「名声は多くの富より望ましく、愛顧を受けることは銀や金にまさる。」(箴言22:1新改訳)
永遠の名声はどこで受けるのか、天の宝座に座っている御父の前においてである。本当の愛顧は誰から来るのか。それは地上で自分の十字架を負い、キリストの足跡について行った者へのしるしとして、永遠の父が下さるものである。▼だがほとんどの人間はそれを知ろうとせず、認めもしない。そしてはかない地上の生涯で富や名声を獲得することに心を燃やし、世界の人々の心を捉えた有名人をかぎりなくうらやむ。それが朝には咲いても夕方にはしぼむアサガオのようなものだと知ってはいても。▼聖書はそんなことをしても無駄であり、空しさの極であるとくりかえし警告している。ソロモン王を見なさい、その得た富と権力と知恵と快楽の総量を見なさい。その果てはどうなったか、彼が死ぬ前に記した伝道の書で、またこの箴言で何と言っているかを、心を静めて聞きなさい、と聖書は何千年にもわたって、全世界の人々に語り続けて来た。それなのに人は一向に耳を貸そうとしない。