カンディンスキーと青騎士展。ミュンヘンのレンバッハハウス美術館が改修中なので、所蔵作品が日本にきた。こういう機会でもなければ、同館を離れることはなかったと思われる作品も。
その代表はフランツ・マルク(1880~1916)の「虎」だ。1912年の作。当時のマルクの集大成といってもよい作品。同館の至宝だ。
マルクは、生涯、動物を描き続けた。馬、鹿、牛、虎。その絵をみると、マルクの、動物にたいする信仰のような愛着が感じられる。マルクにとっての動物とは、邪心のない無垢な存在。動物といるときにだけ、マルクの心は開放された。マルクの絵をみることは、その傷つきやすい、繊細な神経に触れることだ。
「虎」にはキュビスム的な構成が顕著だ。画面右上から左下にかけての対角線上に、紫色の岩と虎の背中のラインがつながり、それを青い草が受け止めている。虎の下半身はプリズム的な構成のなかに溶解しているが、頭部は具象の境界にとどまっている。眼光が鋭い。これは動物の尊厳を表すとともに、マルクの心からの称賛でもある。
もう何年も前のことになるが、同館を訪れたときに、この絵の前で初老の女性がスケッチ帳を広げて模写をしていた。部屋には私たち二人だけ。女性はいつまでも、いつまでも、模写をしていた。私も時間がたつのを忘れた。
マルクの盟友アウグスト・マッケ(1887~1914)の「遊歩道」もきている。1913年の作。樹木の生い茂る遊歩道を人々が歩いている。画面上部には葉のかたまりを表すシャボン玉のような緑がいくつも浮かんでいる。中央の女性のパラソルの白がそのなかに映える。木に寄りかかっている男性。その身体はもう一本の木のようだ。
解説パネルによると、マルクとマッケが出会ったのは1910年。同年にはマルクとカンディンスキー(1866~1944)も出会っている。これらの若い前衛画家たちが1911年に第1回「青騎士」展を開いた。若い情熱が一気に噴出した。しかし1914年には第一次世界大戦が勃発した。同年、一番若いマッケが戦死。カンディンスキーはロシアに帰った。1916年にはマルクが戦死した。
本展の大半はカンディンスキーとガブリエレ・ミュンター(1877~1962)の出会いと愛を中心に構成されている。二人の関係は、人間のドラマとしても興味をかきたてられるが、長くなるので、ここでは控えたい。ともかく、抽象絵画に突入するこの時期は、カンディンスキーがもっとも輝いていたころだ。
(2010.12.24.三菱一号館美術館)
その代表はフランツ・マルク(1880~1916)の「虎」だ。1912年の作。当時のマルクの集大成といってもよい作品。同館の至宝だ。
マルクは、生涯、動物を描き続けた。馬、鹿、牛、虎。その絵をみると、マルクの、動物にたいする信仰のような愛着が感じられる。マルクにとっての動物とは、邪心のない無垢な存在。動物といるときにだけ、マルクの心は開放された。マルクの絵をみることは、その傷つきやすい、繊細な神経に触れることだ。
「虎」にはキュビスム的な構成が顕著だ。画面右上から左下にかけての対角線上に、紫色の岩と虎の背中のラインがつながり、それを青い草が受け止めている。虎の下半身はプリズム的な構成のなかに溶解しているが、頭部は具象の境界にとどまっている。眼光が鋭い。これは動物の尊厳を表すとともに、マルクの心からの称賛でもある。
もう何年も前のことになるが、同館を訪れたときに、この絵の前で初老の女性がスケッチ帳を広げて模写をしていた。部屋には私たち二人だけ。女性はいつまでも、いつまでも、模写をしていた。私も時間がたつのを忘れた。
マルクの盟友アウグスト・マッケ(1887~1914)の「遊歩道」もきている。1913年の作。樹木の生い茂る遊歩道を人々が歩いている。画面上部には葉のかたまりを表すシャボン玉のような緑がいくつも浮かんでいる。中央の女性のパラソルの白がそのなかに映える。木に寄りかかっている男性。その身体はもう一本の木のようだ。
解説パネルによると、マルクとマッケが出会ったのは1910年。同年にはマルクとカンディンスキー(1866~1944)も出会っている。これらの若い前衛画家たちが1911年に第1回「青騎士」展を開いた。若い情熱が一気に噴出した。しかし1914年には第一次世界大戦が勃発した。同年、一番若いマッケが戦死。カンディンスキーはロシアに帰った。1916年にはマルクが戦死した。
本展の大半はカンディンスキーとガブリエレ・ミュンター(1877~1962)の出会いと愛を中心に構成されている。二人の関係は、人間のドラマとしても興味をかきたてられるが、長くなるので、ここでは控えたい。ともかく、抽象絵画に突入するこの時期は、カンディンスキーがもっとも輝いていたころだ。
(2010.12.24.三菱一号館美術館)