しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 詩篇27篇 <御顔を私に>

2016-12-15 | 詩篇

すすき「どうか、御顔を私に隠さないでください。あなたのしもべを、怒って、押しのけないでください。あなたは私の助けです。私を見放さないでください。見捨てないでください。私の救いの神。」(詩篇27:9新改訳)

「神の御顔」は、聖書に多く出てくる鍵語である。ただし、顔といっても、キリストの聖画やブロンズ像を飾り、それを仰ぐこととはちがう。ダビデはそのようなことはしなかった。▼神の御顔を仰ぐとは、換言すれば、臨在の中に自分がいつもいることをいう。信仰の世界はふしぎなもので、臨在の中にいると何かしら明るさ、あたたかさ、えもいわれぬ愛をおぼえ、心は幸福感に満たされるものだ。反対に臨在がなくなると苦しくなり、心に渇きを感じ、砂漠で水が見つからないような感覚になっていく。ダビデは人一倍そのことに敏感だったから、「御顔を私に隠さないでください」と懇願したのである。▼母の姿が見えないと火がついたように泣く赤子、彼はそのような純真な霊性をもっていた。一心に神の御顔を慕う信仰者は幸いである。「 御顔を拝せず み声を聞かずば 小鳥の声すら我には意味なし。主ともに在(いま)さば わが世は変わりて 師走(しわす)も五月(さつき)のごとくに輝かん。 主つねにわが身の近くに在(いま)せば 乏しきことなく 恐れもまたなし。ああ我は何ゆえ かくまで楽しき 御顔を拝せば 心は満ちたる。」(インマヌエル讃美歌572)