Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

セバスティアン・ヴァイグレ/読響

2019年05月15日 | 音楽
 セバスティアン・ヴァイグレの読響常任指揮者就任後の初の定期。1曲目はヘンツェの「7つのボレロ」。読響が元常任指揮者ゲルト・アルブレヒトの指揮で世界初演した曲だ。それを取り上げることに、読響へのリスペクト、同じドイツ人の先任指揮者へのリスペクト、そして自らも現代曲に取り組む意思表示が感じられる。

 演奏は、現代曲を積極的に取り上げたカンブルランが、淡彩色の音色を持っていたのに対して、極彩色の音色で、エネルギッシュに進めるもの。第1楽章は丁寧だったが、第2楽章以下では荒っぽさも感じられた。その辺はカンブルランにはなかったこと。もっとも、9年間も共演を重ね、読響との信頼関係を築いたカンブルランと、今日新たな一歩を踏み出したヴァイグレとを同一平面上で論じるのは不適当だろう。

 2曲目はブルックナーの交響曲第9番。第1楽章の冒頭の弦のトレモロ(原始霧)が始まると、悠然としたテンポと綿密な音作りが感じられ、1曲目のヘンツェとは違うと思った。それは確かな歩みとなり、ときに急激にテンポを上げて、強烈な音で鳴らす瞬間もあったが(そのときの金管の明るい音色が印象的だった。その音色は第2楽章以降も変わらなかった)、基調は維持された。

 第2楽章のスケルツォの主部は、あまり攻撃的にならずに、スタイリッシュに進んだ。もちろん強烈な音も鳴るには鳴ったが、重厚さとか押し出しのよさとか、そういうイメージとは異なった。

 第3楽章アダージョは、綿密に音楽を追っていた。わたしは演奏時間を計る習慣がないので、正確にはわからないが、(物理的な時間はともかくとして)心理的な時間は、とくにコーダに入ってからは長かった。その時間に耐えて音楽を追ったとき、最後に清澄な解放感が訪れた。

 ホルンの音が虚空に消えたとき、客席は静寂に包まれた。指揮者が腕を下ろしても、物音一つ立てなかった。やがて指揮者が軽く頷いたとき、初めて大きな拍手とブラヴォーの歓声があがった。当夜のお客さんは最高だ。

 総体的にいって、ヴァイグレのブルックナーは、極端な表現とか、特定のパートの強調とか、そんな「個性的な表現」などは眼中になく、ひたすら実直に譜面を追うもの。今はまだ読響としっくりかみ合ってはいないが、やがてかみ合った暁には、ずっしりした内実のあるブルックナーになるかもしれない。今は少し長いスパンで見る必要がありそうだ。
(2019.5.14.サントリーホール)
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