しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 士師記17章 <ミカ>

2020-03-09 | 士師記

アロストロメリア

「彼が母にその銀を戻したので、母は銀二百枚を取って銀細工人に与えた。銀細工人はそれで彫像と鋳像を造った。こうして、それはミカの家にあった。」(士師記17:4新改訳)

本章と次章は、イスラエル北辺の町ダンが、なぜ偶像礼拝の場所となったか、その経緯を記した箇所である。▼発端はエフライム出身のミカという人物で、彼は信仰心があついのはよかったが、律法をくわしく知らなかったため、勝手に神の宮を建て、エポデ(大祭司の式服)とテラフィム(偶像)をこしらえて神を礼拝したつもりになっていた。当時、モーセの幕屋はシロにあり、人々はそこに行って神を礼拝することになっていたが、律法を守らないで自由に礼拝する人々もおり、そのひとりがミカだったと考えられる。▼イスラエル人といえども、聖書を教えられなければ、良かれと思っても知らず知らずのうちに道をそれ、偶像礼拝に陥ってしまうことがわかる。「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」(箴言14:12同)とソロモンが言うとおりだ。私たちキリスト者が生涯を通じて聖書を読み、教会に結びつき、正しく信仰の道を歩んで行く必要があるのは、このためである。◆本章の「そのころ、イスラエルには王がなく、それぞれが自分の目に良いと見えることを行っていた」(6)は士師記を読み解く鍵語である。そもそもイスラエルに王がいなかったのは、神ご自身が王だったからだ。つまり世界の諸帝国とちがって、選民イスラエルは神を王といただく特別な民族であった。ではどのようにして、王意(神の御心)が民に伝えられなければならなかったか。①成文として与えられた律法とそれを解き明かし教える人たち②礼拝場所として与えられた神殿つまり幕屋とそれに仕える祭司たち、③神のことばを預かり、人々に伝える預言者、④特別な力を付与され、外敵から国を守る士師たち、これらの組織が正しく機能してこそイスラエルは啓示の民となり得たのであった。◆ところがモーセやヨシュアといった本当の指導者がいなくなったとき、民はそれぞれ自分で自由な道を歩み出してしまい、それを矯正し指導する「神の人」ともいうべき人物がなかなか出現しなかったのである。じつはモーセは①~④までを兼ね備えた人物だった。そのような人物が現れないと、イスラエルがどのように崩れていくか、その有様を語っているのが士師記である。◆永遠的な意味で全てを兼ね備えたお方は受肉された神、人にして神・神にして人、すなわち「永遠の王」なるイエス・キリストしかおられない。だから士師記が遠く指さしたのはイエス・キリストの出現であり、その再臨によりもたらされる御国である。士師記が描く人間の実相はあまりにも醜く、罪深く、むごたらしいものであることはたしかだ。しかし同時に、その底知れぬ罪から人を救い、天に座せしむる恩寵がどれほどのものかを反比例して告げているのも士師記である。そこにイエス・キリストが投影されているのを、御霊によって私たちは感じるからである。