「水滸伝」をむさぼり読む日々。岩波の「水滸伝」や「西遊記」は講談の形を残したまま訳してある。今日、「中国鍼灸院」の呉先生に聞いた話だが、こういう講談というものが中国では呉先生の子どもの頃まで残っていたらしい。今でいうカフェみたいなところに人を集めて、お茶一杯で一話分聞かせる。続きが聞きたい人は二杯目を頼まないといけない。娯楽が少ない時代には多くの人の興味をそそったことだろう。呉先生によれば文化大革命の時に毛沢東によってこういった講談は禁止されたらしい。古今、文化に枷をした政治にろくなものはない。人の世は衣食住足りれば生きられるというものではない。
それにしても「水滸伝」は面白い。まったくもって荒唐無稽だが、それがまた面白い。今までにいろんな作家がこれをデフォルメして好き勝手に小説化してきたが、元より正解などないわけだから誰がどういうふうに書こうが構わないわけだ。そのへんが中国の古典文学の興味深い点だ。
「講談師」
一服の 夢語るかな 講談師
蔵
それにしても「水滸伝」は面白い。まったくもって荒唐無稽だが、それがまた面白い。今までにいろんな作家がこれをデフォルメして好き勝手に小説化してきたが、元より正解などないわけだから誰がどういうふうに書こうが構わないわけだ。そのへんが中国の古典文学の興味深い点だ。
「講談師」
一服の 夢語るかな 講談師
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