【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「それでもボクはやってない」:品川警察署入口バス停付近の会話

2007-01-24 | ★品93系統(大井競馬場前~目黒駅)

警察は関係ないな、俺のような善良な市民には。
あの青年もそう思ってたのよねえ、電車から降りるまでは。
あの青年って?
「それでもボクはやってない」の主人公よ。
痴漢をしてないのに、逮捕されちゃう青年か。無罪だなんて言いはるからいけないんだよな。やってなくたって、「やった」って言っちゃえばすぐ釈放されるのに。
なに、その考え。あなたにはプライドってもんがないの?サイテーね。
あのねえ、社会っていうのはプライドだけじゃ生きていけないの。それは裁判所だって一緒。垢にまみれた世間の中で、裁判所だけが無菌状態にあるなんて、無邪気な幻想だ。
妙に悟った意見ね。
いや、俺の意見じゃなくて、この映画がそう教えてくれたんだ。
そうじゃなくて、そういう社会は間違ってるってこの映画は訴えてるのよ。
しかし、あの被害者の少女の立場に立って見ろよ。勇気を出して警察に訴えた容疑者が「やってない」「やってない」で逃げてばっかりじゃあ、勇気なんか出さなきゃよかった、って話になるぜ。
でも、無実なんだからしょうがないじゃない。
本当に無実だと思うか。
映画を観る限りでは、無実って感じだけど。
感じね、感じ。観客が無実って感じるのと同じくらいアバウトな感じで裁判官は有罪かもねと感じたってわけ。
そんな、”感じ”で裁かれちゃたまんないわよ。
でも、世間は真実かどうかじゃなくて”感じ”であいつが犯人だと判断するんだ。事実かどうかわからないけど、本人が否定しているのに、痴漢したと世間の非難を浴びた大学教授がつい最近もいたじゃないか。裁判所だって同じだ。
それじゃあ、公正な裁判なんか期待するなってこと?
だから、「怪しきは罰せず」が基本なんだ。どんなに怪しくても確実な証拠がない場合は有罪にしないという。
じゃあ、なんで痴漢は有罪になっちゃうの。痴漢の場合は、証拠も本人の自白も何もなくても有罪にできちゃうってのがよくわからないなあ。
でも、そういう風になってるんだから、次善の策を取るしか庶民にはできないだろう。
次善の策って?
とにかく認めちゃって早く留置場を出してもらうっていう。
だからそれはサイテーだって言ってるの。
うーん、堂々巡りだな。
だいたい、裁判映画って昔からたくさんあるけど、最後は確実な証拠が出てきて有罪なり無罪なりすっきり解決するっていうのがほとんどのパターンで、「それでもボクはやってない」みたいなすっきりしない終わり方って、珍しいわよね。結局無罪なのか有罪なのかは観てのお楽しみだけど。
戦後間もなくの映画にはあったらしいけど、最近はあんまり見ないな。「愛の流刑地」みたいなのばっかりだもんな。
この映画は、裁判そのものの問題点を問うって映画だもんね。
「Shall We ダンス?」みたいな映画を期待して行くと、あまりに硬派な映画なんでびっくりするだろうけどな。
でも、最後まであきさせないのは、さすが周防正行よ。裁判の仕組みがとってもよくわかるし、役者もみんなよかったし。
特に印象的なのは、なんといっても、裁判長の小日向文世だな。あの間の取り方のいやらしさったら、なかった。
裁判長の心証で判決が左右される映画なんて初めてかもしれないわね。
でも、それが真実なんだぜ。
だから、一般の市民が裁判に参加するっていう裁判員制度なんていうものができたのかしら。
だけど、裁判員に任命されても、この映画みたいな事件にぶちあたったら困っちゃうな。
とりあえず私たちにできることは、せいぜい警察に疑われるようなことはしないってことくらいね。
警察署の前でヒソヒソ映画の話をしてるってのも、結構怪しいかもな。
早く、逃げよっ。


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ふたりが乗ったのは、都バス<品93系統>
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