマが出てきて混乱させて、収拾もする。題名を「ビバ!ラ・マンマ」と変えると、こちらのマンマ中心の話となるのかな、という感じ。
オペラ・ブッファと書いてある通りに「喜劇」なので、面白くなけらばダメなのだが、今回の公演は観ていて笑えない。面白くないのだ。喜劇は作り方によって、何種類かに分類される。喜劇的な状況を作り出す「状況喜劇」、滑稽なしぐさで笑わせる「スラップスティック喜劇」、会話の面白さやダジャレなどを駆使する「漫談喜劇」などがあるが、オペラ・ブッファで目指すべきは、あくまでも「状況喜劇」だろう。舞台上でずっこけたり、イタリア語の洒落などは、なかなか日本の観客には伝わらない。
「状況喜劇」というのは、例えば「複数の恋人が鉢合わせして困る独身男」とか、「朝帰りの言い訳を考えながら帰宅した旦那が、伊達男に送られて朝帰りする妻の言い訳を聞く羽目になる」とか、「息子が結婚するので、ゲイの親が必死になってストレートのふりをする」とか、喜劇的な状況を作り出して笑わせる劇だ。
そうした観点で「ビバ!ラ・マンマ」を考えると、男性が演じるマンマにあまり重点を置きすぎるとスラップスティック劇になってしまうので、「わがままな出演者たちに困らされる台本作家、作曲家、製作者たち」を中心に描く必要があるが、そうした演出になっていないので、単にいろいろな出演者が出てきて歌うだけの芝居になってしまった。
もともとそれほどしっかりとした台本ではないと思われるが、今回の公演で改変したのか、状況がよくわからず、話の内容がちっともわからなかった。こうした楽屋物ではつきものだが、舞台上の作品で歌われる歌と、楽屋の現実で歌われる歌が出てくるのだが、その区別もきちんと演出しないと分かりにくい。
舞台上での曲は、物語の流れとは一応切り離されているので、本来の曲ではなく別の曲を入れても話は成り立つのだが、今回の公演の二幕ではモーツァルト、ロッシーニ、ベッリーニなどの有名な曲を入れて、歌っている方は楽しいのかも知れないが、作品としてはめちゃくちゃになった印象だ。これではドニゼッティの作とは言えない。念のためにオリジナルの台本をチェックすると、二幕は公演しようとしている歴史物オペラのゲネプロの場面のようだ。そうしたことがわかる演出になっていないので、困ってしまう。
オケは35人程度の二管編成で飯坂純の指揮だが、響きが悪くチープな印象。歌手陣も一生懸命にベルカント的な装飾音符を歌うが、慣れていないためか、まだ改善の余地が大きい。唯一まともに聞けたのは翠千賀(最初は羽山弘子と書きましたが、間違いとのコメントを受けて修正しました)の「清き女神」では、有名オペラ・アリア・コンサートを聴きに来たようなものだ。マンマ役の羽山晃生は頑張ってはいたが、面白みは感じられない。座興に歌った「さっきの声は」も、決してうまく歌えているわけではなく、何のためにこんな曲を入れたのか、意味不明。
こうしたオペラでは台本の内容をきちんとわからせることが大事なので、その点を最重視すべきだろう。メタスタジオの台本がなぜ高く評価されたのか、グルックの改革がなぜ必要だったのか、もう一度初心に戻って考えるべきだろう。