「三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みの中に置いておかなければならない。」(申命記14:28新改訳)
モーセ律法をくわしく読むと、その根底(こんてい)に神の深いご愛があることがわかる。イスラエル人は三年に一度、その年の全収穫(ぜんしゅうかく)の十分の一を町の中心広場に積み上げ、産業を持たないレビ人や、寄留者(きりゅうしゃ)、身寄(みよ)りのない貧しい人たちが自由に取れるようにしなければならなかった。なんと愛に満ちた神のご配慮(はいりょ)であろう。▼もしも世界人類が、それぞれ住んでいる国と地域で、これを実行していたらどうか。飢え倒れる人も、弱って孤独のまま死んでいく人も激減(げきげん)していたであろう。だが現実は反対で、あらゆる富を自分の家に囲い込み、大きな蔵を建てて喜んでいる人がなんと多いことか。▼イエス・キリストが地上に来られるのはこのような不正に審判を下し、絶対的な正義が世界を海のようにおおうためである。主が福音の中で「与えよ、そうすれば与えられる」と強調されたのは、その時のために備えなさい、との意味にほかならない。