【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「ハッピーフィート」:品川駅前バス停付近の会話

2007-02-14 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

おいおい、品川駅前のシネコンではもう「ハッピーフィート」を上映してるのか?
これは、予告よ。上映は春休み。
でも、俺たちはこの映画観たぜ。
ホールの試写会でね。
そっか。でも、このシネコン、隣には水族館もあるんだな。
本物のペンギンもいるのよ。
「ハッピーフィート」みたいにタップを踏むペンギンもいるのか。
いるわけないでしょ、あれはアニメの中の話なんだから。
いや、しかし、あのアニメはよくできてたな。主人公のペンギンの羽根のひとつひとつまでちゃんと感じられるし、雪のさらさら、ふわふわした感触まで伝わる質感とか海の中のぶくぶく現れては消える泡の緻密な描写とか想像以上に素晴らしかった。
とくに、赤ちゃんのときのペンギンの、あのぬいぐるみみたいなホワホワ感。思わず、欲しいいーっ、って思っちゃたわ。
まったく、CGアニメの進歩には驚かされるよな。「モンスターズ・インク」の毛の質感とか「ファインディング・ニモ」の水の質感の高さにうならされたのが一昔前になっちゃったもんな。
大氷原に現れるペンギンの大群衆なんて、ハリウッド映画のスペクタクルそのものだしね。
CGアニメの一番の弱点の人間の表情をどうクリアしているのかと思ったら、これはみごとにはずしてた。
正面から勝負しないで人間部分は実写で逃げちゃった。やっぱり、CGの質感で人間を描くとどうしても不自然になっちゃうっていうのは超えられない壁なのかしら。
それを除けば画面を観ているだけで、めちゃくちゃ楽しい。日本のアニメとは違う意味でアニメの可能性に挑戦する技術の高さに感動しちゃうぜ。
でも、アニメの生き死には最終的にはストーリーの良し悪しよね。
歌がうまいペンギンたちの中で、歌は下手だけどタップはうまいペンギンが最初は異端者扱いされるんだけど、やがてそのタップを生かすことで仲間を救うことになる。仲間と一人だけ個性の違う主人公が初めは仲間からスポイルされるんだけど、その個性が最後には仲間を救うことになって感謝されるというストーリーは、この手の映画の王道だ。
それをミュージカル仕立てにしたところが見所のひとつかしら。
ミュージカル風のアニメっていうのは昔からディズニーが取り入れている手法だから、別段目新しくはないけど、クイーンとかプリンスとかスティービー・ワンダーの曲が出てくるのがミソかもな。
ロビン・ウィリアムズとかニコール・キッドマンとかが歌っているんだからぜいたくよね。
アニメのペンギンたちの動きがまた、とびきりいいからご機嫌になれる。
ただ、主人公の個性が仲間を救うって話だけど、ちょっとご都合主義的な救い方だと思わなかった?
うん、それは俺も感じた。最後は主人公のタップがきっかけで人間たちからペンギンを守ることができましたっていう話になるんだけど、「本気で地球環境へのメッセージを発しようとしているわけではないんですが、地球環境がいま話題になってるから、それを取り入れてみました。いかがですか」みたいな中途半端な感じのラストになってたもんな。
ブッシュが、信じてもないのに流行だからって地球環境問題を取り上げているような偽善的な雰囲気があるのよね。
楽しく愉快な映画なんだから、人間との関係なんて出してこないでペンギンの世界で完結してくれたほうが後味はもっと良かったかもしれないな。
環境問題はゴアにでもまかせてりゃいいじゃんてこと?それはそれで、まるでブッシュの一味みたいで問題じゃないの?
いやいや、そういう小難しい方向へ話を持っていくのはやめようよ、と俺は言ってるの。エンタテインメントなんだから純粋にエンタテインメントとして楽しもうぜ。
そうね、タイトルからして「ハッピーフィート」なんだから、ハッピーにならなくちゃね。
って、お前、「ハッピーフィート」の意味知ってるのか?
それは、映画を観てのお楽しみ。


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「長州ファイブ」:品川車庫前バス停付近の会話

2007-02-10 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

ずいぶん年季の入った感じの家ね。
このあたり、江戸時代は品川の宿場町だったらしいからな。
そこまで古くはないでしょ。
じゃあ、江戸から明治に変わる頃か。
いやあ、そこまでも古くはないと思うけど。
明治維新の前後っていろいろあったからなあ。
その歴史のひとコマを描いたのが「長州ファイブ」っていう映画。
ああ、攘夷か開国かで揺れる幕末に、世界の大きさを知るためにイギリスに渡った五人の長州藩士の実際にあった物語の映画化。
この五人が実はそうそうたるメンバーの若かりし頃なのよね。
伊藤博文とか井上馨とか、五人とも帰国したあとは明治維新で重要な役割を果たしている歴史上の人物だ。彼らが激動の時代をどう生きたかっていう物語。
と聞くと、とてもドラマチックな展開を期待するけど・・・。
それが、思ったほどドラマチックじゃないんだよな。彼らが時代の使命感に燃えているのはわかるんだけど、それがアクションにつながらないから、映画としては、どうも興奮に欠ける。
アクションて?木刀で戦ったりしてたじゃない。
いや、そういう意味じゃなくて、のっぴきならない状況にぶち当たる中で主人公はどう行動して問題を乗り越えていくか、っていうサスペンスに欠けているっていうこと。この映画の主人公たちは、これからの日本を変えなければならないという思いばかりで、自身がのっぴきならない状況に陥っているわけではないから、観ていていまひとつ感情移入ができないんだよな。
ああ、たしかに志は高いけど、イギリスに行かないと自分自身が困るってわけでもないし、イギリスで万事休すって場面に出合うわけでもないし、病気になっても帰って来れちゃうし・・・。
イギリスでできた恋人との悲恋もなにか色っぽさというか情緒に欠けるし・・・。
だけど、大志だけは伝わってきたわよね。「日本のために機械になって帰るんだ」っていう。
あの時代は、産業革命直後で、とにかく欧米の技術を取りこむのが日本の最大の命題だっていうのは確かだからな。技術を習得して「日本のために機械になって帰るんだ」っていう使命感を持っていたのはよくわかる。
今そんなこと言っても誰も感動しないだろうけどね。「女性は子どもを産む機械だ」って言ってバッシングされた大臣もいたくらいで。
あの頃の大志を思い出せ、っていう映画なのかな。
「文明だけでなく自然も大事なのよ」って映画の中のイギリス女性は取ってつけたように言ってたけどね。
五十嵐匠監督って、「みすず」を撮った監督だろ。
あれはよかったわ。とてもみずみずしい情感にあふれていて。
ああいう静謐な話を撮るのが得意なのかもしれないな。時代を表現するようなダイナミックな素材は合っていないのかもしれない。
それにしても、五人が五人とも日本へ帰ってきて偉大な人物になったっていうのには感心したわ。
ひとりくらい挫折してもおかしくないのに、立派なもんだ。
あなたも少し見習ったら。
お前もな。
と、この監督は言いたいのかもね。


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「グアンタナモ、僕達が見た真実」:東品川一丁目バス停付近の会話

2007-02-07 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

こんなところに灯台?
昔はこのあたりまで海だったんで、その名残らしいわよ。
灯台っていえば、「グアンタナモ、僕達が見た真実」を思い出すな。
どうして?
「グアンタナモ、僕達が見た真実」、これこそアメリカにとって不都合な真実だ。
アメリカがグアンタナモというキューバの土地に法律も国際法も通用しない施設をつくり、パキスタン系のイギリス人をアフガニスタンにいたっていうだけでテロリストとして無実の罪で何年にも渡り拘束した事件の映画化。アメリカってひどい国ねってつくづく思ったわ。
いやいや、他人事じゃない。無実の罪の人間を拘束するなんて、日本だってやっている。
そういえば、「それでもボクはやってない」なんていう映画があったばかりね。
日本のことは棚にあげてアメリカを非難するなんて、灯台もと暗しってやつだ。
ははあ、それで灯台っていえば「グアンタナモ」ってつながるわけね。
ああ。いったん国ににらまれたら個人なんてわめこうが叫ぼうがどうしようもないっていう意味では、この事件も対岸のできごとじゃない。アメリカも日本もない、恐い話だ。
だけど、「それでもボクはやってない」は痴漢事件だったけど、「グアンタナモ」は、話がはるかに国際的で複雑よね。イギリス国籍のパキスタン人がアフガニスタンでアメリカに捕まり、なぜかキューバに移送されるなんて、80日間世界一周じゃないっていうのよ。
そもそもキューバなんてアメリカと敵対している国なのに、そこにアメリカの軍事施設があるなんて奇怪きまわりないもんな。
しかも、テロを防ぐには「怪しきは罰せず」じゃなくて「怪しきは隔離」でなければ防ぎきれないっていう理由で無実の若者を拘束しちゃうんだから。
その理屈は日本の痴漢事件だって同じだ。ことの大小によらず、「怪しきは罰せず」じゃなくて「怪しきは隔離」っていうのは最近の世界の隠れた常識になっちまったのかい?
でも、ついこの間もパキスタン系のイギリス人が実際にロンドンでテロを起こしたばかりだし、人種的に疑いの目で見られてもしかたないのかしら。
そういう理屈でいうと、男はみんな痴漢を起こす可能性があるんだから疑いの目で見られてもしかたない、って理屈になる。
テロリストも痴漢も同じ問題を抱えているってこと?
まさしく、そのとおり。テロの問題はエロの問題につながる。
でも、冷静に考えれば、片方は世界の行方を左右する大きな事件で片方は通勤電車の中の小さなできごとよ。
いつまでもそういうセンスでいるから世界はよくならないんだ。テロにどう対応するかって問題は、痴漢にどう対応するかって問題に通じる。どちらも世界のあり方を方向づける大問題なんだ。
じゃあ、どうすればいいのかしら。
ああ、難しいな。「グアンタナモ」の場合は、アフガニスタンにいただろうっていう期間、実はイギリスで恐喝かなにかで保護観察処分になっていたんでアリバイがあったっていう、つまり、自分が小さな悪いことをしていたんで、大きな疑いを晴らすことができた、っていう皮肉な話だもんな。
画面は拷問、拷問の連続で冷や汗が出たわ。しかも、正確なドキュメンタリーみたいな撮り方をしているから、やたら迫真感があるのよね。
再現ドラマってやつなんだろうけど、びっくりするほど本格的だから日本のテレビなんか足元にも及ばない説得力がある。
正直、日本人がイラクで人質になったときの映像を思い出したわ。あんな感覚が延々と続くような。
あれは、テロリスト側の映像だったが、アメリカ軍だって同じようなことをしているんじゃないかっていう不信感。
うん、結局、このイギリス人たちは無実が認められて釈放されるんだけど、彼らはきっとアメリカを許さないだろうし、アメリカはこうして敵を確実に増やしていくんだ、って「リング」を観終わったときのような妙な寒気を覚えたわ。
正義を照らし出す灯台はいったいどこにあるんだろうな。


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「どろろ」:天王洲橋バス停付近の会話

2007-02-03 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

こんなところに、テレビ東京のスタジオがあるとは思わなかったな。
テレビ東京っていえば、「どろろ」をつくったテレビ局よね。
それは、東京放送、6チャンネル。テレビ東京は12チャンネル。
うーん、地方出身者にはよくわからない。
え、痴呆出身者?
あ、差別的発言!微妙にイエローカード!
「どろろ」も昔テレビアニメになったらしいんだけど、微妙な問題が多くてほとんど再放送されていないらしいぜ。
ちょっとそういう考えさせられるところもあるけど、私は手塚治虫の原作を知らなかったから、ただの妖怪退治映画かと思ってた。
俺だって、手塚治虫の「どろろ」なんて知らなかったから、宮崎駿の「トトロ」みたいな映画かと思ってたよ。
となりのど・ろろ、ど・ろ~ろ、てね。
車内で歌うな!
失礼しました。でも、そんな先入観を吹き飛ばすような、重量級の映画だったわね。
まるで、ギリシャ悲劇か、シェークスピア劇みたいな話だもんな。
父と子の血を巡る物語。
父親が天下を取るために妖怪に自分の子どもの肉体を与えてしまい、子どもがその肉体を取り戻していき、最後には父親と対決しなくてはいけなくなる、その葛藤のドラマが、まるで黒沢明の映画みたいなんだよな。
それは誉め過ぎじゃない?
そうか?でも、妖怪退治の場面でも、子捨て問題に係わる妖怪との対決部分はじっくり描いて、その他の妖怪との対決は小気味よくスピーディに処理して、親と子の関係という重いテーマにつなげていく、うまい展開だと思ったけどな。
母親役の原田美枝子とかがちゃんとした演技をしているから黒沢映画みたいとか思っちゃうのかしら。
原作の設定は室町時代の日本てしぼってるんだから、映画もそうすればよかったのにな。
そうかしら。時代設定をあいまいにしたからあそこまで自由なファンタジーにできたんじゃない?
いやいや、室町時代っていうのは戦いに勝つためなら肉親だって犠牲にするっていうのはほんとにあったと思うんだ。妖怪と取引するっていうのはフィクションだとしても、人間には子どもを犠牲にしてしまうような非情な部分ていうのは確かに存在するんだっていうことに説得力を持たせるためには、実在の時代を背景にしたほうがよかったんじゃないか。
でも、実在の時代に設定したら、町の歴史家からあの時代はあんなことはなかったとか風俗考証が間違っているとか、いろいろ言われて窮屈なんじゃないの。
言わせとけばいいんだよ。
「この物語は実在の人物、団体、歴史、その他諸々とはまったく一切関係ありません」とかイクスキューズしてね。
そんなコメントより、俺はラストのコメントがものほしそうで気になったな。
ものほしそう?
「続編つくりたいんだけど、みなさんいかが?」みたいな。
続編つくってもいいんじゃない。
いいけど、こういう表現はちょっと品に欠けるなと俺は思ったわけよ。
でも、原作も未完ぽい感じで終わってるらしいわよ。
そうか。原作に敬意を表しているわけか。たしかに、これで続編ができなかったら、逆に未完の傑作として映画史に残るかもな。
この映画、テレビでは放送するかしら。
どうかな。テレビ局がつくってるんだからな。でも、陰影の深いシーンも多いから、テレビで放送するにしてもしないにしても、映画館で観ることをおすすめするね。
となりのど・ろろ、ど・ろ~ろ。
歌うな!


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