Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

最後のライラックが‥

2008年10月21日 | 音楽
 指揮者の下野竜也は、デビュー以来さまざまなオーケストラを振りながら、継続してヒンデミットを取り上げている。昨日の読響の定期でも、ヒンデミットのプログラムを組んだ。
(1)ヒンデミット:シンフォニア・セレーナ
(2)ヒンデミット:前庭に最後のライラックが咲いたとき ―愛する人々へのレクイエム―
   (メゾ・ソプラノ:重松みか、バリトン:三原剛、合唱:新国立劇場合唱団)
 もともと演奏頻度の高くないヒンデミットだが、これらの2曲はその中でも珍しい部類に属する。私も初めてきくので、事前にCDで予習をして行った。以下、CDとの比較をまじえて記録したい。

 「シンフォニア・セレーナ」は1946年の作品、つまり第二次世界大戦の終了直後にかかれた曲だ。この時期には世界中で多くの曲が生まれた。戦争の悲惨さを訴える曲も多いが、その一方で、極度の緊張から解放され、平和の訪れに安堵する曲も生まれた。この曲は後者に属する。
 ヒンデミットは、ユダヤ人ではなかったが、ナチスの弾圧をうけたので、その安堵は一入だったろう。もっとも、この曲は、素朴な安堵で終始するわけではない。第2楽章はベートーヴェンの軍楽のための行進曲のパラフレーズになっていて、どこか意味深だ。第3楽章はColloquy(会談、討議)と名づけられていて、これまた何かの意図が感じられる。全体としては、第1楽章では平和の訪れを安堵し、第2楽章と第3楽章では戦争とその終結を暗示し、第4楽章では平和の喜びを爆発させるという解釈が可能だろう。
 昨日の演奏は、私のきいたCD(ブロムシュテット盤)に比べて、抜けるような晴朗さよりも、どこか沈んだ気分が感じられた。それが意図したものかどうかは分からない。ただ私には、「世界はいまだに傷から癒えていない」と感じられるものがあった。

 次の「前庭に最後のライラックが咲いたとき」も同年の作品で、アメリカの国民的詩人ホイットマンの長編詩に音楽をつけている。原詩は、南北戦争の終了直後に暗殺されたリンカーン大統領を追悼するもので、そこに第二次世界大戦の終了直前に亡くなったルーズベルト大統領を重ね合わせたものだ。ただし、それだけではなく、最後の部分に戦場で散った多くの無名の兵士たちを偲ぶ箇所があり、そこに音楽的な重心がかかっている。これが「愛する人々へのレクイエム」という、原詩にはない副題のついた所以だろう。

 全体は前奏曲および11の部分に分かれていて、前半は淡々とすすむが、中間の第7番では合唱による壮大なフーガとなる。昨日のフーガの演奏は、ヒンデミットのかいた線的書法がよく出ていて、私のきいたCD(この曲の委嘱者であり初演者でもあったロバート・ショー盤)よりも優れていると感じた。先に結論をいってしまうが、総体的に昨日の演奏は、ヒンデミットの音楽語法にたいする理解の点でCDを上回っていた。

 話を元に戻して、第8番の後半から「賛歌《愛する人々のために》」と題された部分になり(この標題は原詩にはない)、メゾ・ソプラノとバリトンの美しい二重唱がきかれる。第9番は「死のキャロル」(これも同様)と名づけられた大きな合唱曲で、全体のクライマックスを形成する。ここまではCDをきいて分かっていた。
 けれども昨日の演奏では、さらに先のあることが分かった。エピローグとしてきいていた無名の兵士たちを偲ぶ第10番では、哀悼のトランペットが鳴らされていたのだ。CDでは気づかなかった。私は驚き、こみ上げてくるものを抑えるために、あわててハンカチを取り出した。これがあってはじめて、第11番で鳴らされる弔いの鐘が生きてくるのだった。

 私たちは、第二次世界大戦の死者を悼む、こんなにも優れた曲をもっていたのだ。それを私は知らなかった。
 それにしても、ヒンデミットを継続して取り上げている下野竜也の志は、高く評価されてしかるべきだ。ヒンデミットは地味で、渋く、人気の出にくい作曲家だ。だが、音楽の大事なものをもっている。それは、音楽的思考の活発さ、あるいは音楽をする喜びとでもいったものだ。そこに注目する指揮者が同時代の同国人にいたことを喜びたい。

 以上、ずいぶん長くなってしまって申し訳ない。最後になるが、新国立劇場合唱団は、この曲の演奏に欠かすことのできない役割を十分に果たした。重松みかの英語は本物だった。三原剛も不足はなかった。
(2008.10.20.サントリーホール)

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