Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

つく、きえる

2013年06月05日 | 演劇
 ドイツの劇作家シンメルプフェニヒSchimmelpfennig(1967‐)の新作「つく、きえる」AN UND AUS。新国立劇場の委嘱作品だ。委嘱後、3.11の大震災が起き、その影響を強く受けた作品。ドイツの劇作家が3.11を自己のものとして書いた作品――という側面をもつ新作だ。

 観ているうちに、歯がゆくなった。歯がゆいという言葉しか思いつかないのだが、なにか違和感があった。それをどういったらいいのだろう。端的にいって、外側からの視線を感じた。それはたぶん、わたしが日本人だからだろう。西洋人だったら共通の土俵に立てるのだろう。けれども日本人には無理のようだ。それはなぜだろう。

 正直にいって、舞台を観ながら、映画「遺体~明日への十日間」(君塚良一監督、西田敏行主演)が思い出された。3.11の作品化――3.11の意味を探るという意味での作品化――は、わたしにとってはあの映画が原点なのだなと思った。それとのあまりの相違に面食らった。

 3.11から2年あまりたって、わたしたち日本人は3.11を内面化し始めているのだと思う。その内面化のプロセスにあの映画は――日本人の死生観という意味で――ぴったり合ったのだと思う。

 一方、今回の「つく、きえる」は、今のわたしにはタイミングが合わなかったのだろう。3.11以降、たとえば東京では、交通網が乱れた。通常の通勤ルートが使えず、また時間の予定が立たなかった。計画停電もあった。社会全体が、タガが外れたようになった。舞台を観ていて、あのときの感覚を思い出した。でも、わたしたちはもうその先に行ってしまっている。

 作品の形式面でも、各登場人物がモノローグのように「わたしは○○した」「××した」と語るその文体が、途中から単調に感じられた。以前の「昔の女」もそうだったろうか。単調に感じた記憶はまったくないのだが。

 演出についても、どうだったのだろうと、帰宅後、考えた。この作品では3組の不倫のカップルが出てくる。その3組が少しも官能的ではなかった。少なくとも不倫をしているのだから、海辺のホテルに部屋を取ったときは、官能がときめいてもよさそうだが、少しもそんな気配がなかった。そのことがこの作品を詰まらなくした一因かもしれない。もしもこの作品が海外で上演されたらどうなるのだろう。もっとエロティックな表現になったかもしれない。
(2013.6.4.新国立劇場小劇場)
コメント
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