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旧本館(日本館)のフタバスズキリュウ

2009-05-27 01:26:26 | 美術館&博物館など

 重要文化財にも指定されている国立科学博物館日本館。本館と呼ばれていた頃は、階段回りの吹き抜け1階に、ティラノサウルスの復元骨格が展示されていた。


 国立科学博物館で開催されている『大恐竜展』の入場料は、大人一人1500円。この金額は、高いと言えば確かに高いけれど、『大恐竜展』の入場券で常設展も観られることを考慮すると、非常に安いと思います。日本館(旧本館)と地球館(旧別館)の展示品を全て見ようとしたら、丸々一日使ってもいっぱいいっぱいだと思うし、その前に(詰めこみ過ぎて)頭がパンクしてしまうでしょう。
 向かって右側の入口にD51-231号、左側の出口にシロナガスクジラの等身大の模型が飾られている国立科学博物館。子供の頃は、万世橋にあった旧交通科学博物館と同じくらい「行くのが楽しい」場所でした。今日は『恐竜展』だったので、常設の展示物も化石関係だけを観るにとどめました(ハチ公のはく製も見なかった)。


(左)ヨーロッパ(行ったことがないけど)にいるのではないか?と錯覚しそうな、旧本館吹き抜けの丸天井。美しいアーチを描く柱に刻まれた彫刻も美しい。
(右)明かりとりのステンドグラスも美しい。電球の傘も重厚で凝っている。


 日本館3階北翼には、フタバスズキリュウの復元骨格と、化石が発見された時の状況を再現した産状レプリカが置かれている。首長竜はかなり好きな恐竜だけど、フタバスズキリュウが発掘されていなければ、そうならなかったかもしれない。


(左)1968年、いわき市でほぼ1体分の首長竜の化石が仰向けになった状態で掘り出された。第一発見者は高校生! 子供の頃にフタバスズキリュウに関する本を読み、自分も恐竜の化石を発見したくなった。
(右)尾と後頭部は侵食により失われてしまい、首は根元から切断され骨も残っていないが、それ以外は非常に良好な状態で発見された。

 

(左)フタバスズキリュウと同じ部屋に展示されていた各種アンモナイト。三葉虫とアンモナイトは化石大好き少年のアイドルで、小学時代に何度か化石堀りに出かけている。
(右)物理で習った「フーコーの振り子」(実験中)。吹き抜けの天井から吊るされたボール(映画『ファンタズム』に出てきたような銀色の球)が枠内を通過する瞬間にシャッターを切った。


大恐竜展(続き)

2009-05-25 23:55:00 | 美術館&博物館など

 全長13mのマシャカリサウルス(竜脚類)と、その手前のアウカサウルス(獣脚類)。全長5.8mの肉食恐竜は、獲物を捕えるための前肢が発達していなかった。マシャカリサウルスの卵や子供を狙っていたのかもしれない。大型モニターには、アウカサウルスが反撃に出たマシャカリサウルスの尻尾に跳ね飛ばされる様子が映し出されていた。


 マプサウルスの親子。マプサウルスは巨体の割に骨が軽く、大型獣脚類にしては珍しく、群れで行動していた。マプサウルスが集団でマシャカリサウルスに襲いかかる迫力の映像も映し出される。


 全長6mのメガラプトルは、鎌のように鋭く巨大な親指の爪で獲物に襲いかかった。集団で狩りをしていた可能性が高く、最強のハンターだったかもしれない。この迫力だから、映画デビューも夢ではない?


 大型モニターをじっと見つめるマシャカリサウルス(の復元骨格)。アウカサウルスを追い払ったところにマプサウルスが現れた! じりじりと間合いをつめられてしまう・・・。


 翼竜たちも腕を広げて滑空する。手前がタラソドロメウス。翼開長は4m。奥がアンハエグラの新種(まだ名前がついていない)で、翼開長は7m!にもなる。


(左)タラソドロメウスのトサカは体温調節の役割を果たしていたらしい。
(右)骨だけの方が迫力がある? すごい歯だけど、この翼竜は 何を食べていたのだろう? オキアミみたいなものを漉していたのかもしれない。


 白亜紀の植物の化石。裸子植物が多いが、竹など馴染みの深いものもある。押し花みたいに美しく、はっきりと形が残っている。化石堀りに行きたくなっちゃった~♪


 ウルトラマンも見学に来た国立科学博物館の『大恐竜展』は6月21日まで! 
 公式HPは、 → ここをクリック
 今夏にはマメンキサウルスもやってくる! 公式HPは、 → ここをクリック


大恐竜展 ~ゴンドワナ大陸の恐竜たち

2009-05-24 23:57:35 | 美術館&博物館など

 マプサウルスの親子(成体と幼体)。このように二頭が寄り添っていると、『ジュラシック・パーク Ⅱ』を思い出しますが、最新の研究では、ティラノサウルスの幼体は鳥のように羽毛で覆われていたと考えられています。マプサウルスの幼体はどうだったんだろう?


 国立科学博物館で開催されている『大恐竜展 ~知られざる南半球の支配者』に行ってきました。あいにくの雨も、新型インフルエンザ騒ぎも、どこ吹く風といった感じで、大変混んでいました。ルーブル美術館展などは大盛況で、長い行列ができていました。フェルメールとラ・トゥールが1枚ずつ来ているみたいなので、観たい気持ちは山々だけど、これだけ混雑していたらちょっとねえ・・・。
 先週と同じように、9時44分の電車を待ったのですが(三鷹で中央特快に乗り換え、御茶ノ水で待ち伏せる例の作戦です)、やってきたのはE233系でした。ショック~~。でも、α700を持っていってよかった~!
 というのも、通常の展覧会と違って、『大恐竜展』は写真撮影可だったからです。確かに、動物園や水族館と同じように、子供たちと恐竜のツーショットを撮れれば喜びますよね~。ニワトリさんもカメラをリュックから出しました。でも、人、人、人・・・で、なかなかシャッターチャンスが訪れてくれません。できるだけ、人が切れた瞬間を狙って撮影するようにしました。カメラのモニターでは綺麗に撮れていたのに、パソコンで確認するとブレている写真も結構あり、ちょっと残念・・・!


 最初にお出迎えしてくれるのが、南極大陸で最初に命名されたクリオフォサウルス(凍ったトサカトカゲ)。全長7m。ジュラ紀前期の肉食恐竜の中では最大級の大きさだった。頭の上にニワトリのようなトサカがある。復元標本は今にも動き出しそうだ。



(左)吾輩は(発見されたばかりで)まだ名がない。三畳紀(二億五千年前)というとても古い時代を生きた。全長1.5m。獣脚類の祖先にあたる。あのティラノサウルスも、吾輩から進化した。
(右)ウネンラギア(不完全な鳥)。鋭い爪や骨格から、ラプトルの仲間ではないかと思ったが、前足の骨格が鳥類の翼と同じように曲げることができるような構造になっていて、羽毛も備えていたらしい。獣脚類の恐竜もまた様々な形態に進化していったが、白亜紀後期になるとティラノサウルスのような大型肉食恐竜以外に、ウネンラギアのような恐竜が出始め、彼らが鳥類へとダイナミックに進化してゆく。


 ニジェールサウルス(右)とアンガトラマ(左)。共に白亜紀前期。ニジェールサウルスは巨大化した竜脚類の仲間だが、全長10.5mと小さく、首も短い。地面付近の草を食べていた。被子植物の時代がやってきたが、二ジュールサウスは大型のディプロドクスより、環境に適応することができたのだろう。アンガトラマはスピノサウルス(『ジュラシック・パーク Ⅲ』の勇姿を思い出しますね)の仲間だけど、それほど大きくなく、全長6m。


 映画と違って、スピノサウルスがティラノサウルスを倒すことはあり得ないそうですが(時空を超えて戦ったとして)、格好良い恐竜ですよね~♪

 今から11年前にも、知られざるゴンドワナ大陸の恐竜展があり、ティラノサウルスよりひと回り大きなギガノトサウルスも展示されました。時刻は真夜中を越し、国立科学博物館では、今頃彼らが動き始めている?(常設館の恐竜達と合流したら、大変ですね~)。とりあえず、今夜はここまで・・・。


手塚治虫展 ~未来へのメッセージ

2009-05-18 10:20:00 | 美術館&博物館など



 手塚治虫が亡くなってもう二十年が過ぎてしまったなんて・・・とても信じられない。これにはいくつか理由があって、一つは自分の体内時計がどうやら「昭和」で止まってしまっているからだけど、思えば、昭和3年に生まれ平成元年に他界した手塚治虫の、たった60年間の生涯が「昭和」という時代そのものだった。
 「平成」の手塚治虫も見てみたい気もするが、人類が「地球」という生命体を引き返し不能地点まで追いこんでしまったことや、一向に地上から戦火が消えないことや、平等に与えられるはずの生存権がないがしろにされ、いよいよ格差が拡大していることなど、地球全体のことを考えると「人類だけ滅んでしまえばいい」と極論したくなる「現実」を、彼に見せたくないとも思う。
 手塚治虫が亡くなったことが信じられないもう一つの理由は、彼が今も自分の中に生きているからだ。幼少期から彼の漫画やアニメをそれこそ「食べ物」を摂るみたいに読んでいるうちに、死の直前まで漫画を描かせてきた「執念」というか「精神」みたいなものが体内に蓄積され、いつしか自分の血となり肉となったのだ。
 影響力の大きさを考えても、間違いなく自分は手塚治虫の子供であり、今では伝説となった「トキワ荘」から生まれた漫画家たちから、一番大事なことを教わっていたのである。本や映画も貪欲に「食べた」が、漫画が自分の教科書だった。
 この展覧会には「未来へのメッセージ」という副題がついている。子供たちの自分が、亡き父に代わって今何をすべきか、膨大な作品を読み返しながら、じっくり考えていくことにしよう(まずは政権交代かな?)。

 手塚治虫が「オサムシ」からペンネームを借りたほど、大の昆虫好き少年だったことは有名で、作品の中にもたくさんの昆虫が登場するが、昆虫について書かれたエッセイも大変面白く、この人がミクロの世界からマクロの世界へと世界観を広げていったことがよくわかる。
(小林準治=解説の『手塚治虫 昆虫図鑑』は、自分の愛読書だ)
 中学時代には何点も「昆虫標本画」を描いているが、今回その実物を見ることができた。戦時中のため良い絵の具が手に入らず、「赤は自分の血を使った」という壮絶なエピソードも残っているけれど、そのようにして描かれた蝶や甲虫の精微なスケッチの、写真など太刀打ちできないほど生き生きとした姿に改めて感動を覚えた。全作品を通じて重要なキャラクターの一人である「ヒゲオヤジ」も、すでにこの頃から「出演」していることがわかって嬉しかった(「ヒョウタンツギ」のデビューはいつ?)。

 自分ではもう忘れてしまったけれど、『ジャングル大帝』のラストが、飢えている虎に我身を与えた仏教説話「捨身飼虎」だったことや、『リボンの騎士』が好きだった宝塚歌劇から生まれたこと、1943年に制作された国産アニメ『くもとちゅうりっぷ』が彼のアニメ熱の原点だったこと、そして最も重要な「戦争体験」・・・等々、「図版」には載っていない小さな発見も多々あり、原画を見ていくだけで何だか目頭が熱くなっていった。特に、『火の鳥』に込められた「生きる」というメッセージが、奔流のように自分に語りかけてきた。
 火の鳥(手塚)は、こう語りかけます。
「地球は生きているのよ。生き物なのです。その地球がいま死にかかっているのです」
「人間は 虫よりも魚よりも 犬や猫や猿よりも長生きだわ。その一生のあいだに・・・生きている喜びを見つけられれば それが幸福じゃないの」
「こんどこそ信じたい。こんどの人間こそ きっとどこかで間違いに気づいて・・・生命を正しく使ってくれるようになるだろうと」
「生きるのよ。あなたはいま生きているのだもの。生き続けることができるのよ」


 自分が持っている手塚作品は、大型本の『火の鳥』に、『W3(ワンダー・スリー)』『リボンの騎士』『ばるばら』『エンゼルの丘』『どろろ』、(以下文庫本)『ブッダ』『アポロの歌』『地球を呑む』だけど、今日は『ぼくのまんが記』を買いました!


「ムーミン展」に、映画のはしご

2009-05-10 23:46:36 | 美術館&博物館など


 日曜日は、(予告どおり)割と涼しい場所(映画館とデパートの中)にいました。
 9時06分に家を出て、東京駅から日比谷の「シャンテ」まで歩きました。有楽町まで乗らずに東京駅で降りたわけは、今日観る予定の映画『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』と『子供の情景』の前売券を手に入れて、少しでもお金を浮かそうと考えたからです。京橋の「オフィス・デポ」と「シネスイッチ銀座」の窓口で前売券をGETできたので、600円!得しました。
 「シャンテ」で11時05分の『ミーシャ/ホロコーストと白い狼』を鑑賞後(レバニラ炒めを食べ)東京駅に戻って、10階の大丸ミュージアムで今月18日まで開催されている「ムーミン展」に立ち寄り、その足で散歩がてら神保町まで歩き、岩波ホールで16時30分の『子供たちの情景』を観て、20時頃に帰宅しました。途中、御神輿も見られたし、個人的には非常に充実した一日でしたが、連れがいたら、こんなに忙しく動き回るのは嫌だと言われてしまうでしょうね。これだけ歩いても、たったの?1万3千歩だったのですが・・・。


(左)彼らが「チチチッ」と鳴きながら飛び回る姿を見ているだけで、「今年も帰ってきてくれたんだね~」と嬉しくなります。国立駅北口改札とその近くに、今年も三組のツバメが巣を構えました(家の近所にも帰ってきてるよ~)。
(右)いつの間にか(それとも、前からかな?)明治屋の隣が更地になっていました。新しいビルが建つまでは、側面まで見られるから、いいかもしれません。


      

 去年?新装開店した大丸ビルのエレベータにも、「ムーミン展」の広告が! このイラストは、『ムーミン谷の彗星』(原題は『彗星がやってくる』)の最終章の冒頭に描かれています。
 「ムーミン展」は、良く知られたムーミントロールになる前の姿をしていた『小さなトロールと大きな洪水』から、ムーミン一家不在の『ムーミン谷の十一月』までの「ムーミン」シリーズに、トーヴェ・ヤンソンが挿絵を描いた『不思議の国のアリス』など、多数の原画が展示されていました。
 館内はかなり混んでいて、特に入口付近は渋滞がひどかったので、空いているところからアットランダムに見学していきました。原画はとても小さく、実に細かいところまで描きこまれていることや、見開きのページのどこに収めるかまで厳密に計算されていたことがわかりました。
 キャラクターグッズのコーナーも非常に充実していて、どれもこれも大人の鑑賞に堪えうるものだから、「これも欲しいあれも欲しい」状態に・・・。幸いというか、ニワトリさんはこの時点でバーストしかかっていたので(映画2本とパンフ=4100円。交通費=1000円補充。お昼=820円。映画の前売券4300円=ミッキー・ローク主演の『レスラー』、ロバート・ダウニー・Jr 主演の『路上のソリスト』、予告編で気に入ってしまった『サンシャイン・クリーニング』。「ムーミン展」=1000円。合計11220円も使っていた・・・)、財布が空になったところで打ち止めです。


 東京駅から「岩波ホール」のある神保町まで歩いて正解でした。小川町あたりで笛や太鼓の音が聴こえてきました。「わっしょい、わっしょい」という掛け声が交錯し、四基の神輿が駿河台下の交差点内に入っていきました。今年は神田祭の二年に一度の大祭で、昨日からニュースで報じられていましたが、ライブで見るとやっぱりいいですね~。江戸っ子なのにお祭り好きではないニワトリさんですが(縁日は大好き)、神輿が四方に分かれてゆくまで見とれてしまいました。


     

(左)組(町)が変われば「はっぴ」も変わる。格好良い~♪
(右)見物客の一等賞を進呈します。神輿と同じくらい目立っていました。


 小さなミイや、ムーミンママも非常に魅力的でしたが、涙を呑んで男の子三人のフィギュアだけ買いました(しめて2520円)。よくよく考えてみたら、ニワトリさんの血の中には、(コレクターのヘムル一族の血も入っていそうですが)三人の気質が多分に流れていることに気づきました。
 好奇心が強く、思いこんだら猪突猛進することもあるけれど、優しくて勇気もあるムーミントロール。ちょっとしたことで気分が悪くなるほど臆病で自分勝手だけど、珍しいものや綺麗なものが好きで、自分よりも弱いものに優しいスニフ。自由と孤独を愛し、川のほとりにテントを張って暮らしているスナフキン。冬が来る前に南の国に旅立ち、春に戻ってくる旅人。人に指示されるのが大嫌いで、公園に立てられた禁止事項の立て札を全部引き抜いたこともある・・・これって全部、自分に思いあたるふしが!(楽器ができて、スノークのお嬢さんが隣にいれば、100点満点だけど・・・)


(左)あと、DVD付の図版(1600円)とサクマドロップス(168円)だけ買えました。
(右)ご近所の「ティンカーベル」で、サバラン(280円)を買い、コーヒーを淹れました。「ティンカーベル」は安くて美味しいケーキ屋さんで、サバランも普通に美味しい! 愛用のコーヒーカップは、かなり前から「ムーミン」でした。


青梅三大博物館! ~昭和幻燈館と・・・

2009-03-24 23:57:00 | 美術館&博物館など

山本高樹さんの『夢町楽天地』(部分)。【昭和幻燈館】に飾ってほしい~♪


 最後に、山本高樹さんの昭和ジオラマ模型が多数飾られている【昭和幻燈館】に寄ってみましょう。前にも書いたけれど、高樹さんの作品は大変魅力的で、江戸川乱歩の名作『押絵と旅する男』をいつも思い浮かべてしまいます。作品ごとに必ず登場している「永井荷風」人形と同じように、自分もジオラマの登場人物になれたら・・・


(左)【昭和幻燈館】の看板も、『ある愛の詩』から『ローマの休日』に掛け替えられました。
(右)こちらは以前に撮影した【昭和レトロ博物館】と【赤塚不二夫会館】です。隣合わせに並んでいます。ちなみに、水原弘と由美かおるのホーロー看板(アース製薬)は【赤塚不二夫会館】で見ることができた(と思います)。一週間前なのに、もう記憶が定かでなくなっている・・・


 名作『本郷 路地奥の井戸広場』から、情景の一部を切り取りました。樋口一葉ゆかりの井戸が今も残っている有名な場所ですが、この模型の方が現実よりもリアルに感じられます。浴衣姿の女性の洗い髪の香りが漂ってくるようで、大好きな作品です。(山本高樹さんご本人からもコメントをいただきましたが、作品の写真掲載に問題があるようでしたらご指示ください)


 大作『向島 墨東の色町』より。永井荷風の小説『濹東奇譚』の舞台になった赤線地帯「玉の井」を再現しました。風俗営業法の改正により「赤線地帯」はなくなりましたが、路地を丹念に歩くと、かつての色街の名残を見つけることもできるそうです。こうした痕跡もいずれ失われてしまうでしょう。その前に・・・


 『向島 墨東の色町』正面。これでも、作品の部分にすぎません。奥に運河と路地があって、目を閉じれば人々の声が聞こえてきます。情景の中に幾つものドラマが内包されていて、カメラのレンズで切り取ってゆくと、それぞれ映画のワンシーンになっていくような・・・『ウルトラQ 第17話 ~1/8計画』に出てきた機械(映画『ミクロの決死圏』の装置でも可)があれば、1/25に縮小してもらって作品の中に入って行かれるんだけど・・・メアリー・ポピンズにお願いしてみようか?


    

(左)バー「黒猫」の店先に立つチャイナドレスの女性。明智に恋した女賊『黒蜥蜴』の変装かもしれません。それとも『魔術師』の娘=文代さんのおとり捜査?(文代さんはやがて明智夫人になる)
(右)浅草十二階の展望バルコニーから「怪人二十面相」に誘拐される礼嬢。


     

 色温度を変えると、違った表情を見せてくれます。スタジオ借りて三脚でカメラをしっかり固定して、自分だけの「昭和ヂオラマ館」写真集を作りたい~!(写真集『昭和ヂオラマ館』は、メディアワークスより好評発売中)


昭和20年代のキネマ通り

青梅線を跨ぐ陸橋(中央に喫茶「夏への扉」になった建物)


キネマ通りには、往時の面影が残っていました・・・

      

どちらも写真館・・・とても残念なことですが、全国から写真館が消えています!

喫茶店になる前は昭和モダンな診療所だったそうです。

 山本高樹さんのHP【模型日和下駄】は、 → ここをクリック
 青梅については定期的に更新していくつもりです。ついでに、テプコ浅草館を訪ねたときの記事を編集し直しました(テンプレートを変えたから去年11月以前の記事は全部直さなければならないのですが・・・)


青梅三大博物館 ~昭和レトロ博物館

2009-03-23 12:59:00 | 美術館&博物館など

「赤塚不二夫シネマチックロード」と名付けられた商店街の案内図


 「青梅三大博物館」という題名にしたけれど、昭和のぬくもりと映画看板を(それこそ)二枚看板にかかげる青梅市は、町そのものがこの案内看板のように「まるごと博物館」と言ってもいいでしょう。映画看板はときどき掛け替えられているのか、基本的にはどんどん増えてる気がします。
 案内看板に描かれているチャップリンは、キートンと共に赤塚さんが敬愛していた人物の一人です。身近なところでは由利徹を慕っていて、「オレは由利徹で行く。死ぬまでくだらない漫画を描き続ける」と発言していました。映画が大好きだった赤塚さんは、映画を撮るように漫画を描いてきました。そのことを考えても、フィリップ・ド・ブロカの『まぼろしの市街戦』を赤塚不二夫原作と言ったのは、あながち間違ってはいなかったと思います。赤塚さん、この作品のこと絶対好きだったんじゃないかなあ~。
 ちなみに、看板には記されていませんが、喫茶【夏への扉】はかつて映画館があったキネマ通りを入ってJR青梅線の小さな陸橋を渡ったところにあります。JR青梅線が橙色に描かれている点に注目・・・この看板が描かれたときは新型車両に入れ替っていた筈だけど、201系に思い入れがあったのかしら?


(左)一昨年の暮れに訪ねたときは、同じ位置に『お熱いのお好き』の看板がかけられていた(と思う)。マリリン・モンローの顔がノーズアートみたいで素敵だった。どこに移動したのかな?
(右)シネマチックロードの看板の隣に、味のある木造のバス停があって・・・


     

(左)『バス停留所』なのにモンロー主演の映画でなく、『ローマの休日』からトレビの泉のシーンが描かれている。たまたま通りかかった自転車は、ちょうどいいエキストラになってくれました。
(右)一昨年まではネコバス専用の?「猫の停留所」だった。モノクロモードで昭和へタイムスリップ?(一昨年の写真はFZ18で撮影)


 タイムスリップといえば、ここ【昭和レトロ博物館】。一歩中に入ると、雑多なガラクタ(宝物)がお出迎えしてくれる!


 奥に進むとこのとおり。残念ながら駄菓子は売り物ではないけれど、雰囲気たっぷり! まるで、山本高樹さんのジオラマの世界に、自分が入ってしまったみたいだ。昔ながらの自転車の荷台に積まれた紙芝居では、『黄金バット』を上映中。


(左)昭和の看板といえば、大村昆ちゃん(オロナミンC)と松山容子さん(ボンカレー)。松山容子さんのホーロー看板は全部で9万5千枚作られたとか。今ではお宝グッズとなったホーロー看板だけど、アース製薬の水原弘と由美かおるの看板をGETすれば、【昭和レトロ博物館】のコレクションも完璧になる?
(右)一番奥の部屋には映画の看板がところ狭しと並ぶ。あんまり似てないけど(失礼!)私の大好きなお竜さんはやっぱり素敵!


 少し長くなったので、昭和幻燈館は明日にでも・・・さあ、出勤です。


青梅三大博物館! ~赤塚不二夫会館

2009-03-22 23:03:09 | 美術館&博物館など

バカボンのパパがアオガエルの上で得意の逆立ち?


 吉野梅郷の帰りに昭和の香りのする青梅に寄ってきました。映画の手書き看板が駅舎から商店街にかけて並んでいる素敵な町です(「道草&散歩」の索引でも紹介しています)。メインストリートには、「青梅赤塚不二夫会館」、そのお隣に「昭和レトロ博物館」、斜め向かいに「昭和幻燈館」という三大博物館があります。単独でも入れますが、三館共通券=700円がお得なので、三館まとめてご覧くださいませ。
「青梅赤塚不二夫会館」のHPは、 → ここをクリック


(左)ようこそ、赤塚ワールドへ! レイアウトや展示品は時々変わるので(自分は三回目だけど毎回違う)何度訪ねても楽しい~。目玉つながりのおまわりさんと、レレレのおじさんがお迎えしてくれる。その横には『駅馬車』(39)の手書き看板が・・・ジョン・ウェインが一躍スターになった映画で、酔いどれ医者を演じたトーマス・ミッチェルは監督ジョン・フォードのお気に入りの俳優でした。赤塚さん、好きだったのかな?
 原題『STEAGECOACH』の邦題を考えたのは淀川さん。入場料80円と記載されていたからリアルタイムではなくて戦後のリバイバル上映だと思う・・・。
(右)大きなパネルには赤塚ワールドの住人が勢ぞろい! 彼らが何をしているかというと、もうおわかりですね、「青梅マラソン」に参加しているのだ~♪ 本日、東京マラソンが開催されていたけど、本家「青梅」をお忘れなく!


(左)嬉しいことに、ジオラマ作家の山本高樹さんが、今や伝説となった「トキワ荘」の模型を作ってくれました! 玄関から出てゆくのは藤子不二雄両氏。
(右)トキワ荘の建物内部も、正確に再現されている。洗面台風呂に浸かっているのは我らが赤塚不二夫! 談笑しているパンツ一丁の青年が石森章太郎(石ノ森章太郎)。


(左)4月12日まで、仲の良かった石森章太郎(個人的には改名後の石ノ森より馴染みがある)の原画などが展示されています。2009年は彼のライフワークでもあった『サイボーグ009』の年ということで、この作品が大きく取りあげられていました。
「あれから45年・・・人類は戦争をやめたか? 武器を捨てたか? 差別や貧困を根絶したか? 物質文明は人を幸福にしたか? 美しい地球を取り戻したか? 科学はすべてを解決したか? 神はいたか? 世界はもう、サイボーグ009を必要としなくなったか?」
 9人のサイボーグ戦士の問いかけに一つも答えられない自分がいた。
(右)『イナズマン』『人造人間キカイダー』『ロボット刑事』・・・夢中になって読んだあの頃が懐かしい。60~70年代、漫画もすごかった!


 石森キャラクター勢ぞろい! ピンバッチとか、今発売してしてくれたら「大人買い」確実? 優れた漫画家は皆そうだけど、彼らの描く女性キャラがまた魅力的だった。石森作品だと、アルヌール(003)、009ノ1、千の目先生、龍神沼の少女などなど・・・枚挙にいとまがない?

 こんな天気だから?珍しく一日中家にいて、NHKの将棋&囲碁(まともにできもしないのに)などを見ていました。決勝戦となった羽生四冠(名人・王将・棋聖・王座)と森内九段の対戦は実に見ごたえがありました(二人と激闘を繰り広げている渡辺竜王の解説も良かった)。囲碁はさらに苦手なのですが(定跡が全くわからない)、大好きな武宮九段がとうとう決勝戦まで勝ち残ったので、バンバンザイ!


成田亨の世界 ~怪獣と美術

2009-03-10 23:53:36 | 美術館&博物館など


 ニワトリさんが初めて「冬の18きっぷ」を使ったのが、今から2年前の2007年だった。正確に記せば1年4か月前。最初に「両毛線」「上信電鉄」「上毛電鉄」を選んだのは、両毛線の足利駅から徒歩約8分にある足利市立美術館で【成瀬亨展】が開催されていたからだ。
 この美術展、確か9月までは三鷹で開催されていた。多くのウルトラ怪獣の造形を手掛けていた氏の本格的な美術展ということで、絶対行こうと決めていたのに行きそびれてしまった。幸い、それほど遠くない足利で同じ美術展が開催されていたので、「18きっぷ」を利用して観に行くことにした。それだけでは味気ないので、その足で、JR全駅下車を達成した横見君が私鉄全駅下車の最後の駅に選んだ「上信電鉄」と、この時期になるとクリスマスのラッピングで車内を飾る「上毛電鉄」に乗り、「両毛線」で足利を訪ねるなら、有名な足利学校にも足を運び、佐野で降りて本場の佐野ラーメンを食べようと思った。
(「両毛線」は、麺の食べ歩きも楽しい鉄道!と言われています)
 7時15分に乗り出したのに、「上信電鉄」の魅力的な駅で途中下車を繰り返していたら、いつの間にか午後になってしまい、美術館と足利学校を訪ねた時点で夕方になってしまった。佐野ラーメンを食べるより、「クリスマストレイン」に乗りたかったので、「桐生」で下車して「上毛電鉄」を乗りに行った。そして、「上毛電鉄」の中央前橋駅とJR前橋駅のちょうど間にある温泉で一日の汗を流し、お土産の駅弁(「だるま弁当」三人分と幻の?「岩魚鮨」)を買って帰途についたのだった・・・ハードな一日だったけれど、今ではとても懐かしい。しかも、昨日のことのように、記憶が甦ってくる。


 ユニークな足利駅(左)。ロータリーの向って右側にはEF60-123号機が置かれていた。出張に訪れた?スーツ姿のビジネスマンが二人、運転台に座って互いの記念写真を撮り合っている。いい年をしたおっさんが、つかの間子供に戻った瞬間・・・。


(左)地方都市の商店街はひどいことになっているとは聞いていたけれど、ここでもシャッターの下りた店が多く、人通りも非常に少ない。このままではゴーストタウンになってしまう? でも、足利市立美術館は、ご覧のように大変立派な建物だ。
(右)1階エントランス。御馴染の怪獣=ジャミラ、ギャンゴ、ガラモンが迎えてくれた。ケムール人(ニワトリさん)のシルエットも写っている・・・。


 向って右の展示室=ウルトラ怪獣たちの原画や彫像。左の展示室=晩年に熱中した鬼の巨大な彫像。彼らが異次元の世界へ連れて行ってくれた。カネゴン、ペギラ、ラゴン。バルタン星人、レッドキング、ダダ。エレキング、キングジョー、メトロン星人などなど、成田亨のデザインした怪獣がいたからこそ、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『ウルトラセブン』が不朽の三部作になった、と言っても過言ではない(金城哲夫の脚本や実相寺昭雄の演出も頭一つ抜けているけど)。
 だが、それ以上に驚かされたのが、晩年に制作した数々の「鬼」の彫像だった・・・様々の魅力的怪獣&宇宙人を生み出した天才は、最後に日本の伝統的怪獣=龍と伝統的な異形のもの=鬼に魅せられていった。
 高山良策(二次元の怪獣を三次元の着ぐるみに!『大魔神』も彼の作品)、池谷仙克(『ウルトラセブン』31話から成田亨の後を引き継ぐ)、原口智生(後継者。ウルトラ三部作を栄養分に育った)らの展示も、それぞれ面白かった。


『明日の神話』 ~ハチ公から太郎へ、21世紀への伝言

2009-01-08 23:56:10 | 美術館&博物館など

 

 

 井の頭線で渋田へ出て、銀座線に乗り継ぎ浅草に向かうことに決めたのは、井の頭線と銀座線を結ぶ地上2階の連絡通路壁面に、岡本太郎氏の『明日の神話』が設置されているからでした。観る者を圧倒するこの巨大壁画は、去年の11月17日から一般公開されているので、すでにご覧になった方も多いでしょう。
 高さ 5.5m & 幅 30m の巨大壁画は、メキシコシティに建設予定のホテルのロビーに飾られる予定でした。ちょうど大阪万博の『太陽の塔』を制作中で、氏はメキシコと日本を何度も往復しながらこの大作を仕上げたそうです。
 1969年、完成された壁画はホテルのロビーに飾られましたが、依頼者の経営状態が急速に悪化し、開業前にホテルは売却されてしまいます。取り外された壁画はメキシコ市内を転々とし、やがて行方不明になってしまったのですが、2003年にメキシコ国内の倉庫で発見され、以後修復作業が行われてきました。


 『明日の神話』は、同時期に制作された『太陽の塔』と並んで、岡本太郎の代表作だといえるでしょう。
 個人的な感想を述べれば、氏はピカソの『ゲルニカ』(スペイン内戦中に空爆された町ゲルニカを題材に描いた壁画)を意識したに違いないと思うのですが、縦 3.5m & 横 7.8 mの『ゲルニカ』に対して面積比で6倍!という超大作になりました。『ゲルニカ』はあえてモノクロで描かれましたが、『明日の神話』には毒々しいまでの原色が使われています。そして、『ゲルニカ』が史上初めて無差別爆撃を受けた都市を題材にして戦争の悲惨さを後世に伝える役割を担っているように、『明日の神話』は史上初めて核兵器で攻撃された広島、長崎、第五福竜丸事件を描き、核兵器の廃絶を訴えると同時に、業火に焼かれながらも再生する生きもののたくましさと美しさを描いています。
 上の写真は『明日の神話』の中心部で、ずばり原爆が炸裂する瞬間が描かれています。一瞬にして燃えあがる骸骨の周りには、この世の地獄と化した町で苦しみ逃げ惑う人々が描かれ、膨らんでゆく「キノコ雲」から逃れようと、あらゆる生きものが必死で逃げていく中、何も知らずに死の灰を浴びながら操業を続ける漁船も描かれています。

 『明日の神話』の向って右側(右写真)と、左側(左写真)。この壁画の設置を巡って四都市(岡本太郎と縁の深い東京・渋谷、『太陽の塔』のある大阪・吹田、言わずと知れた広島&長崎)で誘致運動が起こり、三都市が立候補しましたが、最終的に渋谷に決まりました。

 

 柱が若干邪魔になるけれど、この空間は『明日の神話』に相応しい広さだと思いました。思ったより光が届いて、ハレーションを起こしてしまうのが少し残念でした。
 『明日の神話』は、渋谷再開発のめどが立つ2020年までは現在地にありますが、その後は駅から約1.3km離れた永住の地へ移設されるとのことです。

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