Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ピグマリオン

2013年11月15日 | 演劇
 新国立劇場でバーナード・ショーの「ピグマリオン」が始まった。ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作となった芝居。高校生のころに観たその映画の記憶は薄れてしまったが、音楽は覚えている。I could have danced all nightとか。

 ロマンティック・コメディーの印象が強いミュージカルだが、芝居を観た印象は少しちがった。コメディーにはちがいないのだが、なんともいえない苦みがあった。そう感じたのはこちらが年をとったからかもしれない――と、少々ひねくれたい気分になったが、これは作者ショーの影響かもしれない。

 苦みを感じた主因は幕切れにあると思う。イライザは今後どうなるのか。ヒギンズ教授との愛に気付くのか(「マイ・フェア・レディ」のように)、フレディとの愛を選ぶのか(ショーが後日談として書いているように)、あるいはヒギンズ教授、ピカリング大佐とともに自立した独身主義者の一人として生きるのか(ヒギンズ教授の台詞のように)――だが、そのどれにも疑問が残る。

 では、イライザはどうなるのか――どうするのか――と考えるとき、わたしたちの思考は多少なりともショーの色に染まってくる。ショーのシニカルな視線というか、現実にたいする洞察力の影響を受ける。苦みはそこからくるのではないだろうか。

 そこが面白いのだ、ともいえる。これはもっと本質的な点だが、ショーの階級社会への視線もシニカルだ。当時(1912年執筆)のロンドンの厳然たる階級社会がこの芝居の根底にあり、わたしなどは圧倒されてしまうのだが、ショーはヒギンズ教授の姿を借りて冷笑を浴びせ、またイライザの姿を借りてそれを破壊する。

 また当時大国にのし上がってきたアメリカをやんわり揶揄するくだりがあり、旧世界たるイギリスからの視線というか、今から見ると時代性というか、やや屈折した心情が感じられる。

 これらのショー的なシニカルさはあるものの、ロマンティック・コメディーとしての側面はもちろんあり、むしろその方が主体だ。苦みは隠し味といったほうがいい。

 ロマンティック・コメディーとしては、イライザ役の石原さとみがその魅力全開だ。好感度抜群とはこのことだ。ヒギンズ教授役の平岳大も好演。イライザの父役の小堺一機は前半の出番がやや冗長に感じられたが、台詞のせいかもしれない。後半の出番ではそうは感じなかった。
(2013.11.13.新国立劇場中劇場)

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