しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <わたしにゆだねよ>

2022-04-25 | 箴言

「わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。あなたの目が、わたしの道を喜ぶようにせよ。遊女は深い穴、見知らぬ女は狭い井戸だから。」(箴言23:26,27新改訳)

父母にとっていちばん心配なことは、息子が女性問題で乱れることであろう。この個所は道徳的に真面目な生き方をすることが、いかに親を喜ばせるかを諭している。深い穴、狭い井戸は、一度落ちると、そこから脱け出すのが不可能になる。ちょうどそのように不倫や放蕩の深みにはまると、底なし沼に足を取られ、もがけばもがくほど沈んで行き、最後は身の破滅に至るのである。人間社会の大半はこの悲劇におおわれているといっても言い過ぎではない。第一、この箴言を記したソロモンがそうであった。彼は遊女や人妻と遊ばなかったかもしれないが、多数の妻妾をかかえ、快楽をほしいままにした人物である。その彼が晩年になり、後悔の念にさいなまれながら子供たちに諭したのがこの箴言だとすれば、一節一節が実感をもって迫って来るのをおぼえるではないか。

新約の恩寵という光の中で箴言を見つめると、理想の父と子はもちろん天の父と御子イエスである。ナザレのイエスとなられた御子は、天の父に喜びをもって従うことをすべてとされた。そして御父は御子をいつくしみ、尊ばれ、常にご自身のふところの真中に置かれたお方であった。▼この愛の関係のすばらしさを私たちの心に示し、教えたもう御方が御聖霊である。御霊はそれが人間にとって最高の喜び、幸福であることを知っておられるからだ。そこでキリスト者は御霊に導かれ、主の心をわが心としていくとき、地上で最高の人生を送ることがゆるされるのである。パウロの記すとおりである。「御霊を受けている人はすべてのことを判断しますが、その人自身はだれによっても判断されません。『だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。』しかし、私たちはキリストの心を持っています。」(Ⅰコリント2:15,16同)