私に透視を教えてくれた人は、
「自分(里誉)以外、誰も尊敬するな。」と、言った。
-キリストであっても、仏陀であっても、
自分の内なる神より上の存在を創るな-と。
私の長所は、すぐに人をリスペクトできるところだ。
家庭裁判所調査官をしていた頃、
犯罪を犯した少年と一対一で話していると、
その子のものの考え方や才能の特徴がキラキラと輝いて見えて、
「この子すごい素晴らしい」と、率直に思えた。
問題点や欠点を指摘することなら、誰でもできるから、
この特技は私の「たからもの」だと思っている。
ただ、
この長所は、時と場合によって様相を変えることがある。
名の知れた「先生」と呼ばれているような人に対しては、
リスペクトを通り越して「崇拝」に至る危険がある。
その人の言うことは絶対正しい
従っていれば間違いはない
人を信じるってステキ・・・
みたいな、妄信的な態度・・・・。
そんな、神様みたいな完璧な人を、無意識に探していた時代が、
私にはあったように思う。
当然ながら、
崇拝しても、しばらくすると、
どんな人でもかならず色あせていく。
「なんだ、この人も完璧じゃないのか。。」と、失望する。
私の場合はそうだった。
人をリスペクトする心が生まれるのは、
その対象の性質が、すでに自分の中にあるものだからだ。
どんなところを尊敬するのか考えてみれば良い。
「人への愛にあふれているところ。」
「困難に負けず、根気強いところ。」
「頭脳明晰で先を見通すところ。」
そうやって、挙げたすべては、
すでに自分が潜在的に持っている性質だ。
自分が見ているすべての現実は、
もれなく、自分の内側の投影だから。
だから、人を尊敬する気持ちが生まれたときは、
なりたい自分になれるチャンス。
自分のパラレルワールドのひとつに、
そんな自分はすでに存在しているから、ただ乗り移れば良いだけだ。
なりたい自分に焦点を合わせて、
すでに自分はそうなっていると思って、
そのように振る舞えば良い。
心配しなくても、形が中身を創るから、
気づいた時には、憧れの自分が今の自分。
ちなみに、私の透視の先生は、
中世ヨーロッパで魔女狩りにも遭った魔女ですが、
平安の世でも活躍していたらしく、
ブログは、陰陽師ワールド炸裂です。
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