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しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
よかったら見てください。

朝の露 <三年ごとに>

2024-08-05 | 申命記
「三年の終わりごとに、その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みの中に置いておかなければならない。」(申命記14:28新改訳)

モーセ律法をくわしく読むと、その根底(こんてい)に神の深いご愛があることがわかる。イスラエル人は三年に一度、その年の全収穫(ぜんしゅうかく)の十分の一を町の中心広場に積み上げ、産業を持たないレビ人や、寄留者(きりゅうしゃ)、身寄(みよ)りのない貧しい人たちが自由に取れるようにしなければならなかった。なんと愛に満ちた神のご配慮(はいりょ)であろう。▼もしも世界人類が、それぞれ住んでいる国と地域で、これを実行していたらどうか。飢え倒れる人も、弱って孤独のまま死んでいく人も激減(げきげん)していたであろう。だが現実は反対で、あらゆる富を自分の家に囲い込み、大きな蔵を建てて喜んでいる人がなんと多いことか。▼イエス・キリストが地上に来られるのはこのような不正に審判を下し、絶対的な正義が世界を海のようにおおうためである。主が福音の中で「与えよ、そうすれば与えられる」と強調されたのは、その時のために備えなさい、との意味にほかならない。

朝の露 <にせ預言者>

2024-08-01 | 申命記
「その預言者あるいは夢見る者は殺されなければならない。なぜならその人は、あなたがたをエジプトの地から導き出して奴隷(どれい)の家から贖(あがな)い出された、あなたがたの神、主が歩めと命じた道から、あなたを迷わせようとするからである。あなたがたの中からその悪い者を除き去りなさい。」(申命記13:5新改訳)

本章はにせ預言者をどう扱えばよいか、ということについてモーセが定めた規定である。シナイ山でイスラエル民族と契約を結ばれた神、モーセを通して律法をお与えになった神以外の何かを礼拝させようと民に勧(すす)める人は、問答無用(もんどうむよう)、かならず殺されなければならなかった。いかなる同情もあわれみも加えてはならなかったのである。このことに関して下したモーセの命令はきびしいものであった。▼ヨシュアに率(ひき)いられたイスラエル人たちがカナンに侵入した後、この命令を厳格(げんかく)に守り実行していれば、数百年後の捕囚はありえなかった。そして現代もモーセの警告は注意をはらわれていない。地球上には偶像礼拝が満ちている。

朝の露 <偶像からの解放>

2024-07-31 | 申命記
「彼らの祭壇を打ち壊し、石の柱を打ち砕き、アシェラ像を火で焼き、神々の彫像を切り倒して、それらの名をその場所から消し去りなさい。」(申命記12:3新改訳)

カナンに入ったとき、原住民たちが拝んでいた神々、その偶像や礼拝場所などすべてを徹底的(てっていてき)に破壊(はかい)し消し去ることをモーセは厳命(げんめい)する。▼もしイスラエル人たちがこのとおりにしていたら、いつまでも約束の地で存続できたであろうが、彼らはできなかった。たとえ一時的にそうできたとしても、ふたたび雨後のタケノコのように異教礼拝は復活した。イスラエル王国史は、その果てしなき戦いの記録である。▼これは今も同じで、イエスの血潮によりその人の心がきよめられない限り不可能である。なぜなら偶像は外部の彫像(ちょうぞう)や鋳像(ちゅうぞう)でなく、心に存在する原罪=腐敗性(ふはいせい)が正体だからだ。パウロは「彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです」(ピリピ3:19同)とピリピの人々に書いたうえで最後に言う、すべての人よ、十字架に来て偶像問題を解決しなさい、そうしなければ永遠の神の国に入ることはできないからだ、と。▼「しかし、臆病(おくびょう)な者、不信仰な者、忌(い)まわしい者、人を殺す者、淫(みだ)らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄(いおう)の燃える池の中にある。これが第二の死である。」(黙示録21:8同)

朝の露 <気をつけなさい>

2024-07-30 | 申命記
「気をつけなさい。あなたがたの心が惑わされ横道に外(はず)れて、ほかの神々に仕え、それを拝むことのないように。」(申命記11:16新改訳)

ここでモーセは何回も念を押して、唯一の神に対する信仰から外れないようにと注意する。だが、このあとのイスラエル史からわかるように、彼らは原住民の偶像文化に飲みこまれ、神を怒らせ、千年もしないでほろびて行った。▼旧約聖書が告げる事実は、人の心に存在する腐敗性(原罪)がなくならない限り、唯一の神に対する信仰の確立は期待できないということであった。同時に旧約聖書はそれを真に成就するために、油注がれたお方、メシア=キリストが世に来られるということを告知した書である。▼私たちは聖書を読むとき、あらゆる時代を通じて救い主の到来がいかに待望されて来たかを知ることができる。すなわち、マリアの懐胎(かいたい)を福音書がどんなに喜んで記録したか、シメオンやアンナ、羊飼いや東方よりの博士たちが、キリストにお会いするため犠牲をいとわずにエルサレムにやって来たか、その喜びの深さと大きさを知るのである。▼私たちキリスト者が永遠の火から救い出されたのは、イエス・キリストが十字架にかかり、罪のゆるしときよめを成就してくださったからこそなのだ。毎日この喜びをかみしめ、救われた喜びに胸をおどらせて過ごしてもなお足りないほどの幸せである。神はそのような生き方を一人一人に望んでおられることをあらためて心に銘記したい。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16~18同)

朝の露 <寄留者を愛せよ>

2024-07-29 | 申命記
「あなたがたは寄留者を愛しなさい。あなたがたもエジプトの地で寄留の民だったからである。あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさい。主にすがり、御名によって誓いなさい。」(申命記10:19、20新改訳)

ここでふたたび、モーセは切々と訴える。あなたの神、主を恐れ、主に仕えなさいと。そしてとくに寄留者を愛し、大切にせよと。▼ふしぎにもイスラエルはこの二千年、離散者(りさんしゃ)となって世界を流浪(るろう)した。どこに行っても迫害され、神を殺した民族とさげすまれ、ゲットー生活を余儀(よぎ)なくされて来たのであった。モーセはまるでそのことを予見しているかのように、「寄留者を大切にせよ」と勧(すす)めている。そのとおりに迫害された歴史をたどったイスラエルだったが、同時に神の選民として大切にされたこともたしかであった。▼歴史の支配者である神は、寄留者としての彼らが、ほろびるのをゆるされなかった。想像を絶する苦難と迫害に会っても、彼らはイスラエルとしての特性を失わず、1948年には国を建て、それから約八十年が経った。聖書は将来、あとにも先にもない苦難がイスラエルにおそいかかると預言している。続いて聖書は彼らが徹底的に罪を悔い改め、メシアなるキリストを受け入れ、民族として回心し、全世界が待望してきた神の国が始まるとも告げる。私たちは聖書を見据え、世界とくに中東で行われていることから目をそらさないで、歴史の流れに注目していきたい。▼「いちじくの木から教訓を学びなさい。枝がやわらかになって葉が出て来ると、夏が近いことが分かります。同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」(マタイ24:32,33同)