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切手帳の自分史

2009-10-01 23:58:18 | 日常&時間の旅


    

(左)切手帳の1頁目には、花や魚に動物や鳥といった生き物の絵柄の切手が飾られていた。イリオモテヤマネコ、ニホンカワウソ、オガサワラコウモリ、アマミノクロウサギは、おそらく「特別天然物」の記念切手だと思うが、オシドリのような普通切手も混じっているので、記念切手と普通切手の差別化をしておらず、好き嫌いだけで集めていたことがよくわかる。アホウドリ、ライチョウ、キジバト・・・この頃から好きだったんだ~!
(右)次の見開きには「国立&国定公園」シリーズの切手が貼られていた。切手の場所を全部訪ねるんだと夢想していたっけ・・・。


  数十年ぶりに取り出した切手アルバムに収められた切手は全部で18頁しかなく、集めていた時期も1970年から72年までと、小学校4~6年のわずかな期間に過ぎません。ところが、これらの切手を眺めていると、例えば、あるシリーズを一枚たりとも欠けることなく完璧に集めていくのではなく、また、手当たり次第に集めて「量」の充実を図ってゆくわけでもなく、気に入った絵柄を単に集めるという、今に通じる自分の性格がはっきり出ていることに驚かされました。
 なおかつ驚かされたのは、今の自分の核になっているものが、全てこの時期に形成されていたことでした。こうなると、「切手帳から垣間見る自分史」と言えそうです。昭和史の一端も窺えて、とても楽しかったです。


      

 次の見開きには、東京オリンピック(写真左)と札幌オリンピックの記念切手が並ぶ。東京オリンピックの切手は父から貰った。万博と沖縄海洋博の切手もあった(写真右)。たった4枚だが、毎年変わるお年玉郵便切手も好きだった。


     

 花鳥風月の次に来るのが童話&昔話(桃太郎、竹取物語、鶴女房、花咲爺、ねずみの浄土、浦島太郎が描かれている)に、歴史モノの世界。みうらじゅんさんには負けるだろうが、この頃から仏像が好きだった。浮世絵の東海道五十三次シリーズも全部集めたいと思った。高松塚古墳の記念切手は、発売初日に並んで買った覚えが・・・。


     

(左)鉄道百年記念切手(1972)を始め、鉄道の切手もちゃんとあった! 「テツ」の下地は、ずいぶん前にできあがっていたというわけ。SL、鉄橋、0系新幹線。全て時を超えて今の自分を動かしている。
(右)もう一つ驚いたのが、平成6年の「ふみの日」切手など・・・。実はこの頃、私の「のだめ」ちゃんと頻繁に手紙のやりとりをしていて、便せんや切手に凝っていた。料金に関係なく、きれいな記念切手を手紙に貼ったこともある。「鉄道」のことも「文通」のことも、まさか切手帳が思い出させてくれるとは・・・。
 

     

(左)子供のくせに外国の切手にも手を出していた(立川のデパートで買ったもの)。アドルフ・ヒトラーの切手なんて、どの国が発行していたんだろう? 中段には朝鮮民主主義人民共和国の切手が! 確か、抗日プロパガンダ映画を見たときに買った「独立記念○○周年」の切手だと思う・・・紙質がとても悪いのはご愛嬌?
(右)切手としての価値は無きに等しい消印付切手も、実は好きだったりして・・・消印があるからこそ切手に浪漫が生じるわけで、それが外国の切手ならなおさら・・・。

 今もたくさんの切手が発行されていますが、絵柄が写真の切手はどうも好きになれません。この傾向も最初から形成されていて、写真切手は皆無でした。

 日本郵便発行の切手の情報は、 → ここをクリック 
 切手のお店マルメイトのHPは、   → ここをクリック


帰ってきました・・・

2009-09-22 23:09:00 | 日常&時間の旅


 やれやれ、目いっぱい動き回り、スイスから帰国しました・・・というのはもちろん嘘ですが、「この景色、(行ったことがないけど)ベルンに似ているなあ~」なんて思いながら、とっさにシャッターを切りました。この湖、河口湖です。カチカチ山(本当の名前は天上山)ロープウェイの山頂駅付近の眺望でした。大して期待していなかったのですが、これは凄い!

 残念ながら、二日間とも富士山は雲に隠れ、圧倒的な星空も見られなかったのですが、わいわいがやがや、二日間楽しく無事に過ごすことができました。これを書いている今、心地良い眠気に襲われていますが、皆とても楽しんでくれたようで、本当に良かったと思います。男性ばかり7人、バンガローに泊まるのは初めてで、先が全く読めなかったのですが、案ずるより産むが易し。この感じなら、また皆で泊りの旅行に行かれそうです。
(楽しい写真もたくさん撮れました・・・)



 手持ち1/25秒で撮ってみました(三脚があれば、もっとスローで撮れたけど)。山(カチカチ山ロープウェイ)、湖(本栖湖遊覧船「もぐらん」)、滝(音止の滝&白糸の滝=上写真)、洞窟(西湖コウモリ穴)と、二日間盛り沢山! 毎日1万2千歩。皆さん、よく歩いたね~。バーベQも美味しく食べられたし(残りの材料で作った朝の豚汁がおいしかったこと!)、花火もできて温泉にも入れて、これで渋滞がなければ100点満点だったのに・・・もろに巻きこまれました。星は見られなかったけれど、虫の音と共に眠り、鳥の声(ニワトリも混じりました)で目覚めるアウトドア・ライフを満喫。『深夜プラス1』は、早朝の時間帯に読むことができました。残りをこれから読もうと思うのですが、多分読み終える前に寝てしまうでしょう・・・。


登山熱再び? ~高尾山に登ってきました!

2009-09-06 23:38:00 | 日常&時間の旅


高尾山は素敵だ!(ケーブルカー&リフトで登れます)


 仕事で高尾山に登ってきました。何とかガイドにも載っただけあって、外人さんの多いこと! カラッと秋晴れの土曜日だったことも手伝って、実に多くの人が繰り出していました。
(往きはよいよい帰りは怖い・・・やっとの思いで降りてきて休んでいると「下りのケーブルカーは3時間待ち」とのアナウンスが! 苦労した甲斐があった?)

 最後に高尾山に登ったのが高校一年の元旦。真っ暗闇の中だったので、初日の出はともかく、途中の道の記憶がありません。
 今回はケーブルカーを利用することも考えたけれど、山頂まで 3.8kmなら歩けるだろうと、右手の表参道になる1号路を登り始めると、勾配を体が覚えていたんですね~、小学校の遠足を思い出しました。
(そうそう、先頭切って登ったんだよ)
 急坂を長時間登るのは、このブログを始めた2006年の秋に奥多摩の「むかしみち」を歩いて以来のこと。汗が噴き出し、息が上がってしまいました。でも、地球の重力を感じながら、じわりじわりと高度を上げてゆくのは何とも気持ちがいいものです。空気もおいしく、日陰だと空気がひんやり涼しく、実に爽快です。(坂道は辛い筈なのに)同行者の会心の笑顔も忘れられません。
 山上駅までの坂道に比べれば、高尾山薬王院の階段なんて何のその。見事二人は標高599mの山頂に立ちました。来た道を引き返すと、急坂の下りがネックだと、駅で手にしたパンフを手に取り、距離と所要時間の短い6号路(沢沿いの道)を降りて行くことにしたのですが、これがとんでない大間違いで、丸太の急階段を降りたと思ったら、木の根っこや岩だらけの道とは呼べない急勾配が待ち構えていました。いつかはまともな道になる筈だと、祈るような気持ちで降りてゆくと、やがて沢にぶつかったのですが、沢沿いどころか源流がちょろちょろ流れる中を石伝いに降りてゆかねばなりません・・・一人なら楽しめたかもしれませんが、ここに来て絶句してしまいました。
 駅で手にしたパンフには特に注意書きがあるわけではなく(自分と同じように1号路より6号路の方が楽だと思ったのか、1号路では殆ど見かけなかったサンダル履きで登ってくる人もいました)、「ふざけんなよ」と毒づいたところで引き返すことは不可能です。しかも、まだ5分の1しか下っていないとは・・・。
 6号路は最後までこんな道で、少しでも足元が不安な箇所は手に手を取って一歩ずつ慎重に降りて行きましたが、90kgを超えているかもしれない同行者が足を滑らせたら支え切れるはずがなく、怪我どころが転落死していたかもしれません。
 ようやく安全な舗装路に出たとき、こちらは精魂尽き果てた感じでしたが、同行者が意外とケロッとしていて、疲れた様子も見せていなかったので、ほっとしました。歩き通してケーブルカー乗り場に戻ってきたときは、「良く頑張ったね」と固い握手を交わしました。

 久しぶりの登山は、一部冷や汗ものでしたが実に爽快で、自然の美しさも堪能できました。中学時代に、奥多摩&秩父の山に登りましたが、その頃の楽しさをまた思い出してしまいました。これ以上、やりたいことが増えても体は一つしかなく、時間には限りがあるしお金も手当てできません。でも、山登りって、やっぱりいいなあ~♪
 

 高尾山は山頂から見下ろす米粒みたいな下界の景色が良く、また、より高い山々をまるで望遠レンズで圧縮したみたいに手前に引きつけて見るのも素晴らしい。そして、薬王院がこれまた素晴らしかった。ここなど、紅葉の時期にもう一度眺めてみたい。


ガンダム、地上に立つ!!

2009-08-31 23:58:10 | 日常&時間の旅


 8月30日、仕事でお台場に行き、潮風公園「太陽の広場」に立つ実物大ガンダム(高さ18m)を見てきました。天気は今一つでしたが、運良く雨が上がってくれました。曇り空が背景でも神々しいほど格好良く、いかにも「ガンダム、地上に立つ!」といった感じでした。


 大井町から地下に潜り、臨海線で「東京テレポート」に向かいます。JR臨海線に乗ったのは初めてですが、未来っぽいプラットフォームでした。確か、海の底ですよね。ここって・・・。


    

(左)明日が最終日の日曜日だけに、大勢の人々がひと目ガンダムを見ようと訪れていました。ちなみに今日のクロージングセレモニーは、台風接近に伴い、中止になったそうです。
(右)これまた運良く、ガンダムが動く(首が上下する)時間帯(一時間に一回動くのかな?)に立ち会いました。写真では分かりにくいかもしれませんが、ガンダムは上空を見上げ、色々な箇所からミストを噴出しています。


 ビームサーベルを抜いて動き出しても何の違和感もありません。パイロットはどこに乗っているんだっけ?


猫可愛がり・・・

2009-08-10 09:43:39 | 日常&時間の旅


今朝のくるみさん。ひと休みしているところ・・・。


 土日は休みだったのですが、父が旅行中だったこともあり、買い物に出る以外は家にいました(父は日曜日午後に帰ってきました)。当初の予定では、土曜日は映画、日曜日は早朝を利用して毘沙門湾に行くつもりでしたが、一日中猫と過ごし、深夜遅くブログを書いていたせいで日曜日は早起きできず、結局この日も一日中家でゴロゴロしていました(おかげさまで掃除がたくさんできました)。
 この調子だと、夏休みの三連休も例年のように旅行に出かけることができないかもしれません。また、今年はできなくてもいいや、と考えている自分がいます。
 映画を見たり(前売券が3枚あるし)、幕張の恐竜展や六本木のルネ・ラリック展とか、めぼしい美術展を巡るなどして過ごそうかな~♪
(まあ、自分のことだから、去年と同じように、いきなり出かけるかもしれませんが・・・)

 べたべたくっついているわけではないのですが(今、猫はキーホルダーをオモチャに一人で遊んでいます)、眺めているだけで時間がどんどん過ぎてしまいます。そして後ろ髪を引かれながら出勤・・・と、仕事以外はそっちのけで「猫可愛がり」な毎日を過ごしています。今までブログを読んでくださった方は、その変貌ぶりに驚かれているかもしれないし、(ニワトリさんの性格を推し量って)「さもあらん」と頷いていらっしゃることでしょう。
 あっ、そろそろ、出かける支度をしないと・・・。


今日は3時50分に活動開始!


城ヶ島の雨 ~北原白秋歌碑

2009-07-23 23:56:30 | 日常&時間の旅


 最後に、北原白秋の歌碑を見に行きました。歌碑(雨はふるふる・・・)は、城ヶ島公園の無料駐車場から道路を渡って300mほど、城ヶ島大橋のたもとに、やや唐突な感じで立っています。こうして見ると、『2001年宇宙の旅』のモノリスみたいですね。満潮時と干潮時で若干景色が変わるのかな? 1949年、遊ヶ埼に建立され、城ヶ島大橋の建設に伴い、今の位置に移設されました。
 「雨はふるふる城ヶ島の磯に 利久鼠の雨が降る」
 初めて歌碑の前に立った日も、一日中雨が降っていました。


     

(左)橋の真下に、北原白秋記念館(入場無料)がある。ここに入ったのは今回が初めて。
(右)記念館から見た城ヶ島大橋。なかなか格好いいじゃない!


 たもとから見上げる城ヶ島大橋(左写真)と、対岸の三崎から眺める城ヶ島大橋(右写真)。渡っても良し、眺めても良し。橋好きになったのも、この橋のせいかもしれない。城ヶ島を後にしたニワトリさんは、三崎で、信じられないくらいおいしいマグロを食べ(「咲乃家」というお鮨屋さんでした)、観音崎に戻ると・・・小さな命を預かり帰途についた(その「くるみ」は、ベッドで「の」の字を描きながら寝息を立てています)。

 猫と添寝していたら本当に寝てしまい、日付が変わる寸前に目が覚めました。記事も書き終わったので、本格的に寝ます。おやすみなさい・・・。


安房崎灯台と秘密の海

2009-07-22 12:50:55 | 日常&時間の旅


 城ヶ島公園内のピクニック広場でおやつを食べている小学生たちの間を縫うように歩き、急斜面の階段を下って海岸に出ました(海抜4m)。ロウソクのような安房崎灯台が正面に建っています。ここまで降りて来て、初めて記憶が甦ってきました・・・。


    

(左)高さ11.5mの安房崎灯台。地元の陳情を受け、1962年に海抜13mの岩場に設置された。
(右)船のハッチのような出入口。磯の先端にあって海に面しているため、満潮時はスリルたっぷり? 昔訪れたたときは風雨が強く灯台まで行かれなかったが、この日は灯台下まで行くことができた。磯釣りをしている人がいて、メジナが釣れる瞬間を目撃。釣り人たちの「お魚」を楽しみにしている猫もいるとか・・・。


 この付近の自然環境は厳しく、終始波や風を受けているため、普通の磯と違って表面はつるつるだ。打ち寄せる波が、岩の基部を長年にわたって削っていった。こうしてできた庇は、風さえ吹いていなければ格好の雨よけになってくれ、大きな岩だと庇というより小さな洞窟といえるまで海蝕が進行してゆく。その昔自分たちは、窪みや洞窟を秘密基地に見立てた。写真の左側に、一番大きな「秘密基地」が見える。


(左)すっかり忘れていた「秘密基地」だけど、見つけたとき胸が高鳴った・・・。
(右)こんなのもあった。一人一個ずつ、自分の基地を持ったような持たないような・・・。


(左)そして・・・ここの砂浜の砂は、半分以上が貝だったことも思い出した。粒も荒く、まだ原形を保っている貝もあった。
(右)寄せる波に引く波。あちらこちらにこのような小さな水路が出現する。自然が作ってくれた遊び場のおかげで、雨に濡れながらも思い切り楽しむことができた。遠い昔の話だけど・・・。


(左)自分たちは安房崎を「秘密の海」と呼んだ。この一番大きな入江が基地から海へ出る「港」だった。夏に「秘密の海」でキャンプ、ゴムボートを持ってきて「港」から外海を探検しよう、と話し合ったっけ・・・。
(右)ここから漕ぎ出すことはなかったけれど、それぞれ皆、外海に出ていった。いつか戻ってこようね~♪


 一足先に思い出の地に還ってきた元少年は、夏の香りのする斜面を登って公園に戻り、城ヶ島のネコたちと遊びました。まるで成長していない感じだけど、(GWから始まった)過去をフラッシュバックする旅も、ようやく終点を迎えようとしていました。

 今日は世紀の天体ショーを楽しもうと思ったのに・・・仕事に向かう足取りも重い? またもや30時間耐久レースの始まり・・・7月を乗り切れば楽になる?


城ヶ島公園 ~城ヶ島砲台跡地に造られた公園

2009-07-21 23:03:35 | 日常&時間の旅


 今ではニンゲンよりも猫が闊歩する城ヶ島公園ですが、戦前は(ネコどころか)一般人立入禁止の要塞地帯で、除籍になった巡洋戦艦「生駒」の25cm連装砲塔2基を中心に多数の野砲が配置されていました。砲台跡は、跡地17haを城ヶ島公園として造園する際に埋め立てられてしまい、観音崎の砲台跡と違って当時の痕跡を残していませんが、展望台のコンクリート壁に貼られた公園の地図を眺めていると、おぼろげながらかつての姿が浮かび上がってきました。
 西側砲台は、駐車場入口前の円形花壇植込みに、東側砲台はトイレ付近に設置され、地下施設の入口が確認できるそうです。現在は入口を塞いでしまったそうですが、少し前まで内部を探検できたとか・・・(そこらへんは、次回訪ねてみるつもり)。


(左)城ヶ島公園入口。ウミウが迎えてくれるが、ここの住人は猫!
(右)中に入ると、左右に松林が広がるが、強風のため左に傾いている!


(左)奥の展望台から城ヶ島大橋を振り返る。中央に見えるトイレ付近に砲台があったのかな? 丸い模様が台座の跡だったリして?
(右)同じ展望台から安房崎灯台を望む。円形のテーブル&ベンチが置かれている場所も台座だった? この大きさだと高射砲?


(左)安房崎灯台をズームアップする。ここに秘密基地を築いたのだが、今も残っているかな? 胸がドキドキしてきた・・・。
(右)東側に目をやると、手つかずの自然が広がる。この裏は断崖絶壁で、ウミウの繁殖地になっている。


久しぶりの日比谷公園

2009-07-02 11:53:00 | 日常&時間の旅


 先日映画をはしごしたときに、2時間ほど待ち時間が生じてしまったので、久しぶりに日比谷公園を散歩してきました。シャンテからだと、5分足らずで行かれます。曇り空がちょうどいい感じでした。
 日比谷公園は、明治36(1903)年に日本初の都市型公園として開園されました。以来、都会のオアシスとして人々の憩いの場となり、また様々な生きもの達の安らぎの場になっています。確かに、公園内に一歩入っただけで、空気が違うことが実感できます。都会にもう少し緑が増えれば、東京はもっと優しい都市になれるのではないでしょうか?


(左)園内には、至る所に記念碑や彫像が置かれています。宝探しをするように歩いて、これらのものを見つけるのも楽しいかも。この埴輪だけど、大魔神に変身して、世直しをしてほしいな~。
(右)大噴水前の小音楽堂で男声合唱団が歌っていました(『宇宙戦艦ヤマト』のテーマソングを熱唱中)。少し離れた野外音楽堂でも何かの音楽祭のリハーサルが行われていて、ちょうどいいBGMになってくれました。その他、日比谷公会堂も有名。ここは音楽の森でもあります。


    

どういうわけか、「ペリカンの噴水」がお気に入りなのです・・・。


    

(左)奥の雲形池には、「鶴の噴水」もあります。何でも、国内で三番目に古い噴水だとか・・・。ここは藤棚もいいんだな~。
(右)日比谷公園でも、紫陽花が花盛りを迎えていました。


雀たちが集まって大騒ぎ!


多くの雀が止まり木として使っていました。綱渡りはお手のもの?


第一花壇内の芝生を満喫していたのは彼らでした。いつぞやは亀も見かけたっけ・・・。


 日比谷見附の石垣と巨木。日比谷公園の詳細な探検は後日にすることにして、映画館に戻りました。


0系新幹線と太陽の塔のご対面 + E5

2009-06-25 23:55:55 | 日常&時間の旅


 10日前の新聞記事だけど、この写真を見たとき心が躍りました。大阪吹田市の万博記念公園の前を通過する0系新幹線です。新幹線が通過する時間(16日午前2時過ぎ)に合わせて、同公園内の「太陽の塔」をライトアップ、70年代を象徴した二つの顔が顔を合せました。
 この0系新幹線は、去年の12月に引退するまで新大阪~博多間を走っていた3編成のうちの1両で、吹田市にある旧国鉄操車場跡地内に設けられる鉄道公園に展示されることになり、トレーラーに載せて博多総合車両所を出発、博多港から海路で神戸港に向かい、神戸から操車場跡地までは再び陸路を行きました(8月から公開予定)。
 もしかすると、去年の11月にニワトリさんも乗った車両かもしれません。一時代を築いた0系新幹線が、動態保存されることなくこの世から消えてしまったことは大変悔やまれますが、こうして少しでも多くの車両がスクラップにされずに静態保存されることを願います(中間車両も残しておきなよ)。
 
 少し前にCFにもなったので知っている人は多いと思いますが、普段は線路を走っているはずの新幹線が道路を走っていたら驚きますよね! 正確にいえば、新幹線はトレーラーに載せられて移動しているだけですが、輸送が深夜行われることも手伝って幻想的ともいえる光景でした。
 かく言うニワトリさんも、ずっと昔の話になりますが、クルクル回る赤や黄色の誘導灯に白と青の車体を浮かび上がらせた0系新幹線が、家の前の道路をゆっくり通り過ぎ坂道を下ってゆくのを目撃したことがあります。
 なぜ、真夜中に家の外に出たのか定かではないのですが、「新幹線が何でこんなところを?」と、夢でも見ているのではないかと思うくらいびっくり仰天して、夢ではないことがわかるや新幹線の後を追いかけました。
 坂の下には旧国鉄の鉄道技術研究所(現在は鉄道総研と呼ばれている)があって、新幹線はそこに運びこまれていったのですが、道路の幅員が狭いために、坂下の交差点を右折するのに大変な時間を要しました(途中まで見て引き返した)。
 実はこの新幹線、0系そっくりだけど0系ではなくて、さらなる高速化を求めて1968年に試作された951系という2両編成の試験車両でした。951系は山陽新幹線開業前の相生~姫路間で最高速度286km/hを記録しましたが、実用化されることなく1979年に廃車され、幻の新幹線になってしまいました。
 自分が目撃したのは、多分そのときに鉄道研究所に送られてきた2両(951-1、951-2)だと思います。そのときは何とも思わなかったけれど、その瞬間に立ち会っていたなんて、何という偶然でしょう。もしかすると、本当に夢を見ていたのかもしれません。951-1は、今も鉄道総研前の「ひかりプラザ」の一角に展示されています。




 同日、JR東日本の新型新幹線=【E5】型の試験走行が始まり、報道陣に公開されたという記事も掲載されていました。新型車両は、【E4】=カモノハシの鼻をより一層伸ばした感じですが、正面から見ると「かなり笑える」顔のような気がします。
 【E5】は東北新幹線で運用され、東京~新青森間を3時間05分で結ぶ予定だとか・・・今年生誕100年を迎えた太宰治が、これに乗って津軽の実家に帰ったら、何と言うだろう? ちょっと興味がありますね~。


(左)試験走行を終えて仙台に着いたときの写真だと思うけど、車両と一緒に写っているマニアの人も、E5共々「全国区」になりましたね!
(右)車内はなかなか良さそうです。