夕焼けだんだん ~ 谷中その3

2007-02-28 21:42:30 | 日常&時間の旅




 参考までに、谷中霊園に眠っている著名人を挙げると、十五代将軍徳川慶喜、宇和島藩主伊達宗城、商業の神様=渋沢栄一、新聞の祖=福地源一郎、東京出身の首相=鳩山一郎、「誠心誠意嘘をついて」保守合同→自民党を作った三木武吉、オッペケペーの新派俳優=川上音次郎、知らない人はいない長谷川一夫、十九代横綱出羽の海、日本画家の横山大観、彫刻家の朝倉文夫、植物学者の牧野富太郎、小説家の獅子文六、英仏文学者の上田敏、歌人の佐々木信綱、作家の円地文子、最後の斬首刑に処された高橋お伝、浅田飴の浅田宗伯、明治大学創立者の岸本辰雄、日立製作所創始者の小平浪平、ニコライ堂を建てた大司教ニコライなど、枚挙に暇がありません。広大な霊園に眠る御仏の中には、供養する人がいなくなってしまったのか、荒れ果ててしまったお墓も少なくありません。これらの苔むしたお墓は風雪に打たれて、やがては自然の石に戻ってしまうのでしょう(その前に墓地管理者が撤去するだろうけど)。卒塔婆をカタカタ鳴らしているお墓は生きているけど(トシ子家のように、浄土真宗のお墓には卒塔婆がありませんが)、沈黙したままのお墓は二度目の死を迎えようとしている・・・こうやって土に還るのだと思うと、空しさは感じませんでした。無は決して空虚なものではない、そんなことを感じました。



 なんて、悟りを啓いたようなことを口走っていますが、サブさのせいで、鼻水は出るわ、頭は痺れるお腹が空いてくる、おまけに地図を見ないで歩いたため、得意の?「方向音痴」が出てしまい、表示板に従って歩いたのに(昼間から、狐か狸に化かされている?)行けども行けども徳川慶喜のお墓にたどり着けません。短気は損気の癇癪玉を破裂させて、「もう、将軍に会うのはやめだ~」と、先をゆくことにしました。
霊園の出口にある交差点を折り返すような感じで曲がり(芸大まで真っ直ぐ歩こうか迷った)、観音寺の築地土塀を目指しました。すれ違う人は皆、私と同じ散歩者なのでしょう。路地のところどころにあるお店を覘きながら好きなように歩いています。有名な〈赤塚べっ甲店〉の手前で、やや太り気味のとても綺麗なネコと出会いました。グレイの毛並みにヘイゼルの瞳が可愛く、「ニャ~ン」と声をかけたら、近寄ってきて膝のあたりをスリスリしてくれました。綺麗なネコは、しばし私と遊んだのち、sabatora さんの妹の〈ふくねこ〉さんとこのジジたん&チッチさんのようにゴロニャンしたので、写真を撮ってやろうとカメラを向けたら、「写真撮影はご遠慮ください」と、不意に起き上がってゆっくり歩き出し、路地を仕切っているトタン塀を潜り、猫の額ほどのよそ様の庭に侵入し、縁側下の通風口から床下へと消えていきました。谷中は猫も多い町ですが、このような「猫の抜け道」もたくさんあるようです。


  

 危うく通り過ぎるところでしたが、観音寺手前の路地を左に曲がって、築地土塀を往復しました。江戸時代が残った塀の前を行ったり来たりしている間に、この門から↑のような若殿でも出てきても不思議じゃない? それにしても、この二人・・・お内裏様とお雛様でしたね!







  

           

 ガイドブックにも載っているカレー屋さんで昼食を取ろうと思ったのですが、メニュー だけ眺めて通り過ぎました。漱石先生が二人半も必要だとは・・・
 谷中に眠る朝倉文夫の住居&アトリエだった朝倉彫塑館(建物のデザインも彼自身)付近は、大正&昭和&平成が混在している感じ。彫塑館の先に「初音小路」という袋小路があって、昼も薄暗い木造アーケードの中に一歩踏み込めば、30年前にタイムスリップしてしまいます。奇跡的に、ここだけ昭和が取り残されてしまった?
「都せんべい」で、一枚70円の堅焼きせんべいをかじりました。

 朝倉彫塑館から数十メートル歩くと、日暮里駅から谷中銀座に向かう大通り(御殿坂)に出ました。正面の「中野屋」で、つい先日もNHK「おはよう日本」の土曜素敵旅に出演されていた「谷中の看板娘」から佃煮を買い、隣の経王寺で、上野戦争に敗れた彰義隊士を匿ったことで官軍から攻撃された際に、今も山門の扉に残っている弾痕を確認。人差し指大の穴が、分厚い扉を貫通していました。


                   

 経王寺を通り過ぎると、谷中銀座の入口にあたる〈夕焼けだんだん〉に着きます。急な階段に見えますが、実物はそれほど急ではありません。「土曜素敵旅」で取り上げられていた〈富士見坂〉(年に数回、夕陽が富士山に落ちるときは、ダイヤモンド富士と呼ばれて、多くの人が見物に来る)は、〈夕焼けだんだん〉の北側にあります。
(私が住んでる富士本でも、かつては自宅から富士山が見えたのですが、国立駅北口に次々建設されたマンションに遮られて、見ることができなくなりました)


 

                    

 〈夕焼けだんだん〉の坂道は、野良猫の憩いの場でもあります。彼らに餌をあげるために、わざわざここに来る人もいるようです。〈夕焼けだんだん〉の看板のところで休んでいたら、(メンチカツに焼き鳥に・・・)食べ物の匂いを嗅ぎつけたのか、三毛が近づいてきました。よくよく見ると、先ほど反対側で日向ぼっこをしていた猫(冒頭の写真)でした。お座りしている三毛を見て、近くにいたアベックの女の子が「きゃあ、可愛い~」と言って、すばやく懐からキャット・サラミを取り出し、彼女に食べさせました。用意がいいことに驚いたのですが、三毛も慣れたもので、飼い猫のように食べていました。


         

               

 〈よみせ通り〉から団子坂に向かい、〈千駄木〉の今川焼を食べながら、「次はどこへ行こうか?」地図とにらめっこ。三崎坂に向かう途中、たった1本ですが桃の木が満開に花を咲かせていました。三崎坂の〈全生庵〉には、『牡丹灯籠』『四谷怪談』『真景累ケ淵』など怪談噺で有名な落語家、三遊亭圓朝のお墓があります。また八月には「圓朝まつり」といって、圓朝が集めた「幽霊画」が特別公開されます。納涼や肝試しにいかがでしょう? 


 

                   

 オマケ写真はトシ子の夕食。〈コバヤシ〉の焼き鳥と腿肉。できたてを「買い食い」したときには負けるけど、香ばしくておいしいよ~。〈中野屋〉の佃煮三種。アミが懐かしい~。デザートは〈三陽食品〉のあんみつ。寒天と豆がポイント。あんみつには(緑茶もいいけど)ブラックコーヒーが良く似合う・・・お気に入りの豆を選びましょう。


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2 コメント

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Unknown (裕美)
2007-02-28 22:07:23
トシ子さん

今夜も読ませていただきました。谷中霊園にはたくさんの有名な方のお墓があるのですね。
その中で、徳川慶喜が気になりました。先日慶喜さんのお孫さん(プロのカメラマンで、事業家)のエッセイを読んだばかりでなので。渋沢栄一さんのお墓もあるのですか。私もお参りしてみたいです。
そう、夕焼けだんだん テレビで放送してましたね。夕焼けがとてもきれいだったです。パワフルなおばさんでしたね。
一日遅れでしたが・・・ (Toshi)
2007-02-28 23:14:52
裕美さん、こんばんは。
本当は昨日完成する予定だったのですが、寝ちゃったので一日遅れの更新でしたが、早速読んでいただき、ありがとうございました。

そうなんです。今回、徳川家の墓所までは行けたのに、〈慶喜さん〉とこにたどりつけなかったのは、何とも残念です。〈中野屋〉の看板娘は、あのまんまでしたよ(化粧はしていませんでしたが)。とても80歳を超えてるとは思えない若さでした!

私もまだ、〈夕焼けだんだん〉で夕焼けを見たことはないなあ~ 綺麗だったよね・・・

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