「もしあなたが悟りに呼びかけ、英知に向かって声をあげ、銀のように、これを探し、隠された宝のように探り出すなら、そのとき、あなたは主を恐れることをわきまえ知り、神を知ることを見出すようになる。」(箴言2:3~5新改訳)
わが子よ(1節)との呼びかけは、ソロモン王というより天の御父がキリスト者に向かって発した呼びかけのことばと味わうべきだ。そうすると、1~3節の知恵、英知、悟りとは受肉された神であるイエス・キリストを示していることがすぐわかる。▼ソロモン王は世界一の知恵者であり、権力も富も最高峰をきわめた人物であったが、私生活はほめられたものではなかった。それにもかかわらず、箴言の中で「やがて現れたもうイエス・キリスト」を指し示すことができたのは不思議というほかない。それにしても、ソロモンと異なり、私たちは御霊によってまことの英知である御子を知り、その道を歩む幸いを享受しつつあるとは、何たる幸せだろうか。箴言の箴とは体を治す鍼(はり)を意味する。知恵に満ちた主のおことばこそ、人の道を正しく治す鍼そのものである。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」(Ⅱテモテ3:16,17同)
本章の最後の段落(16~22)では、神による思慮と英知が私たちを姦淫や不道徳から守ることを強調している。そもそも人々がこの罪悪に陥るのは、表面の快楽だけが目に映り、霊界の真相に気づかないからである、とソロモンは示唆する。▼そして彼は姦淫の奥に隠された実際の姿を描く。「彼女の家は死へと、その道筋は死者の霊の国へと下る。この女のもとへ行く者はだれも帰って来ない。いのちの道に至ることはない」(18、19)と・・。牧師の私にいろいろな所から伝えられる情報は、今の日本(むろん世界も同じなのだろうが)が、淫行や不倫の洪水だということである。真面目に生きようとする人たちをあざ笑う不道徳の生き方を、これでもかとばかりあおり続ける風潮が満ちている。その結果、若者から高齢者まで人間らしい生き方を失い、心もからだも傷つき悲しみ、倒れている人たちがいかばかりか。▼箴言は言う。その人たちは今どこへ行ったかを思え、と・・。死者の霊の国をよく見つめなさい、そこには嘆き、後悔、叫びが満ちているではないか、と。神が「人間に望まれるまじめな生き方」を笑い、踏みにじった者には永遠の審判が待ち受ける。そのときが来るまで留置されるのが死者の霊の国という獄である。その実相を深く思い、エリをただして生きることが本当の英知なのだ。何千年も前より聖書が告げる死後の世界の真実。万人が神と救い主キリストに立ち帰る以外、全人的救いと癒しはどこにもない、と知ろう。