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「カウパレード2008」全牛紹介(36~40)

2008-12-28 15:50:20 | 美術館&博物館など



 2008年も残すところあと3日・・・先ほど何とはなしに訪ねてみたら、『カウパレード2008』の公式HPは終了していました。いつ頃閉鎖されたのか定かではありませんが、当ブログではようやく半分近くの牛を紹介終えたところです。年内に間に合うとは思いませんが、意地でも?UPさせるつもりなので、どうぞよろしく。
 それにしても、牛を探し求めて丸の内界隈を歩きに歩いた日が昨日のことのようにも思えるのに、もう2ヶ月半が過ぎてしまい、今年も終わろうとしているのですから、時間の速さに驚くばかりです。「こんなはずではなかった・・・」というと、上写真の36番「月光カウ面」の副題ですが、来年は「丑」年だし、こうなったら一年かけて紹介しようかな?(読者がゼロになるかもしれません)
 

 37番「Untitled 」は、真二つに両断された牛が半透明のガラスケースに入っているというシュールリアリスティックな作品。実をいうと、36&37は、すでに撤去されていて見ることができませんでした・・・残念です。


(左)38番「2008 Tokyo」。新丸ビルのオープンカフェにいた。写真を撮ろうというとき、スーツ姿のビジネスマン7~8名が名刺交換を兼ねてお茶しようと、牛の後ろの席に着き、とにかく邪魔だった。彼らが座ってくれれば、このとおり、こちらがしゃがめば牛の陰に隠れてくれるのだが、名刺交換は延々と続いている。「死ぬまでやってなさい」と覚悟を決めたときに、ようやく座ってくれました(後ろでずっと待っていたウエイターが切れると面白かったのに・・・)。
(右)39番「肉地図」は食育の教材にもなるでしょう。途中から一筆書き方式で回ったのですが、この39番が最後の牛になりました。時刻は16時48分。約5時間歩き通しでさすがに疲れましたが、暗くなるまでに回り切れないのではないかとも思い、予定より30分は早くゴールできたので、ほっとしました。ほどほどの達成感を胸に、「肉地図」を眺めていると、サーロインステーキが食べたくなっちゃった?


 

 40番「軽さ、または重さの絶対的不在」。ずいぶん「テツガク」的な題名だけど、この「シーソー」牛、単純に気に入りました! 思わず、反対側に乗って、牛と遊びたくなっちゃった~♪

  一日遅れの後付けです。今夜に今日の記事を書かなくては・・・


ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情 ~窓枠と扉、うなじの誘惑

2008-11-29 23:58:50 | 美術館&博物館など


 上野の国立西洋美術館で、9月30日~12月7日まで開催されている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」に行ってきました。
 百聞は一見にしかず(ましてや、ニワトリさんのごたくなんぞ・・・)、まずは、公式HP「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」をお訪ねください。0系新幹線も明日が見納めですが(しつこいなあ・・・)、こちらのハンマースホイ展覧会も会期終了まであと日・・・(この文章を書いている間に日に減りました)。
 展覧会の余韻が静かに残っている今(この余韻は相当続きそう)、HPをクリックして最初に飛びこんできたひと言は、非常に説得力があると思いました。書き写すと、
 「日本でこれだけ一度にハンマースホイの作品を見れるのは今だけかもしれません。お急ぎください!!」

 コロー展に続いて国立西洋美術館がまたまたやってくれました! 
 日本では殆ど知られていない19世紀末のデンマークを代表する画家=ヴィルヘルム・ハンマースホイは、その一貫したスタイルによりヨーロッパでは生前から高い評価を得ていたのですが、死後急速に忘れられてしまい美術史に埋没してしまったそうです(だから、日本で知られていないのも当然?)。
 ですが、リルケはハンマースホイについてこう語りました。
 「ハンマースホイは、急いで語らねばならないような芸術家ではない。彼の作品は長くゆっくりと語るべきであり、そして理解したいと思った時はいつでも、芸術の重要で本質的な事項について話す充分な機会となるであろう」
 
 リルケの預言どおり、近年になって、パリのオルセー美術館や、NYのゲッテンハイム美術館などで回顧展が開催され、ハンブルグ美術館での展覧会では、開館以来最多の入場者数を記録したそうです。今回の「ハンマースホイ展」は、ロンドンのRAA(ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ)で先行開催され、大好評を博したそうですが、国立西洋美術館では、ロンドン展の出品作品に加えて計86点もの作品を集めており、その宣伝文句どおり、これ以上の作品を一度に見られる機会はもう二度とないでしょう。
 ようやく作品を鑑賞することができ、先日の「コロー展」とは違った意味で「事件」となった「ハンマースホイ展」を、少しでも多くの人に知っていただけたら幸いです。
 今、なぜ、コローやハンマースホイが琴線に触れるのか、これから来る冬の長い長い夜に考えたいと思います(来年の卓上カレンダーは、ハンマースホイ!にしました)。


《室内、ストランゲーゼ30番地》


 ハンマースホイは、その作風から、北欧のフェルメール、神経症の画家、モノトーンの芸術家、静寂な人・・・と呼ばれています。彼の住まいだったストランゲーゼ30番地の部屋などは繰り返し繰り返し描かれていますが、写真を撮る際カメラのレンズを交換するように画角を変えて同じ部屋を描いています。あるときは広角レンズで引き、またあるときは中望遠レンズで対象を切り取る、さらに仰角と俯瞰を組み合わせ、完全に同じ構図になっても、差し込んでくる光の角度や強さ(季節によっても異なる)を変えるなど、写真を撮っているかのように、この部屋だけで実に多くの作品を描いています。
 その一方で、決定的に写真と異なるのは、代表作の『室内ストランテーゼ30番地』(上写真)を見てもわかるのですが、中央のテーブルの脚の影がありえない方向に伸びている、モデルの女性(妻のイーダ)の黒いスカートが椅子と一体化している、右隅のピアノに後脚がないなど、フェルメールを思わせる写実的で静かな室内画を「あるようでありえない」不思議な空間に変えてしまっている点で、静かに想像力に訴えかけてきます。
 数少ない肖像画の中には、写真を凌ぐほど写実的な絵(『イーダ・ハンマースホイの肖像』)もありますが、こうした例外的な絵を除けば、視線が一致しない、人物が背景と溶け込んでいる、大胆な省略があるなど、やはりどこか現実離れしていて、やがて絵の中の人物は鑑賞者から背を向けるようになっていきます。
 室内画以外に好んで描いた景色も、殆どモノトーンで描かれているのですが、ここでも意図的な省略があったり、ロンドンの街のようにいつも霧に包まれているかの如く描かれています(ハンマースホイはパリやイタリアの街よりロンドンを好んだ)。ここでは人の姿が徹底的に排除されており、ついには室内からも?人が消えてしまいました。


《白い窓、あるいは開いた扉》
(扉が歪んでいるのはカンバスを伸ばした際に出来た皺)


 ハンマースホイは、パースペクティブを変えながら同じモチーフを何度も描いている。微妙に異なる絵のどれもに惹きつけられてしまう。公式HPの【ハンマースホイの鍵穴】をクリックすれば、ストランテーゼ30番地の部屋を訪ねることができる(今も現地に残っています)。


  

 《陽光習作》(左)と、《ゲントフテ湖、天気雨》(右)。モノトーンのグラデーション、光の描き方・・・写真を志す人や映画を撮りたい人は必見だと思う。

 
 朝一で上野に行ったので、比較的空いている時間帯に鑑賞することができました。「音のない世界に包まれる心地よさ」を味わうには、雨の日の朝一番とか、とても寒い日の朝一番とかが狙い目ですが(昼頃になったらイモ洗い状態に・・・)、残り一週間ではそんなことも言っていられません。お隣の東京都美術館では「フェルメール展」が開催されていて、50分待ちの列ができていましたが、7点のフェルメールを長時間待たされた上で押すな押すなの人ごみから鑑賞するより、86点のハンマースホイを見た方がお得な気がします。ハンマースホイはフェルメールに通じる画家なので、フェルメールを好きな方の期待を裏切らないでしょう。
 個人的には、窓枠・合わない視線、後姿から見たうなじ・・・といったモチーフや厳格な構図から、映画監督の小津安二郎との共通点が多く感じられました。小津的なうなじの美しさでは、西洋美術館の入口にかかっていた看板=《背を向けた若い女性のいる室内》が一押しでしょう。
 扉の代わりに階段が出てきたら、いよいよ小津の映画に近づいていくところでしたが、扉への関心はヒッチコックがたびたび寄せています(他にも「扉」に並々ならぬ関心を寄せていた映画監督がいましたが、具体的に何の映画だったが、思い出せません)。
 絵画と映画を比較するなんて、もっての他かもしれませんが、最後に、後ろ髪を引かれる想いで展示場を後にしたとき、アレクサンドル・ソクーロフの『静かなる一頁』を見たくなりました。
(二度見て、二度とも見事に寝てしまった思い出が・・・)


      

 小春日和の不忍池と陽だまりにいた猫。鼻の傷がちょっと痛々しかったけど、元気に生きておくれ~!(上野には多くのノラが暮らしています)


「カウパレード2008」全牛紹介(32~35)

2008-11-27 23:55:00 | 美術館&博物館など



 気分転換?に「カウパレード2008」の牛たちを・・・(来年は年だし?)
 丸ビルの正面には、32番=ショコタンの「牡牛座ギザ11次元」がデ~ンと控えていました。


(左上)こちらは、33番=赤十字&藤原紀香の「レッドクロスカウ」。背後の「丸キューブ」に見えるのは・・・?
(右中)スクエアピアノに代わって、巨大な山車が展示されていました。こちらの髭男は、『三国志』でも人気の高い関羽公(オイラは曹操が好きだけど)。
(左下)ニワトリさんの立派な山車もありました~♪


34番「ねむりにも、つけない」。何だか知らないけど、いつの間にかお気に入りに!


35番「がんばれ、丸の牛 2008」。ニワトリさんも2kg減量に成功!


 このあと登場する丸ビル内の牛たちには、残念ながら対面できませんでした・・・


「カウパレード2008」全牛紹介(27~31)

2008-11-12 11:23:00 | 美術館&博物館など



 大名小路に現れたホルスタイン・ビキニのお姉さんは? 背後には、スピルバーグも大好きなティーガー重戦車が見える。裏側を覗くと、ティーガーの砲口から迸る牛乳・・・これって?


 27番「ミルクタンク発進!」。誰もが足を止めていました(と言い訳する)。


28番は、既に何度も登場している「うし」。やっぱ、可愛いなあ~♪


(右)29番は、東京ビル内を探しまわったけど、見つけられなかった「ガムポタージュ」。後で調べてみたら、B1にいたらしいが、既に移動されてしまっていた可能性もある・・・。
(左)一生懸命お乳を絞り出しても、1リットルの紙パック牛乳は178円で売られている現実。日本の畜産は大丈夫なのか考えさせられてしまう、30番「命の価値観」。


31番「9 cycles」。東京中央郵便局を背景に・・・



 何度も行き来することになった有楽町側の丸の内仲通りとも、ひと筆書き方式に歩き方を変更したので、これでお別れです。記事はスロー(も~)だけど、ペースは上がっていきました。今ごろ、仲通りの街路樹も色を変えていることでしょう・・・


 今日はこれから泊まりの勤務ですが、14&15日が連休になるかもしれません。願ってもない機会なので、0系新幹線に乗ってこようかな?(乗車券が手に入れば・・・)


「カウパレード2008」全牛紹介(22~26)

2008-11-10 23:51:51 | 美術館&博物館など



 「あっ、22番【愛・エレガントスター】の背中に、コロボックルが座ってる!」
 たまたま、こんな写真が撮れていました。可愛いなあ~♪
 ところで、『カウパレード2008』の牛たちですが、この先は、他の記事の合間を見ながら、適当に出てきてもらうことにしました。


(上)模様の中に女の子の姿が散りばめられた23番「marking 」
(中)岸本ビルにいた24番「戦う人」。今度はカラス人間が背中に乗っていました。
(下)25番「色情牛」。芸術は爆発だ? 


 去年のチャンピオンだった隅研吾さんの25番「コスメ牛」。今年もオークションの最高額を記録していた。もう~眠くて眠くて、今日はここまで・・・ 


「カウパレード2008」全牛紹介(14~21) ~方針変更

2008-11-07 12:55:00 | 美術館&博物館など


 14番「COWMUNTY」。・・・歩き始めてから一時間以上が経過して、そろそろ疲れも出始めた頃ですが、まだ14番付近をうろうろしているようでは、夜中までかかっても回り切れそうもありません。「1~73番まで、順番どおりに回ろう」なんて考えたのが間違いの元でした。最短距離で回るべく、「一筆書き方式」に歩き方を変えました。心機一転、頑張らなくっちゃ!


 地味な感じだけど細かい技が光っていた15番「発声」(左)と、唐獅子牡丹も素敵な16番「猛牛」。国際フォーラム~Bホール入口で睨みをきかせていました。


国際フォーラム(有楽町駅側)にいた17番「略牛」(左)。ガラスのオブジェとセットで鑑賞? 同じく国際フォーラム(東京駅側)の18番「Happy 乳 Town」(右)。


 安田生命ビル【MY PLAZA】内にいたメルヘンチックな2頭。19番「awake」(右)と、20番「Grows Discreetly」。両牛とも花をモチーフにしています。時間があれば、ここで休憩したかったのですが・・・。


 21番「ゆめみるお肉」は、安田生命ビルの外(仲通り側)にいました。仲通りでは、ハロウィンの飾り付けが道行く人を楽しませていました。


「カウパレード2008」全牛紹介(2~13) ~牛が見つからない!

2008-11-04 13:07:07 | 美術館&博物館など


主役交代? 片隅に追いやられた?2番牛


(右)というわけで、順番通りに「牛」を探し始めたのですが、いきなり 2番「My red heart」が見つかりせん! 1~3番は、地図に記載されている位置と実際いる場所が若干違っていました。地図の見方も悪かったのかもしれません。ぐるぐる回ってようやく、「あっ、こんなところで、涼しい顔して座ってる!」
(左)「My red heart」といえば、向かいに停まっていたスーパーカー=フェラーリ365GTB/4デイトナ! V12エンジンを搭載し、最高速280km/hを誇った。「スーパーカー」ブーム以前(1968年)の車なんだけど、天邪鬼の自分は、V12をミッドシップに搭載し302km/hを達成、ランボルギーニLP400カウンタックと最高速を競っていたBB(ベルリネッタ・ボクサー)シリーズよりデイトナの方が好きだった。
(カウンタックは別格だったけど)


 3番「田んぼでつかまえて」は、キツネや河童&小鬼?のイラストが可愛らしい~♪
ついでだから、背後に見えるペニンシェラホテルのロビーに入ってみた。ピアノの生演奏が流れ、人々がランチタイム中。場違いなニワトリさんは即刻退場?


 2番が見当たらないので、先に日比谷公園前交番で勤務中?の4番「ポリスカウ」に会いに行った。「ウシのおまわりさん、お勤めご苦労様です!」


(左)5番「COWれる?COWれた!」も、ニッポン放送ビル内に隠れていて(といっても正面入口だけど)、見つけるまで少し時間がかかってしまった・・・。
(右)6番「罪と罠とある日の雌牛」の前では、露店の花屋さんがお店を広げていて、先日より「ほわ~ん」と和らいだ雰囲気の中、草を食んでいました。


 右へ左へ行ったり来たりしている間に、完全に見落としてしまった7番「ミルクバス」。もしかすると、すでに移動していたのかもしれないけれど(前を何度か通りかかったような・・・)、この可愛い牛が見られなくて残念!


(左)8番「アイビキ」。合挽きと逢引き(「有楽町で逢いましょう」)をひっかけた?(フランク永井さん、ありがとう!)
(右)9番「A message for oneself」。宇宙が散りばめられて瞑想に耽る?


 哲学的な9番に対してアバンギャルドな2頭。12日にここを歩いたときも、10番「移動水族COW」(右)と、11番「見ますとも。」(左)はひと際目立っていた。風景から浮いた感じの11番も、ハロウィンのカボチャが良いアクセントになってくれた。


 12番「エルモカウ」(左。セサミストリート・ジャパン制作)を探して、国際ビル内まで探し回ったけれど、とうとう「見つからなかった・・・13番「とうぎゅううし」(右)はすぐ見つかったのに~。この時点で早くも1時間以上が経過してしまい、「今日中に回り切れるのか?」と、焦り始めたニワトリさんだった。


「カウパレード 2008」全牛紹介(0~1) ~MAP片手にいざ出発!

2008-11-03 22:11:44 | 美術館&博物館など


一番人気は、やっぱり「愛エレガントスター」だった・・・?


 10月12日、「鉄道フェスティバル」に出かけたニワトリさんは、丸の内界隈に放牧された「牛」たちに、鉄道そっちのけで夢中になってしまったのですが、家に戻ってから「カウパレード」の公式HPを訪ねてみると、出るわ出るわ、実に73頭もの「牛」が丸の内を闊歩していました。行き当たりばったり、約2時間歩きまわって18頭の「牛」を発見できたけれど、それでもまだ1/4に過ぎなかったとは・・・。
 こうなると、俄然、「全部の牛を見たい!」という偏執狂の血が、ふつふつとたぎってきます。しかも、相手が自分と同じ「牛」なので(ニワトリさんは丑年生まれ)、可愛い同胞を見ずにはもういられなくなってしまい、「カウパレード」が終了する19日までにもう一度出かけようと、心に決めていました。
 公式HPにも記載されていましたが、ビル内に置かれた一部の「牛」は10月5日を最後に移動してしまい、全頭制覇は叶わないことがわかっていたのですが、「じゃあ、や~めた」となるニワトリではありません。うまい具合に17日が完全オフになったので、「うっしっし」と喜びました。朝から天気も上々、絶好のお出かけ日和にオニギリ握って、いざ「丸の牛(内)」へGO~~~♪



(左)一日で全牛制覇するには、牛の位置が記してある地図が不可欠です。「カウマップ」が新丸ビルにあるとの情報を得て、まずは新丸ビル(丸ビルの向かいのビル)に向かいました。受付手前のラックに「カウマップ」も置いてあったよ~!
(右)せっかくだから、二階でトイレを借りた際に、ちょっとだけビルの中を散歩しました。明るく斬新な感じの丸ビルに対して、新丸ビルはシックで落ち着いた雰囲気を醸し出していました。甲乙つけ難し。


        

 1階エントランス(左)と、同じフロアのパサージュ(右)。アール・デコ風の装飾が丸ビルとは対照的。買い物をしなくても歩くだけで楽しいパサージュだが、パサージュと呼ぶなら、もっと照明を落とした方が「らしく」なる?
 新丸ビルでぐずぐずしているうちに昼近くになってしまったので、国際フォーラムの石のベンチに座って弁当を食べました。ここは昼どきになると、屋台が出るんですね~。「国際フォーラム」だから?インド料理、トルコ料理、タイ料理と国際色豊か! 値段も高くないので、たちまち行列ができました。
 エスニック弁当を楽しんだ後は、ワッフルのデザートで決まりかな。ワッフルにかけるソースも豊富で、実においしそう! 弁当持参の、ワッフルだけは譲れない女性も多く見かけました。その気持ち、よくわかります。ニワトリさんも、「今日は交通費以外は1円も使わない」という誓いを危うく破りそうに・・・。


(右)というわけで、0時ちょうどに、1番カウ=「カウパレードな動物園」からスタートです(最初は、順番通りに回ろうと思ったので、1番に辿りつくまでに目撃したカウはあえて無視)。お日様をたっぷり浴びて、「牛」も気持ち良さそう~♪
(左)こうして見ると、「丸の内マンハッタン計画」は、着実に進行中といったところでしょうか? 高層ビルがどんどん増えています。
 
 全牛紹介は無謀な試みかもしれませんが、丸の内の景色を折り混ぜながらお届けするつもりです。


昭和ヂオラマ館 ~テプコ浅草館

2008-10-20 02:31:00 | 美術館&博物館など

新作【夢町楽天地】


 テプコ浅草館では、11月16日(日)まで、山本高樹さんが映画『ゆめまち観音』用に制作されたセットや人形、新作ヂオラマが公開されているので、浅草を訪れた際はお立ち寄りください。
 先日、元松竹歌劇団(SKD)のメンバーが雷門前でラインダンスを披露する映像をニュースで見たけれど、一週間前の12日に浅草を訪ねたときも、町全体が活気に溢れている感じでした。その日は、銀座線浅草駅とテプコ浅草館を往復するだけだったのですが、久しぶりに下町の雰囲気を味わい大満足! 今度は時間をかけて浅草の町を歩くつもりです。


(左)写真集『昭和ヂオラマ館』にも収録されている名作【神保町の古書街】。
(右)縁日を扱った作品も多いが、この新作ヂオラマも素晴らしい。青梅の昭和幻燈館で見ることのできる【見世物小屋の立つ縁日】の、神社の参道を舞台にした縦の構図に対して、一直線の横の構図で描かれていた(写真は、それを縦位置から眺めたもの)。見世物小屋に入ったことは一度もないが、入口や看板に描かれたおどろおどしい絵には否応なしに惹きつけられた。見世物小屋は江戸時代に流行し、最盛期には300以上の小屋があったらしいが、時代の趨勢と共に姿を消し、今ではわずかに2軒が興行しているとのことだ。


 名作【向島 墨東の色町】に続く大作【夢町楽天地】(題名を確認しませんでした)。「浅草十二階」も話に登場する江戸川乱歩の短編『押絵と旅する男』には、押絵に描かれた美しい娘(八百屋お七)に恋い焦がれるあまり、ある道具を逆さまに使って押絵の中の登場人物になってしまった男の話が語られるが、今その道具を手にしたら、このヂオラマの中に入りたい・・・と夢想した。
 

    

表通りから裏通りまで精巧に作られた世界。いくつもの物語が重なり合っている。


ちょっと失礼して、部屋の中を覗かせてもらうと、永井荷風先生も座っておられた。


 テプコ浅草館の2階には、明治~大正にかけての実物大セット(カフェ、理容室、活動写真切符売り場、凌雲閣入口、ビヤホール、駐在所など)が並んでいる。山本高樹さんのヂオラマを見た後だと、今度は自分がヂオラマの中に入りこんでしまったかのような錯覚を覚えた。正に『押絵と旅する男』の世界だ・・・。


雷門の前は待ち合わせの人でごったがえしている。夕闇に浮かぶ姿が素晴らしかった。


 メインストリートには「力車」がずらりと並び、仁丹塔の代りに浅草のシンボルになった黄金のウ○コが夕闇に輝く。浅草寺昭和本堂落慶五十周年を迎えて、大観光祭が開催されている浅草は、今最も面白い場所かもしれない。



 テプコ浅草館のHPは、 → ここをクリック
 浅草へ行くなら、ここをチェック。 → 浅草うまいもの会HP


再現、浅草六区 ~テプコ浅草館

2008-10-19 02:40:20 | 美術館&博物館など

満月下の浅草六区


 時間が押してきたので「牛探し」を中止して、地下鉄銀座線に乗りこみ、大正7年の浅草六区に移動しました。とはいっても、残念ながら、タイムマシンはまだ実用化されていませんし、杉浦日向子さんが18才で取得した時間旅行検定の四級すらも受かっていないニワトリです。ジオラマ作家の山本高樹さんが再現してくれた「浅草六区」にトリップしに行ったのでした。
 目的地はテプコ浅草館。秋葉原から最新鋭の筑波エクスプレスに乗って浅草駅で降りれば徒歩1分で到着しますが、最古の地下鉄銀座線に乗って浅草に向かうことにしました(銀座線浅草駅からだと徒歩10分)。
 ところで、銀座線の開業は昭和2年です。名物だった凌雲閣(浅草十二階)は関東大震災で崩落、その手前に見える浅草国技館は大正9年に焼失しており、当時最新鋭の地下鉄で浅草に遊びに行っても、これらの建物はすでに失われていました。大正浪漫が華やかな頃、人々は路面電車を乗り継いで浅草へ遊びにいったのでしょう。
(東京の路面電車は明治36年に開業、数年で主要路線が完成、震災や戦災を乗り越え、昭和37年に最大41路線まで拡大されたが、昭和40年代に次々廃止になり、荒川線と世田谷線のみ生き残った)




 まずは、有楽町ガード下をくぐって、気分を高めます。飲み屋の店先に「デンキブランあります」の張り紙を見つけ、大正時代の浅草に浪漫飛行してしまいました。その当時、六区で活動写真を観た後、雷門通りにある「神谷バー」で、文明開化の明治15年に生み出された名物カクテル〈デンキブラン〉を飲むのが、ハイカラな東京っ子の定番だったとか・・・電車賃以外のお金を持ち合わせていなかったのが悔やまれます。


 山本高樹さんが再現してくれた浅草六区。明治6年(1873)の太政官布告により、浅草寺の境内が浅草公園と命名され、明治17年に一区~六区まで区分けされました。六区の突き当りには、明治39年に開業した凌雲閣が威容を誇っています。設計したのはイギリス人のウィリアム・バルトン。10階まで煉瓦造、11~12階が木造という建物で、日本初のエレベータを備え、8階まで世界各国の物品店が入っていました。9~12階は展望室になっていて、東洋一の高さ(52m)を誇っていましたが、大正時代には客足が衰えてしまったそうです。関東大震災で、8階より上の部分が崩落してしまい、爆破解体されました(跡地には現在パチンコ店が建っているらしい)。
 昭和7年、森下仁丹が同社の宣伝のため田原町交差点に凌雲閣を模した塔を建設、戦争中の昭和17年に金属回収の対象となり一端撤去されましたが、戦後になって再建されました。このタワーは仁丹塔と呼ばれて、地元のシンボル的存在になったのですが、昭和61年(1986)に忽然と姿を消してしまいます。
(「老朽化が進んだため」とのことですが??)
 個人的には、幼い頃、浅草寺や花やしきを何度も訪れており、仁丹塔も目撃しているはずですが、ほんの少ししか覚えていません。今、浅草はとても活気に溢れているので、仁丹塔も復活してくれないかしら?


 浅草国技館(左)と芝居小屋(右)。浅草六区は、見世物小屋、演劇場、活動写真館、オペラ、寄席などが集まる日本一の歓楽街でした。明治45年(1912)2月に完成した浅草国技館を設計したのは、東京駅も手がけた辰野金吾でしたが、同氏設計による両国国技館がすでに存在していたことから、相撲の興業はたった一回しか行われなかったそうです。その後、活動写真館になりますが、建物の構造が映画館には不向きで、芝居小屋としてようやく成功した暁の大正9年に全焼してしまいます。
 浅草には、明治43年(1910)9月に開業したものの、約半年後の4月に火事で焼失!という幻のテーマパーク=〈ルナパーク〉もありました。アメリカのコニーアイランドを模して作った娯楽施設だそうですが、南極飛行館、天文館、海底旅行館、自動機械館、汽車活動館、木馬館、植物温室といったパビリオンがあり、メリーゴーランドやバーチャル旅行を楽しめたとか。中でも汽車活動館は、スクリーンに実際の走行風景を映し出し座席が振動するという、最も新しい娯楽施設で大変好評だったそうです。山本さん、次は「ルナパーク」を作ってくださいな~♪

 すみません、ここで一度切ります。お休みなさい・・・