昭和の日に鉄道に乗って・・・④ ~銚子電鉄・犬吠埼

2007-05-16 23:56:50 | 鉄道紀行&乗り物

デキ3号(1922年生まれ)&デハ301(1930年生まれ)


 11時33分、大原駅に着いた。昼食どきをむかえ、かなりお腹が空いてきたニワトリは、いすみ鉄道の改札を出たところで(一日片道乗車券は記念にもらった)、お昼にしようかと思ったのだが(大原漁港の伊勢海老の水揚げ量は日本一だとか。ニワトリ風情に食べられるものではなさそうだが、おいしい海の幸に巡り合えた筈)、隣接するJRの改札口で、千葉行きの電車が入線する旨の構内放送を聞いて、この電車を乗り継いで銚子に向かうことにした。路線検索では、1時間後の12時40分まで電車は来ないことになっていた。やはり、時刻表を読まなければ駄目かなあ?と思いつつ電車に乗り込み、向かいのホームに停まっているいすみ鉄道に別れを告げた。「また来るよ。待っててね~♪」



                   

 本来なら特急〈しおさい〉号だった各駅停車に乗って銚子駅へ。銚子電鉄の改札は、JR銚子駅の2番ホームの先っぽにあった。ごらんのようにメルヘンチック。手前に見えるのは、名物の風車。でも、待っていた電車に気を取られてしまい、完全に見過ごした・・・

 
 大網で成東行きの東金線に乗り換え、三駅後の終点〈成東〉で、今度は銚子行きの総武本線に乗り換える。大網~成東間は、またしても懐かしい紺と白のツートンカラーのモハ112&クハ111に乗り、成東~銚子間は、特急〈しおさい〉に乗った。各駅に停まるため、特急料金を払う必要はない。ラッキー!(特急列車の快適シートに座れただけで喜んでしまったが、同じ理屈でグリーン車にもタダで乗れた筈。気がつかなかった~)。接続も非常によろしい。
 いいことづくめだが、そのおかげで食事を取ることができない。駅弁もなさそうだし、キヨスクにも寄れない。せっかく特急のシートに座れたのに、接続が良すぎて飲み物すら買えなかった。
 15分ほど眠っただろうか? 13時36分、終点の銚子駅に到着した。お昼にしようかと考えてから2時間が経過していた。お腹がぐーぐー鳴っている。でも、13時44分発の外川行き銚子電鉄の二両編成が停まっていたので、この電車に乗って犬吠埼まで行くことにした。

                   

 デハ702&デハ1002。1001はゲームソフトの宣伝用に青く塗られていた。下は、ポルトガル調の犬吠駅。使われなくなった車両はレストランに!

 通勤ラッシュ並みの人を乗せて出発、雑草が伸びてきた線路を時速20kmぐらいの低速で走っていく。電車は、家の軒先や藪や工場裏、キャベツ畑を走っていく。銚子電鉄は最高に楽しい乗り物だった。吊革も、シートも、運転席、振動や、モーターの音や、車窓の風景、目に写るもの、耳に聞こえてくる音、それら全てが非常に貴重なものに思えた。この鉄道を失ってならない。
 結論からいうと、ローカル線は、切符発売だけでは鉄道を維持することができない。国鉄の民営化に伴い多くの赤字路線が廃線になったが、今再び、多くの鉄道が存続の岐路に立たされている。「銚子電鉄」は、ぬれ煎餅&たい焼きの販売と、人々の善意(銚子電鉄サポーターズ&千葉ロッテ・マリーンズ)によって、今日も何とか持ちこたえている。少しばかり遠いのが難点だが、片道20分の旅は、過去にタイムスリップしたような懐かしさと、同時に驚くほどの新鮮さを味わえる。私は病みつきになりそうだ。ぬれ煎餅も美味なり!(写真を撮り忘れたけど、非常に好評でした~♪)


 美味といえば、改札を出たところで販売していたつくね汁(うおそば)のおいしかったこと! つくね汁はたったの300円!さらにおふくろの味?のおむすび(具は梅干しです。二個200円)を頬張りながら犬吠埼灯台へ向かった。7分ほどで灯台に着いた。高2の夏休みに自転車で来たことがある。海岸でキャンプするつもりだったが、大荒れの天気となり、早々退散した。
 犬吠埼灯台は1874年(明治7年)に建てられた。真っ白なので気がつかなかったが、レンガ造り。英国人技師ブラントンの設計で、高さ31m。「世界の歴史的灯台100選」に選ばれた。こうした情報は、今日まで全く知らなかった・・・

 灯台左側の景色

      灯台右側の景色 

灯台正面の景色



浜(磯)に降りてみた・・・

このように周りを散策できる!


 塔頂に上がれば、地球の丸さも自分の目で確かめられるのだが、この日は灯台を見学する人の長い長い列ができていた。その代り?に遊歩道を歩いて灯台をぐるっと一周~。水平線が230度ぐらい展開している。海は広くて青いが、光の差し込む角度によって様々に色を変えた。

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