ピアソラのオペリータ(小オペラという意味。造語のようだ。)「ブエノスアイレスのマリア」。2011年3月19日に予定されていた公演。ところが東日本大震災の発生により中止になった。そのときの無念さが忍ばれる。それから2年、同じメンバーが集まって、復活公演にこぎつけた。ただしコントラバス奏者はこの2年のうちに亡くなったそうだ。なので、正確にいうと、コントラバス奏者が入れ替わって、再結集した公演。当時の「このままでは終わらせない」という皆さんの熱い気持ちが実った公演だ。
当時、外人歌手と語りの3人のうち2人は帰国してしまったそうだ。無理もない話だが、これも皆さんの落胆に拍車をかけた。残った一人はリハーサルに参加して、皆さんを勇気づけ、感動させた。その人が今回も参加している。歌手のレオナルド・グラナドス。嬉しいことだ。
嬉しい驚きはまだある。交代した外人歌手――主役のマリア役――にこの作品の初演時(1968年)のメンバー、アメリータ・バルタールAmelita Baltarが入ったことだ。わたしもCDでは聴いたことがあるが、まさかその人が今回の公演に参加するとは――と、夢でも見るような気になった。
こうして迎えた今回の公演、なんだか平静な気持ではいられなかった。冒頭の「アレバーレ」、ゆっくり目のテンポで曲が始まり、小松亮太のバンドネオンがそこにくっきりした輪郭を与えたとき、皆さんのこの公演にかけた準備の総量が感じられた。
そしてアメリータ・バルタール。ハスキーな低音がマリアそのもの、マリアの化身、生けるマリアだった。これは一生忘れられそうもない経験だった。
いうまでもなく、マリアはタンゴの擬人化なのだが、こうして聴いていると、タンゴに限らず、そこにさまざまなイメージが重なる気がした。青春の思い出、破れた恋、苦い人生、不当な扱い――。聴く人それぞれの悔恨をこの音楽に注ぎ込んで、思いっきり感傷に浸ることのできる――そんな自分を受け入れてくれる――器のように感じた。
終演後は大喝さい。スタンディングオベーションに応えてアメリータ・バルタールは「受胎告知のミロンガ」をもう一度歌ってくれた。
嬉しいニュースがあった。2011年9月に公演が予定されていたが、訳あって中止になったゴリホフのオペラ「アイナダマール(涙の泉)」が、来年11月に上演されるそうだ。主催は日生劇場。これは感動的なニュースだ。
(2013.6.29.東京オペラシティ)
(注)2011年3月の様子は谷本仰氏(第2ヴァイオリン奏者)のブログによる(2011年3月19日付け)。
http://blog.livedoor.jp/aogoomuzik/
当時、外人歌手と語りの3人のうち2人は帰国してしまったそうだ。無理もない話だが、これも皆さんの落胆に拍車をかけた。残った一人はリハーサルに参加して、皆さんを勇気づけ、感動させた。その人が今回も参加している。歌手のレオナルド・グラナドス。嬉しいことだ。
嬉しい驚きはまだある。交代した外人歌手――主役のマリア役――にこの作品の初演時(1968年)のメンバー、アメリータ・バルタールAmelita Baltarが入ったことだ。わたしもCDでは聴いたことがあるが、まさかその人が今回の公演に参加するとは――と、夢でも見るような気になった。
こうして迎えた今回の公演、なんだか平静な気持ではいられなかった。冒頭の「アレバーレ」、ゆっくり目のテンポで曲が始まり、小松亮太のバンドネオンがそこにくっきりした輪郭を与えたとき、皆さんのこの公演にかけた準備の総量が感じられた。
そしてアメリータ・バルタール。ハスキーな低音がマリアそのもの、マリアの化身、生けるマリアだった。これは一生忘れられそうもない経験だった。
いうまでもなく、マリアはタンゴの擬人化なのだが、こうして聴いていると、タンゴに限らず、そこにさまざまなイメージが重なる気がした。青春の思い出、破れた恋、苦い人生、不当な扱い――。聴く人それぞれの悔恨をこの音楽に注ぎ込んで、思いっきり感傷に浸ることのできる――そんな自分を受け入れてくれる――器のように感じた。
終演後は大喝さい。スタンディングオベーションに応えてアメリータ・バルタールは「受胎告知のミロンガ」をもう一度歌ってくれた。
嬉しいニュースがあった。2011年9月に公演が予定されていたが、訳あって中止になったゴリホフのオペラ「アイナダマール(涙の泉)」が、来年11月に上演されるそうだ。主催は日生劇場。これは感動的なニュースだ。
(2013.6.29.東京オペラシティ)
(注)2011年3月の様子は谷本仰氏(第2ヴァイオリン奏者)のブログによる(2011年3月19日付け)。
http://blog.livedoor.jp/aogoomuzik/