しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <神のさばき>

2024-03-15 | ローマ書
「私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって、人々の隠(かく)された事柄(ことがら)をさばかれるその日に行われるのです。」(ローマ2:16新改訳)

パウロは同胞(どうほう)ユダヤ人の偽善性(ぎぜんせい)を指摘(してき)し、神のさばきを逃(のが)れ得(え)ない事実を遠慮(えんりょ)なく述べる。その偽善とは律法(りっぽう)によって人をさばくことであった。▼私は三十代の頃、あるキリスト者を批判(ひはん)したことがあった。当人のいない所で、仲間の牧師と陰口(かげぐち)をたたいたのである。それから一時間ほど後、車を運転していたとき、重大な人身事故(じんしんじこ)を起(お)こしてしまった。もう牧師を続けられないと覚悟(かくご)したが、いくつもの奇蹟(きせき)がかさなり、起訴(きそ)を免(まぬが)れ、助かったのである。▼そのとき私は、神が愛とあわれみのムチで、私をきびしく打たれたことをはっきり悟った。キリスト者、しかも人に説教する身でおなじ信仰者をさばくとはなにごとぞ。私は主のお叱(しか)りのことばを心の耳に明瞭(めいりょう)に聞いたのだった。こうして恥(は)ずかしさに顔を赤らめ、畳(たた)みの目の間に入りたいような気持ちになって悔い改めの祈りをささげた。今も昨日(きのう.)のようにそのことを思い出す。さばかれても決してさばき返してはならない。愛の大原則である。