「自分を知恵のある者と思っている人を見たか。彼よりも、愚かな者のほうが、まだ望みがある。」(箴言26:12新改訳)
神がソロモン王に与えた知恵はすばらしいものであった。当時の世界には彼に並ぶ知恵者がひとりもいなかったため、各地から人々が先を争うようにしてエルサレムにやって来たと記されている。「神は、ソロモンに非常に豊かな知恵と英知と、海辺の砂浜のように広い心を与えられた。・・・彼の知恵のうわさを聞いた世界のすべての王たちのもとから、あらゆる国の人々が、ソロモンの知恵を聞くためにやって来た。」(Ⅰ列王記4:29~34)▼そしてソロモンはどんな難問にもみごとに答えることができたのだった。ところが、その彼がここで言う、自分が知恵者だと思う人ほど愚かな者は存在しないと。もしこれが心からの告白なら、晩年の彼はほんとうの知恵に到達したわけである。人はイエス・キリストに出会う時、はじめて自分の罪深さを意識することができる。つまり、人の世界で賢いとか、自分は知っているなどと考えることはいかに空しく、高ぶりに満ちた態度であるかを発見するのである。▼福音とは謙遜がかたちをとって出現したナザレのイエスを、まことの神の知恵として信じる恵みを言う。人間はその時、はじめて、傲慢不遜という永遠の牢獄から解き放たれ、悪魔の呪縛から自由になり、生かされている喜びを満喫できるようになる。ソロモンすら味わえなかった平安と喜びを、どんな幼子でも体験するのだ。これこそ神の御知恵でなくてなんであろう。新約の福音に生かされている私たちはソロモンの何十倍も幸せである。