しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <アロンの死>

2024-06-05 | 民数記
「アロンは自分の民に加えられる。彼は、わたしがイスラエルの子らに与えた地に入ることはできない。それはメリバの水のことで、あなたがたがわたしの命に逆らったからである。」(民数記20:24新改訳)

アロンとモーセは民族のリーダーとして、神から大きな権威と力を与えられ、四〇年間行動してきた。それだけに神の前では、より大きな結果責任を問われた。「多く与えられた者は多く求められる」とのみことばどおりに・・。水を飲ませよと迫る民衆に対し、堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒(お)を切ったふたりは「逆らう者たちよ。さあ、聞け」と怒って、杖で岩を二度も打ちたたいた。神は「岩に命ぜよ」と仰せられたのに、怒りの感情で岩を打ったことが「神の聖を民衆に示さない行動」とみなされたのである。これがわざわいし、二人は約束の地に入れないことになった。情からいえばじつに残念で、口惜(くや)しいことであったが、一面、与えられた使命を果たし終え、天に召されていった姿は私たちに深い感銘を与える。これは神がすべてのことにおいてすべてとなるための教訓でもあった。▼堪忍袋の緒を切るといった感情の破れは、人間だれにでもある。そこで、神が人に完全を求める律法の世界で、人は神の国に到底入れないことがあきらかである。この事件の背景には、イエス・キリストの出現しか救いの希望がないという真理の啓示があった。まさにパウロの言うごとく、律法は私たちをキリストに導く守役(もりやく)となったのである。