映鉄の誕生 ~久留里線全駅紹介の前に・・・

2007-10-02 23:56:20 | 独り言&拾いもの


熊本電鉄「アオガエル」で見つけたSHIBUYA


 鉄道記念日記念フリー切符を使ってどこへ行こうか?
 「青春18きっぷ」に準ずる格安切符を使うのは個人的にも初めてだ。何度か書いたように、廃止直前の「鹿島鉄道」と「くりはら田園鉄道」に乗ったことで、眠っていた「鉄」魂に火が入ったのだが、原点に遡ると・・・

 小学6年生のときに、途中城ヶ島ユースホステルに泊まって三浦半島を鉄道とバスで一周する計画を立てた。旅の時刻表を作成し親たちを説得、子供たちだけで一泊旅行に出かけた。
 その頃の自分は、愛読していたアーサー・ランサムの著作の影響を大いに受けて、小型帆船(ヨットではない。ツバメ号と呼びたい)とキャンプに憧れていた。両親は(小型帆船は無理な話でも)そんな私にテントを買ってくれた。今のスタイリッシュなテントとは異なる昔ながらの、眩しいオレンジ色の四人用テントだった。一日でも早くこの中で暮らしてみたくて、家の中で無理やりテントを広げる無茶もしたが、夏休みが来ると待ってましたと言わんばかりに友達の家の、10×5m大の芝生の庭にテントを立て、芝生が切れた片隅に石を積んでかまどを作り、二泊三日のキャンプ生活に入ったのだった。

 テントを張るだけでも一苦労、自炊といっても菓子パンを買ってきたり缶詰を煮る程度、トイレは自宅(まで100m)か友達の家を利用し、風呂は皆で銭湯に繰り出した。
 日差しをまともに浴びて(芝生が生えていたのだから当然だよな・・・)、昼のテント内は蒸し風呂状態、夜の暑さもひどいもので、天幕を閉じた状態で寝るのは不可能だった。風を入れてしのぎ易くしたところ、今度は蚊の攻撃とアリの侵入に悩まされ寝不足に・・・二日目には家の人にたらふく食事をご馳走になり、ついでに涼しい家の中の柔らかい布団で寝てしまったけれど、初めての天幕生活は実に楽しいものだった。
 朝露に濡れる芝生の上でだんだん空が明るくなっていく様子を眺めたこととか、防水加工がよく効いた新品テントの油臭い匂いとか、今でもよく覚えている。

 このテントは高校卒業まで野宿用に持ち歩いていたが、ユースホステルに泊まることが多く、旅そのものも自分の足(徒歩&自転車)で距離を稼ぐことの方が楽しくなっていき、めったなことでは鉄道に乗らなくなった。
(能登半島をバイクで一周した帰りに、今や大人気の黒部峡谷鉄道に乗った程度)
 自転車がバイクに変わり、やがて海外旅行にしか興味がなくなり(その割りに大したところに行ってないけど)、そのうち海外どころか近場にも出かけなくなってしまった。
(今の仕事ではどこにも行かれないと思っていた)

 同世代の鉄道写真家=中井精也氏は、毎日必ず鉄道の写真を撮ることを自分に課す「1日1鉄」を実践している。「1日1鉄」は、鉄道が見え隠れしてるスナップ写真だったり、鉄道も写っている記念写真だったり、思いがけない鉄道のユニークな顔写真だったり、鉄道が織り成す光と影のグラデーションだったり、単なる鉄道写真(それも偉大だが)ではないところが実に魅力的だ。
 レイルマン中井のHP=「Say?Ya!」は、 → ここをクリック


 中井氏は今日も「1日1鉄」道を邁進しているが、自分もまた(ジャンルが違うとはいえ)10年ほど前から「1日1映」を志すようになった。
 一日必ず最低1本は映画を見ること。この場合の「映画を見る」とは、基本的には映画館のスクリーンで見ることだが、社会人になると同時に「1年10映」まで激減してしまった。
 その間に映画を取り巻く環境が変わり、映画館かテレビで映画を見る(なぜなら、テレビでしか見られない映画もあった)時代から、レンタルビデオを借りて自宅のテレビで映画を見る時代になった(「カウチポテト」という言葉が流行したっけ)。
 けれども、ビデオで見る映画は、映画であって映画じゃない。映画館のスクリーンで上映されるフィルムに対して、ビデオの電子映像は、「絵そのものの大きさが全く異なる点」や「1対1.78のビスタサイズ&1対2.35のシネマスコープで撮影された映像の左右が4対3のテレビ画面に合うようにトリミングされている」といった問題以前に、解像度が圧倒的に不足していたからだ。そういうこともあって、レンタルビデオは殆ど利用しなかったし、レンタルビデオで見た映画はカウントしなかった。
 10年ほど前から、ソフトを視聴する環境が劇的に変わっていった。視聴環境さえ確保できれば家庭用プロジェクターが普通の人にも手が届く価格になり、またVHSビデオテープやレーザーディスクより高画質なDVDが登場し、左右がトリミングされていない映画本来の映像を見ることが可能になった。
 そんな折りに発売された三菱電機の三管式プロジェクター=LVP2001は正しくエポックメイキングな製品で、DVDプレーヤーの Ayre D1と組み合わせれば、ソフトの出来次第では映画館を凌駕する映像を見ることができた。ソフトも続々発売され、国内盤よりも高画質&低価格な米国盤DVD、さらに高画質なヨーロッパのPAL盤DVDなど、インターネットの普及も手伝い、内外問わず容易に、しかも普通だったら見ることが不可能だった映画ソフト(例えば、アメリカで「池玲子&杉本美樹」主演の東映映画が発売されるとか、日本では未だにソフト化されていない『丑三つの村』をPAL盤で見られるとか)を買うことのできる、「映画狂」にとっては本当に夢のような時代がやって来た。こうして「1日1映」が可能になったのである。

 ところが皮肉なことに、フィルム同様の「絵」が見られる次世代DVDが登場しようかという頃から「1日1映」に翳りが生じるようになった。DVDが逆立ちしても敵わない「絵」を見た瞬間、自分の集めてきたソフトの価値が半分以下になったことを悟り、一気に熱が冷めた。今後はしだいに数を増していくだろう次世代DVDソフトを集めればいいとも考えたが、わざわざパッケージソフトを買わなくても、ハイビジョンで放送される映画を見ればいい話で、やがてはブルーレイかHD-DVDのデッキを買って、映画を録画するだろうが、一分一秒を争う必要性を感じない。気になる新作映画は映画館で見ていることだし、DVDで十分な映画もたくさんある。気になるといえば、次世代DVDやSACDよりも、アナログレコードが気になりだした。

 「一日一映」の「映」チャンから「鉄」チャンへ・・・
 それはおそらく、昔懐かしいシネマの手書き看板が町中至るところにかかっている青梅を訪ね、「昭和ヂオラマ館」や「赤塚不二夫記念館」を回ったときに始まった。鉄道絡みだと、JR中央線がステンレス製の新型車両に入れ換わり、慣れ親しんだオレンジ色が見られなくなることを知らされたときだ。そして、オレンジバーミリオンの電車に乗って(中央線特有の色だと思っていたが、オレンジバーミリオンは「国鉄」カラーだと、その後知ることになる)奥多摩「むかしみち」を歩いた際に、今まで経験してきたことの「楽しさ」を思い出したのだと思う。それが週末の「東京散歩」になり、「鉄道の旅」になっていったのだ。今年の三月に廃止されてしまった「鹿島鉄道」と「くりはら田園鉄道」に乗り、今の自分が一番大事にしたいものを見つけた。

 ブログをたまに読み返すと、それが「現在進行形」であることに、改めて興味を覚える。読んでいるうちに、再発見することすらある。
(手前味噌をお許しください。日記なのだから、当たり前といえば当たり前の話・・・)
 今現在の「にわとりトシ子」は「鉄」のようにも見えるが、純粋な「テツ」ではなくて、「映鉄」あるいは「音鉄」といったところにいるような気がする。「映鉄って何?」と質問されると、答えに窮するけど・・・




唐突ですが、こちらの美女は、
マリア・グラッツィア・クチノッタさん。身長179cm。
『イル・ポスティーノ』(94)でファンになりました。
『それでも生きる子供たちへ』(05)を共同製作、
久しぶりにお姿を拝見できて、嬉しかったワン


最新の画像もっと見る

コメントを投稿